ヒプノシス・ブレイク


オーストラリアのスローインで試合は再スタート。
耳に届いたホイッスルと同時に、稲森はそっと瞼を下ろした。

「(気配を感じろ、音を聞き逃すな)」

精神を統一させる。耳を済ませて、ゆっくりと一歩ずつ踏み出した稲森は、音の聞こえる方角に走り出す。
次第に暗闇の中にぼんやりと、相手選手の姿が浮かび上がる。自分の足音、ボールが転がる音、相手選手の足音と息遣い。
聞こえる音すべてに耳を傾ける。そして​────。

「やった!」

ついに、相手選手からボールを奪いとることに成功した。
悔しそうに稲森の後ろ姿を睨むサルを置いて、稲森はドリブルで駆け上がる。

「オーストラリアの選手が使っている能力はヒプノシス。一種の催眠術よ」

ベンチでは、この作戦を見出した雷門がオーストラリア代表の能力について解説していた。

「敵は左右の手の動きによるヒプノシス効果によって暗示をかけているのよ」

暗示をかけ、間違った視覚を植え付ける。だが、目を閉じればそもそも視覚由来のその効果は通用しない。そう語る雷門は勝気な笑みを浮かべる。

「行くぞ!必殺タクティクス、柔と剛!」

稲森からパスを受けた鬼道は、タクティクスを発動させる。
鬼道、不動、稲森としなやかなパスを繋いでいたかと思えば、稲森からパスを受け取った灰崎が、オーストラリアのゴール前へ強いパスを出す。

「行ける!」

猛スピードで駆け上がった稲森が灰崎の強烈なパスを受け取り、次々とゴール前の相手選手を見事なドリブル技術でかわしていく。
やがて、鬼道にパスが渡ると彼は不敵な笑みを浮かべて、ボールを空中に蹴り上げた。

「オーバーヘッド、ペンギン!」

指笛と共に地中から姿を現した六体のペンギンが、ボールを中心に集う。ボールに嘴を突き刺し、物凄い速さで回転する中、力を纏ったボールをオーバーヘッドキックでゴールに向かって蹴り放つ。
油断していたのか不意をつかれたパズズは、呆気なく得点されてしまった。

『なんと鬼道が、灰崎凌兵の十八番!オーバーヘッドペンギンを使ったーー!』

湧き上がる歓声を受けながら、灰崎は鬼道に近付く。

「何故お前がその技を?」
「弟子の技を師匠である俺が使って何が悪い?」
「なっ!誰が弟子だ!」

オーバーヘッドペンギンは元々灰崎が使用していた技。色は違えど、確かに同じ技を使った鬼道の言い分に灰崎は呆れた表情で「とんだ絶対指導者だぜ」と吐き捨てた。

その姿を傍から見ていたサタンの首がカカカカッと音を立てて不気味に曲がる。すると、太陽のようなオレンジの髪が垂れ下がり、色まで変わった。
フッフッフッ、と肩を揺らしながら不敵な笑みを浮かべるサタンの瞳には鬼道の姿が映し出されていた。


ヒプノシスを攻略し、点差を縮めた日本代表の士気は確実に上がっている。

「ここから巻き返すぞ!」
「みんな油断しないで!」

鬼道と吹雪のかけ声にそれぞれが頷く中、相手選手が駆け上がる。
ボールを持ったサルと対峙した鬼道は、見事なディフェンスで素早くボールを取り抜き去った────かのように思えた。

