うごめくオオカミ


夕食を食べ終えた月詠は、颯爽と一人部屋に戻ると電気も付けずに窓辺へ近付く。

長いようで短かった一日。いつの間にかとっぷりと日は落ちていて、紺碧の夜空が広がる。
今夜は星の無い夜で、いくら探そうとも小さな光は見付からない。ただ一つ、薄暗い部屋に差し込むのは、淡い月明かり。ぽつんと浮かんだ月は、まん丸と綺麗でどこか寂しげだ。
月を見上げ数秒、彼女はなんの反応もなしにカーテンを閉めると、ベッドの上に寝そべった。
綺麗に敷かれたシーツが無造作なシワを作りだし、ぼふっと弾力に吸収された覇気のない音だけが耳に届く。

そうして何をするでもなく、暇な時間を文字の通りごろごろと過ごしていれば、こんこんっと静かな部屋に響くノック音。
月詠は瞑っていた目を開き、気だるげに体を起こした。

「月詠ちゃん、一緒にお風呂行かない?」

扉を開けば「こんばんわ」とにこにこ笑いながら大谷が顔を覗かせた。その隣に並ぶように神門や木野も立っている。その顔ぶれに月詠はすぐ察した。
唯一の女子選手だからこそ何かあった時、困らぬように親睦を深めようとしてくれているのだろうと。
生憎、彼女にとってそれは余計なお世話でしかないのだが。

「すみません。人と入るのは初めてで少し気恥ずかしくて。慣れるまでは暫く一人で入らせていただいてもかまいませんか?」

申し訳なさそうに眉尻を下げ、気恥しそうにやんわりと断る月詠。
思春期ともなれば心も身体もまだまだ成長段階。同性同士とはいえ裸を見せるということには多少の躊躇いがあるのだろう。
不安気な瞳に見上げられた三人の中で、真っ先に口を開いたのは木野だった。優しい雰囲気を纏う彼女は「大丈夫だよ」と柔らかく微笑む。

「月詠ちゃんに慣れてもらえるように、私達も頑張るから」
「何かあったら頼って。力になるわ」

同じ女の子同士助け会いましょう、と微笑む神門。
一見取っ付きにくそうに見える彼女ではあるが、その笑みは温かさを孕んでいる。
ありがとうございます、と安心した様子で笑った月詠は「おやすみなさい」と扉を閉める。
パタン。完全に扉が閉まり切ると、隔ての向こうでは三人組の足音と賑やかな話し声が遠ざかっていく。

やがて音も聞こえなくなった頃、一瞬で彼女の顔から表情が消えた。
くるりと身を翻した月詠は、部屋の一角に置かれた姿見に視線を向ける。月詠はゆっくりとその姿見に近付き、表面を指先でなぞる。

「………」

まるで、姿見を通して他の誰かを見ているかのような。そんな様子で、鏡の中の自分を見つめる。

「入るぞ」

その時、静かな部屋に広がった声。
ノックも無く、おまけに彼女の了承を得ることも無く、不躾に開かれた扉。
部屋に入ってきた一星は、彼女の姿に顔を顰めた。

「何してんだ、お前」
「別に何も」

何故、真っ暗な部屋の中で姿見と睨み合っているのか。不審な彼女の行動に零れた言葉。しかし、返ってきた返事は素っ気なく、彼女の奇怪な行動の答えではなかった。
月詠は一星を一瞥すると、姿見にかけられた薄い布を降ろす。完全に彼女の姿を映さなくなったそれを確認し、一星へと向き直る。

「ターゲットが決まった」

彼女の身体が向けられたのと同時に、一星はそう切り出した。
月詠は何かしらを考え込む様子を見せたかと思えば、「そう」と何拍か遅れ返事を返す。興味なさげに──実際興味は無いのだが──しながらも、月詠は一星の続く言葉に耳を傾ける。

