「赤松」
「っあ、はい!」
「集中出来てないから 一旦休憩入れる」
颯音の言葉にブルペンの空気が固まった気がした。
マスクを取ってふー、と大きく息を吐いた颯音は赤松に視線を向けることもなく飲み物を取りに行く。
「すいません、玖城さん」
しゅんと肩を落とす赤松を一瞥し、颯音は溜息を吐いた。
最近 颯音は言葉で注意する事が増えた。
今日みたいなことも 他の練習でもよく見かける。
「俺とのバッテリーは強制じゃない。調子崩すくらいならやめよう」
「そんなこと!ない、です」
ただまぁ。
その雰囲気に慣れないせいか周りが怖がってしまっているのも事実だ。
「別にコントロールが悪かろうが すっぽ抜けようが対処するよ。けど、集中してない奴のボール受けるのはストレスだし 怪我のリスクも増えるから やりたくない」
「颯音ー もうちょい優しく言ってやんなよ」
しゅんとしていく姿を見てられなくて声をかければ 俺間違ってますか?と颯音は首を傾げた。
「間違っちゃいねぇけど。言い方はあるじゃん、後輩なんだし」
「…鳴さんが言いますか、それ」
まぁね?!俺も口はよろしくないけども!!
その言い方はなくない!?って噛みつこうと思ったけど 彼は視線を逸らしてマスクを被った。
「野球する以上、先輩も後輩もなくないですか?他人の事蹴落として背番号もらってそこに立ってんですよね?」
「そ、れは…まぁ、そうだけど」
「なら、蹴落とした人間全員背負ってプレーすべきですよ。後輩だとしても、それは変わらないです」
それが出来ない人と野球をする気はありません、と彼は言い切った。
「赤松。やんの?やんないの?」
「や、やります!」
赤松の返事に何か返すわけでもなく、はミットを構えた。
彼に投げ込まれたボールはパァンと良い音をさせて、ミットに吸い込まれていって ナイスボールと颯音の落ち着いた声。
「やれば出来んじゃん」
「あ、ありがとうございます!」
今まで見た捕手とは違うタイプなんだよね。
言葉はあれだけど多分、投手をのせるのは上手い。
そこからはたしかに赤松は集中して投げれていた。
初め、殆どしていなかったアドバイスもし始めているし。
ただ、親密とかそういうのとはやはり違う。
必要最低限のことを必要最低限に伝えてるって感じ。
樹とやってる時はこんなピリついた雰囲気出してないし。
交代を知らせるアラームが鳴り颯音はマスクを外し、薄ら額に滲んだ汗を拭う。
「ここ数日で1番良いボールだった」
「あ、はい!ありがとうございます!」
「…蹴落としてきたのは、お前だけじゃないから」
え、と固まった赤松に少しだけ颯音が視線を彼に投げた。
どこか諦めたような、感情の見えない瞳に 嫌な感じがした。
「お前1人が背負うものじゃない。けど、そういう人達のお陰で野球が出来てるって忘れないでね」
「はい」
「今日の最初みたいな投球するなら 俺は容赦なく代われって言う。けど、お前が全力でやって その上でしてしまったミスや失点なら、お前の後ろにいる人たちがどうとでもしてくれるし俺が取り返す」
アイシングは誰かにして貰って、と言って彼は樹を呼んだ。
「いける?」
「颯音は休まなくて平気?」
「問題ない」
右手にグローブをつけた彼が一度こちらを見る。
「鳴さん移動じゃないですか?」
「…そーだけど。何?俺には見られたくないって?」
「いえ。見られて困るもの投げないので。好きにして下さい」
軽く投げて樹が座る。
どこか楽しそうな横顔。
右と比べればコントロールは劣るが、それでもだ。
一つ一つの質は高い。
アイシングしながら目を奪われてしまっている赤松に笑ってしまった。
気持ちは痛いほどわかるよ。
左で投げてる時の颯音は魅せるのが上手い。
「颯音、少しボール浮いてるよ」
