サタンのまじない
FFIアジア予選第二試合、日本対オーストラリア。
情報規制から、相手の特性や詳細が何一つも掴めぬまま迎えた日本代表。
スタジアムが観客席からの歓声で湧き上がる中、相も変わらず慣れない感覚に月詠はふぅ、と息を吐く。
「緊張しますね…」
「わかる!まだ慣れないよね」
独り言のように呟いた声に、坂野上はうんうんと力強く頷いた。その額には緊張からか汗が滲んでいる。
彼は今日の試合、スタメンに選ばれた。日本代表として、初めて世界のフィールドに立つのだ。誰でも緊張せずにはいられないだろう。
「私が何とかなったんだから坂野上くんも大丈夫だよ。頑張って」
「それはちょっと違うような…でも、そうだね。俺なりに頑張ってみるよ!」
「うん。同じポジションどうし、応援してるね」
緊張を煽ってしまっただろうか、と慌てて坂野上を励ませば、彼は右手に握り拳を作り歯を見せて笑った。その姿にホッと息をついた時、視界の端に青が差す。
途端、何やら思い出した月詠は、ポンッと坂野上の肩を叩き「頑張ってね」と微笑むと、一星の元へと小走りで駆け寄った。
「一星くんもスタメン入りおめでとう」
「…ありがとう、月詠さん」
月詠がにこりと笑えば一星も一泊置いた後、不自然な程に綺麗な笑みを返した。それを合図に月詠はちらりと周囲に目を配る。
近くに誰もいないことを確認すると、月詠は笑みを絶やさぬまま声を落とす。
「それで、要件は?」
「一応伝えておくが、鬼道に勘づかれた。今回の試合は鬼道の排除を優先する」
瞳の奥に込められた感情は激しい苛立ちと、憎悪。
どうやら鬼道と何かがあったようだ。月詠は瞬時に察しがついたものの、その何かを聞き出すつもりはなく、次の言葉を求めるように目を細める。
「お前はあいつの動きにだけ警戒しておけ」
「…分かった」
「何度も言うが余計なことはするなよ」
「試合に出ないのに余計も何もないでしょう」
ぐにゃりと一星の顔が歪む。
鬼道といい月詠といい、二人の言動は一星の神経を確実に逆撫でる。
何やら言い返そうと口を開けば、少し離れた場所に立つ彼に向かって「おーい!一星!」と声がかけられた。声の方向に視線を移せば、スターティングメンバーの面々が円を作って集まっており、一星は慌てた様子でその輪の中に入っていった。
「子文さん、お隣大丈夫ですか?」
「どうぞどうぞ」
取り残された月詠は、一星の背中を見送るとにこやかな笑顔でベンチに座る。
やがて円堂のかけ声が広がると、各々が自分の持ち場へと向かい始める。
そんな中、タッチラインの前で一人立ち止まった灰崎は、赤いマントをはためかせるその姿を目で追った。
「(鬼道、俺にとってはアンタだって光だぜ)」
昨日の夕焼けを思い返しながら心の中でぼやく。
いつの日か復讐に囚われていたいた灰崎に、太陽のようなサッカーを与えた稲森と、再びサッカーをする機会を与えた鬼道。
鬼道は灰崎の心を掻き立てた稲森を光だと評したが、どちらの背中も彼からすると、比べ物にならないくらい輝かしく思えた。
「眩しすぎるくらいにな」
言葉の通り眩そうに目を細め、すぐに柔らかく微笑んだ灰崎は、フィールドへと足を踏み入れた。
両チームが出揃うと、スタジアムに試合開始のホイッスルが鳴り響き、戦いの火蓋が切り落とされる。
「豪炎寺さんの分までやってやる!」
まずは日本代表からのキックオフ。灰崎から鬼道へと繋がれたパスは、強く意気込む稲森に渡った。
一試合目、足の負傷により負い止むを得ず、一時離脱した豪炎寺。そんな彼の分までと稲森がドリブルで攻め上がれば、オーストラリア選手のアスとサルの二人がたちはだかる。
二人のマークを振り切ろうと、爪先でボールを転がした瞬間だった。
「えっ!?」
確かにそこにあった白黒のボールがすうっと音もなく消えた。
目の当たりにした明日人は目を見開き、走り去る二人を目で追えば、ドリブルで攻め上がるアスの姿。
「しまった!でも、なんで……?」
状況の整理が追い付かないまま、稲森は慌てて身を翻す。
二人を追う道中、チームメイトからは「らしくないぞ」と注意を受ける。どこか腑に落ちない気持ちを抱きつつも、稲森はその気持ちを押しとどめて頷いた。
「ここから先は通さないよ!」
日本代表の守りを次々と突破するアスとサル。
そんな二人の前に次に立ち塞がった吹雪は、氷上を軽やかに滑りアイスグランドを繰り出すが、その技でさえも不発に終わる。
「ワープ…!?」
不思議な手の動きを見せたと思えば、サルが目の前から姿を消す。次に現れた時には、既に吹雪の守りを突破していた。
オーストラリア代表の奇妙な動きに、日本代表は困惑状態に陥ってゆく。
「おかしいよ。ビデオで見た特徴と違う気がする…!」
「あぁ」
稲森の言葉に並走していた氷浦も小さく頷く。ベンチでは、二人と同じ伊那国島出身の万作と岩戸、そして剛陣が引っかかりを覚えていた。
「一星が持ってきたのはガセネタか?」