「まずは、円堂、鬼道、豪炎寺。この中の三人から潰す」

円堂えんどうまもる、イナズマジャパンのキャプテンでありGKのポジションに就く。駆け出しの日本代表を支える支柱的存在になるだろう。
鬼道きどう有人ゆうと、イナズマジャパンのミッドフィールダー。ゲームメイクが得意で、イナズマジャパンでは司令塔の役割を担うことになるだろう。
豪炎寺ごうえんじ修也しゅうや、イナズマジャパンのフォワード。強烈なシュートが持ち味のエースストライカー。今後チーム内では点取り屋の位置に就くだろう。

月詠は事前に与えられていた三人の情報を思い出す。
どの選手もチームの中心的存在と言えるようになるはず。そんな彼らが標的となれば、チーム内では波乱が起きるだろう。

​────だからこそ、都合がいい。
二人の目的には必要が無い。むしろ、何よりも邪魔になるだろう。邪魔な芽は早いうちに摘んで、日本代表全体に混乱を招く。
月詠もそれに異論は無かった。ただ一つ、気になることがあるとすれば。

「それは理事長からの指示?それともあんたの指示?」
「それをお前が知る必要はあるのか?日本代表を敗退させるのが俺達の役目。そのためには、相手が誰であろうと手段は選ばない。俺達が知っていればいいのはそれだけだ」

確かにそれもそうだが、しかし、 それでは───。
何やら眉根を寄せ、視線を落とす月詠。考え込むような表情を浮かべながら、その瞳の奥にはどこか困惑の様なものが見え隠れしている。
一星は、黙り込んでしまった彼女の表情を目にしているのにも関わらず、気にすることなく続ける。

「お前が何を考えてるのかは知らないが、俺は俺の目的のためにお前を利用する」

彼女の肩がぴくりと反応すると、ゆっくり視線を持ち上げ、一星を見上げる。

「それは私も同じ」

そして、彼の言葉に彼女は浅く頷いて同調する。

「私達はビジネスパートナー。踏み込まず、踏み入れず、自分のためだけにお互いを利用する。だから​───」

淡々と告げながら月詠は、ゆっくりと空いた距離を縮める。
友人でも仲間でもない。ただ、互いを利用し合うだけの関係。それでいい、それがいい。

「いいように働いてね、充」

一星の胸板にそっと小さな手を添える。
顔を寄せ、耳元で囁きかけるかのようにそう告げた彼女の口元は、綺麗な三日月を描いていた。
不敵な笑みを浮かべながら胸板を突き返すように離れる彼女に、一星は眉根を寄せる。

「言っておくが、俺はお前を信用していない。勝手な行動だけはとるなよ」
「………」

睨み付ける様な目付きに、低く、少しドスが効いた声。
彼を目の端に映しながら、月詠は返答することなく顔を背けた。
相も変わらずなその態度が癪に障ってしまったようで、彼は小さく舌打ちを零すと急ぎ足で部屋を出て行った。





「おはようございま〜す!」

翌朝、室内のサッカーグラウンドに集められた選手達。
彼等の目前に立つ趙金雲は、呑気に朝の挨拶を交した。しかし、選手達の視線は別の一点に集中しており、みな呆然と趙金雲の隣に立つ人物を眺めていた。

「今日は皆さんに特別ゲストを紹介しますよ〜!スペイン代表キャプテン、クラリオ・オーヴァンさんです」
「よろしく」

紹介を受けた人物、クラリオ・オーヴァンは短く挨拶を告げる。彼の後ろには同じくスペイン代表選手であるベルガモ・レグルトがつまらなそうに目を伏せている。
彼等の姿を見て真っ先に反応を見せていたのは、円堂を含む元雷門中サッカー部員。

それも当然。彼等は一度、クラリオを含めたバルセロナ・オーブとのエキシビションマッチで完敗しているのだ。忘れられるはずなどない。

「クラリオ・オーヴァン…!」
「世界のプレイヤー!」
「願いが叶ったな!」

世界を目標に掲げ、今の自分たちが世界に通用するのか挑戦した結果、手も足も出せないまま負けてしまった。その時の悔しさややるせなさが一気に思い出され、鬼道は彼の名前を口にした。
反面、彼等の気持ちなど露知らず、稲森と氷浦は嬉しそうに笑顔を零す。