何かの光が鬼道の視界の邪魔をする。あまりの眩しさに、鬼道がバランスを崩し倒れてしまい、そのこぼれ球をすかさずアスが拾う。

「気をつけろ!稲森、灰崎!」

声を張上げ注意を呼びかけた鬼道だったが、時すでに遅く。アスと対峙した二人の視界を、眩い反射光が横切った。

「どこからやってやがる…!」

目の奥に熱を感じ、僅かな痛みが広がる。
チカチカと点滅する視界に目元を抑えながら、灰崎は辺りを睨みあげた。

「喰らうといい。タイムトランス」

その間にも最前線へ躍り出たサタンが、必殺技を繰り出す。再び風神雷神で対抗する円堂だったが、やはり食い止めることは出来ず、本日三度目の失点を許してしまった。

『キーパー円堂、今日は不調なのか!?技を出すタイミングが完全にズレているぞ!』

実況の声がスタジアムに響き渡り円堂に注目が集まる。
手応えのない感覚を手の平に感じていた円堂は、ぎゅっと握り拳を作りだす。

「どうすればあれを止められるんだ。止められないのか?止める方法は無いのか?」

悔しさに身を震わせながら、円堂は「いや……」と首を振る。

「方法は、ある!絶対に、ある!まだ俺に見えていないだけだ!絶対に探し出してみせる!」

円堂という男は、いくら無謀だ言われても絶対に諦めない不屈の精神を持っていた。このくらいで折れる男ではなかった。
自問自答を繰り返す円堂をタッチライン近くに立ち、静かに見守っていた雷門は、暖かな頬笑みを浮かべた。

「鏡を使っているのか。誰がやっているのかは特定できなかった」
「俺もだ。クソッ、卑怯な手を使いやがって…!」

一方、反射光による妨害を受けた選手達数人は、フィールドの中央に集まっていた。

「例え目を閉じていても同じだろう。ゴーグルをしていても、眩しさを感じた」

苛立ちを隠せず唇を噛む灰崎に対して、話を聞いていた鬼道は冷静に状況を伝える。
鬼道が言うには、鏡ではなくレーザー光線なのではないかとの事。それを聞いた風丸は驚愕する。

「ユニフォームかスパイクか、どこかに仕掛けを隠している可能性がある」
「でも、鬼道さん…!俺、敵選手がいない方から光を当てられた気がしたんです。どういうことでしょう?」

敵選手がいない方、つまりは自陣から。ありもしない事実にさすがの鬼道もポーカーフェイスを保てず、空いた口が塞がらない。
同じく、話を聞いていた灰崎と風丸も「本当か?」と稲森に問いかける。

「そろそろかな?」

四人の姿を遠巻きに見ていたサタンの首が再び揺れる。今度は垂れ下がった髪が逆立ち、真っ赤に染る。その姿はまるで悪魔のよう。
サタンはチームメイトと共に不気味な笑みを浮かべながらポジションに戻って行った。

日本代表からのボール。灰崎からパスを受け、赤いマントをはためかせながら駆け上がる鬼道。
彼の前にアスが立ちはだかったかると、アスモが一星に目配せを送る。途端、鬼道の視界を光が遮り、鬼道は瞬時にボールをフィールド外へ出した。

「あいつ…!」
「どうした、灰崎?」

何かに気付いた灰崎が相手選手の背後に隠れる少年の姿を睨む。
何かあったのか、と灰崎の元にすぐさま駆けつけた鬼道が尋ねれば、灰崎は視線を伏せながら口を開いた。

「一星かもしれない」
「なに!?」
「見たのか、灰崎…!」

驚くべき発言に風丸は衝撃を受け、鬼道は身を乗り出す。

「お前が光を受けた時、一星は不自然に立ち止まっていた。まるで、光を当てる場所を調整するかのようにな」

風丸と鬼道は、灰崎の視線を追うようにして相手選手へ視線を向ける。此方を睨むその姿を眺めながら、風丸は一星の妙な動きを思い出し、「確かに」と頷いた。

「一星は、こちらの選手のフォーメーションをわざと狂わせるように動いている」
「アイツが裏切り者か?」
「俺もそう睨んでいる」

相手選手に鋭い眼光を向けながら、灰崎が言う。
元々一星を怪しんでいた鬼道は彼の言葉に小さく頷くも、「今は試合に集中しよう」と即座に切り替え、自らのポジションに戻って行く。

三人の姿をベンチから眺めていた月詠は、僅かに顔を俯けると、眉間に皺を作る。

「( 気付かれた……でも、まだ大丈夫)」

気持ちを落ち着かせるようにふっと息を吐く。心を静め、冷静を保つ。____のように。
何度も自分に言い聞かせれば、波だった水面がゆっくりと元の平静さを取り戻していく。それに酷い安心感を覚えながら、月詠は再びフィールドに視線を戻した。





