握りしめた携帯。
画面に表示される名前。
真っ暗な食堂に流れるのは、今日の試合の二遊間のエラーのシーンだった。
白河さんの投げたボールがセカンドのグローブに弾かれて、落ちる。
俺なら、俺だったら 確実に捕れた。
そこから乱れた俺の投球。
「…なんだこれ、」
Joker'sのエースが何してんだよ。
はぁ、と息を吐いて 押した発信ボタン。
数回コールが聞こえて、『颯音?』と電話の向こうから声がした。
「えっと…お疲れ様です」
『お疲れ。どうした?』
「いや、なんか…」
言葉が出てこなかった。
別に、何を話したいわけでもなかった。
ただ頭の中に浮かんだのが、彼だっただけ。
『おう、』
「…なんか、声…聴きたくなっちゃって…」
『なんだそれ。まぁ、俺の声でいいんならいくらでも聞かせてやるよ』
優しいですね、と言えば 知らなかったのかよと彼の独特な笑い声が耳を擽る。
倉持さんは小湊さんと組んでいた。
それが、小湊弟になることで苦労はなかったのだろうか。
すんなり受け入れられたのだろうか。
あの、小湊さんが怪我で代えられた試合の時とか。
『なんかあったのか?また成宮?』
「いえ、鳴さんとは意外と上手くやれてます」
『じゃあ…後輩とか?結構な人数入ってるんだろ、そっちも』
そうですね、と答えて リモコンでエラーのシーンに巻き戻す。
「それは、どうでもいいです」
『意外と冷てぇな。可愛がりそうだと、思ってた』
「俺は、今は…俺のことで手一杯なんです」
らしくねぇじゃん、と彼は言う。
『チーム一つ背負ってた奴が、手一杯なんて。何にそんな、悩む必要があんだよ』
「ははっ、そう言われると…そうですね」
『…もう、迷ってんじゃねぇよ。お前が決めた道だろ」
刺さる。
彼の言葉に携帯を握る手に力が入る。
「迷ってますか、俺」
『じゃなきゃ、俺に連絡なんかしてこねぇだろ。Joker'sの奴らじゃなくて、なんで俺を選んだ?そりゃ、信頼されてるって自惚れちゃいるけど、けど…なんか違ぇ』
「…俺、セカンドなんです」
知ってる、と彼は言う。
「上手く、いかなくて」
『そうは見えねぇけど』
「…違うんです。倉持さんだったら、毎回…相手が変わったらどうです?小湊…亮介さんと小湊。それが試合毎に 数回おきに交代したら?」
二遊間は特に連携が必要なポジションだ。
息をするように、相手を理解して相手とビジョンを共有する。
Joker'sのメンバーとなら、それができるほど長く深い関係を築いてきた。
目を瞑ってたって、相手の望む動きができると思うくらいにはみんな互いに意識の共有ができる。
けど、ここはJoker'sじゃない。
『…白河か、』
「はい、」
『まぁ、正直に言えば きついだろうな。お前とお前の代わりに入るやつのレベルの差が顕著だから、尚更』
何度目かわからない、もう一度巻き戻した映像。
『じゃあ、お前がレベルを下げるのか?白河がレベルを下げるのか?違ぇだろ。ついてこれねぇ奴になんで足並み揃えんだよ。ついてこれねぇなら、邪魔だって言えよ。舐めてんじゃねぇぞって』
「え…」
『俺、最初 亮さんに言われたぜ?けど、だから…死ぬ気でついていこうって這い上がってやろうって思った。Joker'sみてぇに高いレベルで足並み揃えるなんて 無理なんだよ。高いレベルのやつはどんどん高みに昇る。下のやつは、それに血を滲ませながらも ついていくしかねぇ。追いついて、追い越すしかねぇ。それが、本来あるべき野球の姿だ』
本来あるべき姿。
そう言えば、俺は誰かを怒ったことがあっただろうか。
誰かに注意をしたことがあっただろうか。
何度も何度も同じミスを繰り返すセカンドの選手に、なにかを言ったことがあっただろうか。
『人を蹴落とすことは必要だ。チーム内の競争はあって然るべきだ。チームメイトでも、ライバルであるべきだ。颯音さ、Leonardとなんでいつも喧嘩してた?お前の望むレベルについてこないからじゃないのか?お前ならもっとやれるだろって、そう思ってたからじゃねぇの?』
「…そう、だったと思います。舐めた…リードしてんじゃねぇって。もっと、やれるだろって…」
