さようなら
風丸は月詠を警戒していた。
残り数分で試合が終わる。彼女がもし裏切り者だとするならば、必ず何かしらの行動に出るはずだと横目に注視していた。
「……!」
やがてある時、彼女の表情が一変した。
目の前で繰り広げられる灰崎と吉良による一星への制裁。その光景を大人しく眺めていた月詠の顔から、段々と生気が抜け落ちていくのを風丸は感じていた。
そして、風丸の瞳に警戒の色が差した時、彼女は動いた。
「なっ…!」
風丸が止める間もなく、月詠は駆け出した。
ここにいる誰もを驚かせるほどの速さで走る姿は、獣のようで、ポジションを離れて前線へと駆け上がる彼女を誰も止めることは出来なかった。
そうして、気付けば彼女は一星を庇うようにして、二人の前に立ちはだかっていた。
「どけよ、邪魔だ」
「どきません」
「怪我しても知んねえぞ?」
「どうぞお好きなように」
淡々と答える彼女の顔は、現状には似つかわしくないほどの穏やかな笑みが浮かんでいる。
その気味の悪さに吉良は顔を顰めると、隣に立ち並んだ灰崎に目を向けた。
「どーすんだよ、灰崎?」
「引かねえぞコイツ」と吉良は問う。だが、灰崎にもどうするべきか分からず、彼女の存在を疎ましく思いながらも鬼道へ視線を移した。
「…………」
視線を受けた鬼道は少しの間、月詠と一星を見つめると、静かに頷いた。
鬼道が出した答えに、再び月詠へ視線を戻した灰崎は「決まってんだろ」とニヤリと口角をつり上げた。
「どういうつもりだ。俺を助けるつもりか?」
一方、足元のボールを彼等に返してくるりと身体を反転させた月詠は、冷めた目で見下ろしながらも一星に手を差し伸べた。
差し出された手と彼女の顔を見比べた一星は、苦々しく睨み上げる。彼女に助けられることはなんとも屈辱的だけれど、今この状況を打破するのであれば、彼女の手を取るしか選択肢はない。
皮肉を言いながらも一星は、彼女の小さな手を掴む。
「助けるつもりはない。ただ───」
強く掴まれた熱い手。一星の身体を引きあげようとした月詠の言葉を、突如荒々しい声が遮った。
「邪魔するってんなら、そこの薄汚ねえ裏切り者と一緒に、二度とピッチを踏めなくしてやるだけだ!」
容赦なく灰崎はボールを蹴り上げる。苛立ちの込められた物凄い威力のシュートが彼女に迫る。
すっかり笑顔の消えた表情の月詠は、すっと目を細める。
「やめろぉぉおおおーっ!!」
このままでは当たってしまう。誰もがそう思った瞬間、突っ立ったままの彼女の前に、叫び声を上げながら稲森が立ちはだかった。
一星と月詠が驚いた様子を見せる間にも、灰崎が放った渾身の一撃を稲森は顔面に食らった。
「なんで………」
一星の体を引き上げながらも、月詠の目は確かにフィールドに倒れ込む稲森を映していた。
試合が中断され、担架に乗せられた稲森は日本代表のベンチへ運ばれる。
「大丈夫か?明日人」
横になった稲森の顔を覗き込む氷浦は心配そうな表情で安否を確認する。稲森はなんとか頷きながら、ゆっくりと視線をずらした。
「テメェ、なんで邪魔しやがった?」
腫れ上がった頬に
「鬼道さん。鬼道さんがチームを守るなら、俺はサッカーを守ります」
氷嚢を右頬に当てながら、ゆらりと上半身を起こす稲森。慌てて月詠がその肩を支えれば、稲森は「ありがとう」と彼女に向かって微笑んだ。
「どうして、僕なんかを庇って…!」
そんな稲森を見て、大谷から手当を受けていた一星が身を乗り出す。稲森は一星を真っ直ぐ見たあと、顔を俯けて答えた。
「仲間を傷付けようとするなんて、許せないんだ。サッカーは、怒りや憎しみをぶつけ合うものじゃない」
目を細めた稲森の瞳が揺れる。
大好きなサッカーで仲間を傷付けた。大好きなサッカーが復讐のために、暴力的に使われた。
そこにどんな理由があろうと、稲森はそれが何よりも許せなかった。
「こんなことしてたら、サッカーはサッカーじゃなくなっちゃうよ…っ!」
強く訴えかける稲森だが、灰崎と吉良にその思いは届かない。
「綺麗事ばっか並べてんじゃねえよ」
「これだからいい子ちゃんは…空気が読めなくて困るぜ」
苛立たしげに吐き捨てて去って行く灰崎に、吉良も続く。