オーストラリアのスローインで再開するものの、日本代表が二点のビハインドを取り返せないまま、前半戦は終了。

「あれ、一星くんは?」

真っ白なタオルを数枚抱えたまま、大谷はきょろきょろと辺りを見渡す。先程までそこにいたはずの一星の姿が見当たらず、どこに行ったのだろう?と小首を傾げる。

「一星くんならお手洗に行かれましたよ」

そんな大谷の後ろからひょっこりと顔を出した月詠。

「わっ!月詠ちゃん〜!もう、びっくりさせないでよ!」
「すみません、そんなつもりはなかったんですが…」

ぷくりと可愛らしく頬を膨らませた大谷に、悪気のなかった月詠は困った様子で頬をかく。

「お詫びと言ってはなんですが、お手伝いしましょうか?」
「ううん、大丈夫だよ!これはマネージャの仕事だし、もうササッと配っちゃうだけだから!」

手に持ったタオルを指差せば、大谷は首を左右に振って月詠の申し出を断ると、言った通りササッと素早い動きで配り終えてしまう。
子慣れた様子に関心を覚えていると、「月詠さ〜ん!」と間延びした声と共に、肩に手が添えられた。

「監督?どうされたんですか?」
「貴方には後半戦、吹雪くんに変わって出場してもらいます。なので、しっかりアップをしててくださいね」

慌てて振り返った月詠に、ずいっと顔を近付ける。しっかりを強調して伝えられたあまりにも唐突な選手交代宣言。
困惑した様子の月詠が返事をする前に、「期待してますよ」と含み笑いを浮かべた趙金雲はどこかへと歩き去って行く。

「きゅ、急すぎませんか?」
「ああいう人だから…」

ぐりんと引きつった笑みを浮かべながら大谷に視線を戻せば、大谷も諦めきった様子で苦笑いを浮かべた。

「今回も後半からだな」
「みたいです」

頬を伝う汗を拭いながら、二人の会話を聞いていた風丸が月詠に声をかけると、月詠は眉じりを下げて笑う。

「風丸さんに教えていただいた通り、動けるといいんですが…」

そう言いながら月詠が不安げに視線を逸らすと、視界の端で赤く揺れる何かが目に止まった。
それはゆっくりと近付いてくると、彼女の傍で止まる。

「……月詠、少しいいか」
「鬼道?どうしたんだ?」

月詠の代わりに反応を示した風丸が問いかけるが、鬼道は真っ直ぐと月詠だけを見つめる。
鬼道からの視線を受けながら視線を上げた月詠はこくりと頷いた。

「かまいませんよ。移動しますか?」
「ああ、そうだな」

目を細めて笑うその姿はどこか冷たい。
彼女の提案に乗り、歩き出した鬼道の背中を追いかける。といっても、ゆっくりしている時間はさほど残ってはいない。
フィールド近く、人気のない通路にやってくると、鬼道は足を止めて月詠と向かい合う。

「それで、ご要件はなんでしょうか?」
「お前は一星について、どこまで知っている?」
「どこまでと聞かれましても、ロシアで経験を積んだサッカー選手くらいしか……」

なんとも抽象的な質問に、月詠は困った様子で恐る恐る答える。
どこまでもシラを切るつもりなのか、それとも本当に無関係なのか。しかし、無関係にしては以前の発言。

​────人でも喰らいそうなほどに強い野心を持った子、だと思いますよ。

不気味なほど綺麗な笑みを浮かべた月詠の顔を思い返し、鬼道は引っかかりを覚える。
やはりここは、鎌をかけてみるべきか。考え込む様子を見せていた鬼道が、やがてパッと視線をあげる。

「一星は何らかの組織から送られたトロイの木馬だ」
「…トロイの、木馬?」

血のように赤い瞳がゴーグル越しに姿を覗かせる。
辺りに漂う緊迫感に気圧されながら、戸惑った様子で月詠はごくりと喉を鳴らした。

「あいつは鏡を使って俺達の妨害をしている」
「一星くんが、ですか?そんなの……」
「信じられないかもしれないが、本当だ」

有り得ない。その言葉を遮るようにして念を押すよう告げられた言葉と彼の気迫に、月詠は何も言えなくなってしまう。

「俺は後半戦、どんな手を使ってでも​───一星を排除する」

決意を固めた鬼道の目が真っ直ぐと月詠を捉える。
じわじわと見開かれていく月詠の目に、鬼道は彼女の返事を聞くことなく身を翻す。

「(お前はどう動く、月詠?)」

怪我による豪炎寺の退場や円堂へ危害を加えようとしたこと。
もし彼女がそれに関与しているのなら、もし彼女が裏切り者であるのなら、その時は​─────。

フィールドへと歩む鬼道にもう迷いはなかった。