『それだよ、それ。お前、もうJoker'sから来てる玖城颯音じゃねぇんだろ?稲実の玖城颯音だろ?なら、遠慮しねぇで踏み込めよ。お客様気分で、大人しくしてる必要もうねぇだろ。お前の、チームだ』
画面の中で俺がマウンドの土を蹴った。
言葉にしたことなんか、なかったな。
どんなミスにも、どんな甘えにも気付いても 目を逸らしてきたな。
それは、俺が向き合っていなかった証拠か。
「…ありがとう、ございます」
『おう、』
「いいんですか?敵に塩送っちゃって」
全力のお前らに勝つから、と彼は笑った。
「負けません、」
『望むところだよ。…たく、お前はよく迷子になるは』
「え?」
Joker'sのエースだった頃を見失うなよ、と彼は言う。
『喧嘩しろよ。あっちにいた時みたいに、さ』
「そうさせてもらいます」
テレビの電源を消して、立ち上がる。
嫌われるのが怖かったのか。
自分が出しゃばるべきでないと思ったのか。
白河さんに迷惑がかかると思っていたからか。
いや、口を閉ざすことを選んだのはきっと自分を守るためだ。
だが、それでいいはずはない。
背中を預ける相手に、何を遠慮する?
「ありがとうございました」
『おう』
「倉持さんに電話かけたの、正解でした」
白河さんは大変だな、と外側から自分は無関係みたいに思ってた。
俺のせいで苦労をかけているな、と。
けど俺のせいなのか?
違うだろ。
元はと言えば、俺がセカンドに入らねばならない状況になったのが いけないんだろ?
二遊間は白河さんの管轄、自分が口を出すべきでないとどこかで思っていた。
「人に言われなくちゃ、気づけないもんだな」
▽
試合形式の練習。
本場を意識した練習で、また起きた二遊間のエラー。
顔を顰めた白河から伝わる悔しさ。
「あと何回やれば気が済むんですか」
帽子を脱いでそう言ったのは、颯音だった。
どんまいどんまい、と外野からも選手がマウンドに集まって、声をかけていたのに その声がピタリと消えた。
「毎回毎回、同じミスですよね。出来ないなら、外出てろよ。いつまでも、周りが足並み揃えてくれると思ってんですか?試合に出たいなら、白河さんのレベルに追いつく努力をしろよ」
「ちょ、颯音!?」
「監督、俺セカンド入っていいですか」
目を丸くさせた白河と鳴が俺の方を見る。
いや、俺だって驚いてんだって。
「出てってもらえますか?やる気がないならここに立つ資格はない」
グラウンドの外を颯音は指差す。
赤みを帯びた目が冷たくセカンドの選手に刺さる。
監督は何を言う訳でもなく、平野をマウンドに送り込んだ。
「グローブ代えてきます」
「お、おう…」
すれ違う平野と颯音が一言二言言葉を交わす。
それを眺めていれば 「カルロ、何これ」と鳴が俺の肩を揺らした。
「俺に聞くなって!俺が知りてぇわ!」
「初めてじゃん!?こんなのさ!!」
「なんか、白河さんのため?って感じしません?」
樹がそう言ってベンチに戻って監督と話す颯音を見る。
たしかに、白河のためって感じはするけど。
「…気にしてんじゃない?颯音も。白河に迷惑かけてるって」
「迷惑かけられてるのは颯音と颯音の方だろ」
「まぁ、颯音も迷惑かけられてはいるだろうけど。それでもやりやすいように白河がしてるって、颯音なら気づいてるよ。ただでさえ、お前が辛い状況なのに 自分が組むことになって尚更…お前に負担がいってる」
鳴の言葉に白河が俯いた。
「…プレー止めてすいません。お願いします」
戻ってきた颯音は帽子を深く被り直した。
「平野さんもすいません。急に、お願いしちゃって」
「いや、大丈夫だよ。俺はいつでも出られる準備してたから」
「白河さん、遠慮せずに来てもらっていいですか?俺ももう遠慮する気ないので」
帽子の奥一瞬見えた目はどこか冷たさを滲ませる。
だが、その奥にあるのは間違い無く 勝利への執着な気がした。
「よっしゃ、任せたぞ!颯音」
背中を叩いてそう声をかければはい、と彼は少しだけ笑った。
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