そこへ、静かな声が落とされた。
「謝ったらどうですか」
声の主は月詠だった。
彼女は去ろうとする二人を真っ直ぐと見つめる。頬には僅かながらの微笑みが浮かんでいて、彼女の言葉を受けた二人は「はあ?」と同時に振り返る。
「私と一星くんはともかく、稲森さんは貴方達の仲間ですよね。謝ったらどうですか」
真っ直ぐと見つめてくる探るような瞳と、柔らかい笑みはまるで合っていない。しかし、彼女の言っていることはもっともで、二人は顔を見合せすぐに顰めた。
「喋りかけてくんじゃねえよ。気持ちわりい面しやがって」
「ここまで来てもいい子ちゃん気取っちゃって、自覚ナシかよ?お前、相当ヘンだぜ?」
「変………?」
変。吉良が言ったその単語に、ピクリと月詠の片眉が跳ねる。ゆっくりと下がる口角を横目に、二人はフィールドへと戻って行く。
黙り込ん出しまった月詠の異様な雰囲気に、稲森が声をかけようとすれば、その行動は一星によって遮られてしまった。
「明日人くん、ありがとうございます」
ベンチから立ち上がり、稲森の横へと両膝をついた一星は、俯きながら礼を伝える。
「えっ?気にすることないよ」
きょとんとした様子で首を横に振る稲森だったが、頭を下げたままの一星は、髪の隙間から神妙な面持ち覗かせていた。
応急処置を終えた稲森、一星、そしてその二人に付き添っていた月詠がフィールドに戻ると、サルのスローインによって試合が再開される。
「麻呂が勝負を決めるぞよ〜!」
変な笑い声を上げながらボールを受け取るサタン。しかし、そこへすかさず鬼道が駆け込んでくると激しいタックルでボールを奪い、一気に仕掛ける。
「灰崎!吉良!これを決めて、チームを支える真のストライカーになれ!」
残り時間はあと一分。
鬼道の出したロングパスは、オーストラリアの選手達のブロックをかわして、二人の元に真っ直ぐと届く。
「のろのろしてたら置いてくぜ」
「テメェこそ、焦ってヘマすんじゃねえぞ」
勢い良く駆け出した二人はシュート体制に入る。
「ペンギン・ザ・ゴッド&デビル!」
韓国戦で活躍を見せた二人の必殺技にパズズは太陽のギロチンで対抗する。しかし、その威力は凄まじく、パズズを押し退けゴールを貫いた。
同時に試合終了のホイッスルが鳴る。
試合結果は五対四、見事な逆転劇で日本代表は勝利を収めた。
「今のはまあまあ良かったぜ」
「ハッ!俺についてこられたのだけは認めてやるよ」
素直じゃない二人は手の甲でハイタッチをしながら、互いを称え合う。その間にひょっこりと顔を覗かせた円堂は、二人の肩を抱き寄せて「これからも頼んだぞ!」と豪快に笑った。
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「みんな!最後まで諦めず、よく戦ってくれたな!」
ところ変わって更衣室。円堂は選手達の前に立ち、労いの言葉を投げかける。
すっかり浮かれたムードの中、雷門のお土産の三色団子を取り囲む選手達。その一角で鬼道は声を荒らげた。
「監督は知っていたんじゃないんですか!一星が何らかの組織から送り込まれた存在であることを!」
「いいえ。詳しいことは知りませんよ」
怒る鬼道に対して、趙金雲は呑気に子文が持ってきた三色団子を口にする。
知らないとは言いながら、趙金雲が何かを隠していることは、鬼道にとっては明白だった。
「俺達には知る権利があります!ヤツの正体を!」
趙金雲へ詰め寄る鬼道に、コーチである久遠は両腕を組んだまま重い口を開いた。
「如何なる理由があろうと、監督に意見するのはチームの規律を乱す行為だ」
「しかし…ッ!」
仲間が、円堂や豪炎寺、みんなが傷付けられようとしているのだ。そんなことで納得できるはずがないく、中々食い下がらない鬼道に「下がれ鬼道」と椅子から立ち上がった久遠が冷たく言い放つ。
「運営サイドの判断を選手に説明する必要は無い」
「ま、そういうことですね〜」と趙金雲も椅子から立ち上がると、二人は揃って更衣室を出ていってしまった。
「落ち着け、鬼道」
「お前らしくないぞ」
ばたんと更衣室の扉が閉まると、辺りは静寂に包まれる。去って行く背中を眺めることしかできずに佇んだ鬼道へ、円堂と風丸がすかさず声をかけた。