「ではみなさ〜ん、クラリオさんにお手合わせ願いますよ」

騒がしくなったその場を沈めるように、パンパンと手を鳴らした趙金雲。
彼の言葉に再び周囲はざわつき始める。驚愕、戸惑い、困惑、様々な感情が入り混じる。

「お手合わせだと……?」
「今から?」
「ちょっと待ってくれ!あぁ、待って、ください監督!」

何とも唐突な監督の提案に、剛陣は慌ててその流れを制止した。

「こっちは十八人もいるんですよ?」
「かまわない」

明らかな人数差。圧倒的にイナズマジャパンが有利な状況。そんな状況でお手合せをするなんて、結果も分かったようなものだろう。
しかし、クラリオは表情一つ変えずに頷いた。


「おいおい、嘘だろ?一人で十八人も相手にするっていうのか?」
「やるみたいですね………」

選手達はポジションに分かれ、白線の内側に並び立つ。それぞれの目線の先にはボールの感触を確かめるように、足裏でころころと転がすクラリオ一人の姿。
未だに困惑した様子で呟かれた剛陣の言葉に、稲森も同調しながら再び視線を彼へと戻す。

「では、始めてください」

ホイッスルが鳴り響くと同時に、クラリオは一気にドリブルで攻め上がる。
彼の前にフォワード陣である剛陣、吉良、灰崎が立ち塞がるが、クラリオはものともせず、その巨体で三人の間を縫うように交わしていく。

「あんな簡単に…!」

稲森が感嘆の声を上げる。
まるで足に吸い付いているかのように、一度も彼の足から離れないサッカーボール。それは未だに誰も触れられない。
桁違いの実力を目の当たりした周囲は目をみはったまま固まってしまう。

やがて豪炎寺や鬼道までもを抜き去ると、まだゴールまで距離があるというのに、クラリオは立ち止まる。選手達がクラリオの動きを警戒する中で、彼はボールを頭の位置まで蹴り上げた。

「フッ、───ダイヤモンドレイ!」

ボールを蹴る度に磨かれてゆく宝石は輝きを増し、ダイヤモンドとなる。グッと引き付けた足でボールを蹴り出すと、美しい光線が真っ直ぐと伸びてゆく。

まさかこの距離から必殺技を打つなんて。
予想だにしなかった出来事にハッとした選手達だったが、時すでに遅く。
凄まじい威力を宿したシュートは、立ちはだかる何人もの選手達を弾き飛ばしながら、一瞬の揺らぎも見せずにゴールへと一直線。

「来る!」

防衛ラインを突破し、早くもゴール目前まで到達してしまった必殺シュート。
円堂が身構えるようにグッと腰を落としたのを合図に、ゴールキーパーである砂木沼と西蔭がシュートコースに立ち塞がる。しかし、技の威力に圧倒された彼等は、必殺技を繰り出す暇もなく、触れた瞬間に弾き飛ばされてしまった。

「今度こそ止めてみせる!───風神雷神!」

残るは円堂のみ。パンッと手を叩いた円堂の左右に、風神と雷神を象る魔神が現れる。魔神の力を手に纏わせた円堂は、両手を真っ直ぐ突き出した。
凄まじい技と技のぶつかり合いに、円堂の周囲を強風がまとう。ダイヤモンドレイに対抗する彼の姿に、クラリオは「ほう」っと感心した様子で笑みを称えた。

「ぐっ……!!」

初めてて出会ったあの頃とは違う。確実に力を付けていた円堂はクラリオのシュートに食らいつく。だが、それでもまだ敵わない。
ダイヤモンドレイの威力に押し切られ、抵抗も虚しくシュートは真っ直ぐとゴールネットに突き刺さった。