「確かに全然違うでゴス」
「体で当たってくるチームのはずだろ?これじゃあ全く真逆だぜ」
思わず口をついて出た万作の言葉に、岩戸と剛陣は共感する。
三人の会話に、真剣な表情で試合を観戦していた月詠はきょとんとした表情で会話に混ざる。
「ガセネタってどういう意味ですか?」
三人は揃って顔を見合わせる。みんなの部屋を回っていると言っていたはずなのに、彼女が知らないということは見ていないということだ。
一星への僅かな不審感を覚えながら、三人が示し合わせたように頷くと、万作が口を開いた。
「実はこの前、一星がオーストラリア代表の映像を持ってると言って俺達の部屋に来たんだ。でも、その映像と実際の動きが全然違うんだ」
「そうなのか?」
「はい、そうですけど…もしかして見てないんですか?」
「おかしいでゴス。一星くん、映像を持ってみんなの部屋を回ってるって言ってたでゴス」
ベンチに座った選手達がそれぞれ顔を見合わると、「来たか?」「いや、来ていない」といった短い会話が所々から聞こえ始める。
やはり嘘の映像を見ているのは伊那国島出身の者達だけのようで、三人は更に違和感を感じ始める。
話を聞いた月詠は、「そんなことが…」と顎をつまみ何やら考え込む姿を見せたかと思えば、すぐに顔を上げた。
「でも、一星くんがわざわざ嘘の映像を用意するなんて考えられません。悪気はなく、何か認識の
眉尻を下げ、不安を纏う瞳で訴えかける。
彼女の言葉は最もで、確かに誰から見ても一星がそんなことをするような人物には見えなかった。だが、それでも疑惑と不安は簡単には消えてくれない。
「まぁ、そうだよな!アイツいいやつだし、よく考えたらわざとガセネタ持ってくる必要ねえもんな!」
否定も肯定もできず、誰もが口を閉ざしていた中、ふと剛陣が声を上げた。
なんとも単純なのか。腕を組みながら大きく頷いて納得する剛陣に、月詠は僅かに目を見開くと、ぱっと花が咲いたように笑った。
「今更 考えても仕方ありませんし、それよりも声を出していきましょう」
ね?と微笑みながら月詠は、すぐに目前の試合に目線を戻し、フィールドを駆けるチームメイトに声援を送り始めた。
剛陣と月詠の言葉にころりとベンチの雰囲気は一変。それもそうだ、と納得を示した様子の選手達は、続くように声援を送った。
「日本などは眼中に無い。我々の術中に陥れ、葬るまでだ!」
一方フィールドでは、あっという間に躍進したサタンによって、今まさに日本代表のゴールが狙われていた。
「フフフ、タイムトランス」
アスからのパスを受け、不敵な笑みを浮かべたままサタンは必殺シュートを繰り出す。
足元に時計の文字盤が現れると辺りは歪んだ空間に包まれる。その中央で不安定なシュートが打ち放たれた。
「たァァァァ!風神雷神!」
身構えた円堂も必殺技で対抗する。
必殺技を出すタイミングはぴったり、確実に止められる。その確信も束の間だった。
サタンの不思議な動きに合わせ、緩やかになったボール。円堂の目には一瞬、ボールが止まったかのようにも見えた。
『ゴーーーール!なんと日本の守護神、円堂がいとも簡単にゴールを奪われた!』
左右に現れた魔人の力が消滅した途端、その隙を突いたように勢いを取り戻したシュートがゴールネットに突き刺さった。
円堂は手の平を見つめ、グッと拳を作る。確かにシュートを受けようとしたはずの手には、重い感覚もボールに触れた感触も何も残っていない。
「円堂さんの技、タイミングが完全にズレてた…なんで円堂さんがあんなミスを?」
円堂自身もなぜ得点されてしまったのか分からない状況のまま、その姿を遠くで見ていた坂野上でさえもが怪訝な表情を浮かべていた。
坂野上の言葉を聞いた風丸は「いや」と首を横に振る。
「何かがおかしい。オーストラリアには、何かある」
「確かに。さっきも、いつの間にかボールを取られてたんだ」
「俺にも、敵が瞬間移動したように見えた」
「俺も見ました。敵はどんな手を使ってるんだ…?」
元より円堂がそんな初歩的なミスをするはずがない。風丸がチラリとオーストラリア代表を盗み見れば、彼等は此方を嘲笑するかのようにニタニタと不気味な笑みを称えている。
ボールが消えたかと思えば、今度は瞬間移動。不可思議な現象が起こる試合に当人達はわけも分からぬまま、ただ漠然とした不安が広がってゆく。
「本当に敵は悪魔なのか?」
ふと、一つの疑問が上がる。そんなはずは無いのに、否定できない状況に各々が黙り込んでしまう。
みんなの気持ちが後ろ向きになっていく中、傍から会話を聞いていた吉良はハッと鼻を鳴らして笑った。
「どうでもいい。こうなりゃ悪魔より、神が上だって事を見せてやるぜ!」
「間近の悪魔も越えられていないお前がか?」
「んだとォ!?」
自信満々に啖呵を切った吉良に、すかさず灰崎が水を差す。
いつもの二人の小競り合い。二人を除いた選手達は「また始まった…」と言うかのような顔付きで溜息を零した。