「だが、このチームに裏切り者がいるのは事実だ…ッ!」
「裏切り者、か……俺には一星が本当に悪いヤツとは思えないんだよなあ」
裏切り者。その単語にピンとこない様子の円堂は、うーん、と唸り声を上げながら顎をつまむ。そんな彼にすかさず「なんだと!?」と今度は灰崎が声を荒らげる。
「アイツは豪炎寺を手にかけた奴の仲間なんだぞ!」
ざわり。灰崎の発言に何の事情も知らず、ただ困惑した様子で二人の話に聞き耳を立てていた選手達が、次々に驚いたような声を上げる。
万作は恐る恐る鬼道に目をやり「それ本当なんですか?」と確認すれば、鬼道は「それだけじゃない」と首を振って円堂に顔を向けた。
「一星は練習でお前を怪我させようとしたんだぞ」
「円堂さんに怪我を!?」
つい先日、オーストラリア代表との試合に向けた練習時の話だった。一星が蹴ったボールから確かに鋭い刃物が飛び出し、あのまま避けていなければ今頃円堂は────。
思い出せば思い出すほど腹立たしい。鬼道が奥歯を噛み締めれば、円堂を慕う坂野上が氷浦と稲森の間から顔を出した。
円堂はそんな坂野上を一瞥すると「おいおい!」と急いで鬼道をなだめようとする。
「まだそうと決まったわけじゃないだろ!」
どこまでも真っ直ぐな円堂。しかし、鬼道は止まらない。険しい顔つきで選手達全員に目を配る。
「監督が動かないのなら、俺達がこのチームからアイツを排除するしかない」
「そんなことできるんですか?」
氷浦の問いかけに、鬼道は「できる」と断言する。
「しかし、それには大義名分が必要だ。へたな反撃をすれば、こっちが返り討ちを食うだろう。大観衆が見ている試合の真っ最中に、一星と、その背後にいる組織の悪行を暴露する!」
静かに憤慨する鬼道の拳が強く、固く、握られる。
いつも落ち着いた鬼道が、こんなにも感情に任せて語る姿に、けして冗談では無いのだろうとそれぞれは確信した。
「フィールドを汚す者を許してはおけない。次の試合で、片をつけてやる!」
決意の固まった鬼道の宣言に選手達はお互いの顔を見合わせる。そして、その隙間から顔を覗かせる月詠の姿を目にとめた鬼道は心の中で誓った。
「(お前もだ、月詠)」
例外はない。ただ、彼女にはまだ確証のできる証拠がない。それを炙り出すまでは、我慢するしかない。
心の奥を支配する憤怒という感情になんとか蓋をしながら、鬼道がフッと息を吐いたその時だった。
「全員その場を動くな!我々はFFI管理局の者だ!」
バンッと大きな音を立てて更衣室の扉が無作法に開かれた。
殺伐とした雰囲気で突如現れた四人の男達に、選手達が呆然していれば、男達は誰の許可も得ず勝手に選手達のロッカーを物色し始めた。
「ここのロッカーを使用してるのは?」
やがて何かを見つけたのか、一人の男が物色する手をとめて選手達に問いかける。
威圧的な表情をした男の雰囲気は普通じゃない。疑問に思いながらも「俺です」と自ら鬼道が名乗り出ると、男は手に持っていた白いケースを見えるように掲げた。
「これはドーピング効果のある薬物だな!」
中には錠剤が二つ入っている。身に覚えのない代物に、鬼道は「なんだと!?」と動揺する。
「ドーピング違反により、鬼道有人!君を代表選手失格とみなす!」
周囲は驚きから固まる。その間にも、男の言葉を合図に他の男達が鬼道の腕を乱暴に掴みあげ、取り押さえてしまう。
「待ってください!鬼道がそんなことするわけない!」
腕を後ろ手に回され拘束される鬼道に、円堂が擁護の声を上げるも「言い分は取調室で聞く」と男達は聞く耳を持たない。
「ま、待て!話を聞いてくれ!これは何かの───ッ!!」
言いかけて止まる。強い力で身体を引きずられつつ、弁明しようと声を荒らげる鬼道の赤い瞳に、少女の姿が映り込んだ。
周囲の困惑に紛れながら選手達の陰に隠れた彼女は、小さな笑みを浮かべて口をパクパクと開閉させる。
「さようなら、鬼道さん」
確実にそう動いた唇が、鬼道の奥底に閉じ込めた怒りを再沸騰させる。しかし、もう遅い。
鬼道が月詠の名を叫んだその時には、扉は大きな音を立てて閉められたのだった。