「少しはレベルが上がったようだな」
「お前の目的はなんだ」

腰に手を当て、円堂の奮闘を余裕な面持ちで眺めていたクラリオに鬼道は向き直る。

「私は日本のサッカーが好きになったのだ。以前戦って、貴方たちの気持ちの良いサッカーに魅了された。サッカーとしてはレベルが低かったがな」
「嘲笑いに来たのか」

最後の一文に眉根を寄せた風丸は、キッと厳しい目つきでクラリオを睨む。しかし、クラリオは気にせず続ける。

「今の日本は以前とは全く違うようだ。本物の戦士の目になっている。いい兆候だ」
「高みの見物か?」
「あぁ、正直そのつもりだった。しかし、考えが変わった」

どこか嬉しそうにも見える表情で、クラリオは昨夜の出来事を語り始めた。
昨夜、クラリオはとある選手の練習を盗み見た。そして、そのプレーにクラリオは驚愕した。日本を迎え撃つ特訓のため、滞在期間を短縮するほどに衝撃を受けたのだという。

「誰の事だ?」

しかし、クラリオに衝撃を与えた選手には誰も心当たりが無い様子で、選手達は顔を見合わせる。
鬼道は怪訝そうにクラリオへと尋ねるが、彼は「気付いていないのか」とどこか意味深な言葉を残すと、大きな背を向けて去って行ってしまった。

「みんなどうした!凄いプレーを見たくらいでビビっちまったのか?」

彼の背中が見えなくなった頃、円堂が声を上げた。
見せ付けられた実力差は今のままでは到底追いつけるものではなく、一部の選手達は勢いを無くして意気消沈としていた。

「あれを見てビビらない奴がいるんですか?」
「ムリ感半端ないでゴス……」

肩を落として弱音を吐く万作と岩戸。そんな二人を嘲笑するかの様に鼻で笑った吉良は、すかさず声を上げる。

「だからなんだってんだよ?あの程度───」
「口だけならなんとでも吠えられる。今の俺達にアレに対抗する実力は無い」

自信満々に告げられた吉良の言葉を灰崎が遮る。
灰崎の言葉は紛れもない事実であり、実力を見せつけられ沈んだ選手達の気持ちを余計に沈ませる。

「でも、気持ちで負けてたら勝てるものも勝てなくなるよ」
「その通りだ。お前達は、世界の力を見せつけられたくらいで怖気付くのか?」

沈んだ気持ちを煽るように、今度は吹雪と風丸の声が響く。二人の言葉に気落ちしていた選手達は、ゆっくりと顔を上げ、目を瞬かせた。
更に続くようにして豪炎寺が口を開く。

「クラリオがここに来たのはビビらせるためじゃない。俺達の本気を試しに来たんだ」
「日本が本物なら牽制することによって更に強くなる、ということか」
「そういうことだ」

顎を摘んで理解を示した基山の言葉に、豪炎寺は小さく頷く。

「みんな、面白いじゃないか」

その時、明るい声が選手達全員の耳に届いた。
一斉に円堂へ集まる視線。その視線の先で、円堂は楽しそうに笑っていた。

「お前達はワクワクしないか?胸の奥から込み上げてこないか?なんかこう、すっげえ熱いのが!」

左手で胸の中央部分を叩いた彼は、片方の手で胸の前に握り拳を作ったまま、身振り手振りと興奮を抑えきれない様子で語る。
熱意に溢れ身を乗り出す円堂に、稲森は一歩、前に歩み出た。

「円堂さん​────いえ、キャプテン!俺なんかワクワクしてきました!」

先程までの暗い表情はどこにもなく、円堂の興奮が移ったかのように稲森の顔にも笑顔が広がる。
高揚を抑え切れない様子の稲森に、円堂は笑みを浮かべて小さく頷くと、ぐるりと周囲を見回す。

「みんな、世界の壁は厚い。目の前に分厚い壁があるなら、それをぶち壊せる大砲になればいいんだ!」

両手を広げて語る円堂の言葉は、先程までの重い空気を一瞬にして変えてしまう。拳を突き出す円堂の姿に、他の選手達は顔を見合せて頷き合う。
視界一面には今や、やる気に満ち溢れた表情が広がっている。

「世界と戦おう!」

円堂キャプテンの言葉に選手達は片腕を上げ「おお!」と掛け声を上げた。
その様子を月詠はただ、ぼんやりと眺めていた。