「やっぱり?」
ふっと指先に息を吹きかけ、くるりと肩を回す。
「調整する」
「おっけ」
▽
薄暗い倉庫裏。
グローブの手入れをしながら溜息を吐く。
無駄に疲労を感じた1日だった。
鳴さんが俺のことを気にかけてるのも見え見えだし、赤松は赤松でやりにくいんだろうな。
どっちも原因が俺にあるとわかっているから面倒くさい。
「放っておいてくれればいいのに」
なんて、きっと鳴さんには無理なことなんだろう。
ピロリン、と携帯が鳴る。
時間的に向井だろうと携帯を見れば予想通り。
あの電話の日から 毎日ではないが練習が終わる時間に通知が来る事が増えた。
その日にあったことを書き連ねた長文のメッセージ。
部活だけじゃなくて学校で起こったことも書いてくるから なんだか普通の友達みたいだった。
あ、アイツは友達だと言っていたから これは友達みたいって言ったら失礼なのかもしれない。
友達なんて響き、久しぶりだな。
Joker'sのメンバーは友達というより家族だし、仲間って感じで。
稲実の人たちもそんな感じだから。
友達っていう なんか普通の関係を築いたのは凄く久しぶりな気がした。
人を、信じられなくなった自分には 仲間は勿論 友達なんて 以ての外だった。
人に踏み込むのも、踏み込まれるのも 無理だった。
それを思い出せば 少しは日本に来て変われたところもあるのかもしれない。
彼の長文を読みながら、向井の今日はこんなプレーが出来て、最高にテンションが上がったという言葉を見つける。
その言葉の下に、お前はどうだった?と綴られていた。
向井に言われた 楽しい瞬間ってないの?という言葉が頭の中を過ぎる。
野球は好きだ。
好きだし、楽しいとも思ってる。
けど、向井とは違う気がした。
野球をする上で付いて回る過去。
忘れちゃいけない、忘れたくない。
その思いで 俺は逃げちゃいけないって その感情だけで やってきた時期がなかったわけじゃない。
好きとか嫌いとか そういうのじゃなくて、辞める権利がないと思っていた。
Joker'sが出来てからは そう思うことも減ったし、アイツらと野球を出来ることが幸せだと思っていたし。
ここに来て鳴さん達と野球ができることも とても幸せなことだとは 思ってた。
けど、間違いなくある。
心の真ん中に、目を背けられない場所に。
「…俺にとって、」
野球は十字架だ。
罪の証明。
楽しむって感情と相反するそれ。
楽しんでいいのだろうか、と思うんだ。
俺だけ幸せになって、いいのかって。
もっと、救えたんじゃないのか。
もっと、何か出来たんじゃないのか。
そう思わずには いられないんだ。
沈んでいく思考が、俺の名前を呼んだ声で止まった。
「…神谷さん」
「お疲れさん。なるほどね、普段いなくなると思ったらこんなとこに隠れてたわけか」
「…別に、隠れてるわけじゃないですよ」
彼から視線を逸らして通知の光る携帯を裏返した。
「そう?」
「そうです」
真っ直ぐと自分を見下ろす瞳。
気まずくなって目を逸らせば彼が笑った。
「なんかあったらちゃんと言えよ」
「何もないですよ」
「これ先もないとは限らねぇだろ?鳴とか白河とか、後輩とか。これからなんかあるかもじゃん?」
全部お見通しですよ、と言われた気がした。
白河さんとの事なんて、気づかれるとは思ってなかったのに。
よく人のこと見てるよな、この人。
テキトーそうに見えるのに、感情の揺れには機敏だ。
「ありがとうございます。今は、お気持ちだけもらっておきます」
「そ?まぁ、そんな日陰にばっかいないで 偶には日向に出てこいよ」
彼の手が俺の頭を撫でて、笑顔を見せた。
「暗いところにいたら、気持ちまで引っ張られるぞ」
「…はい」
「じゃ、お疲れさん」
何がしたかったのかわからないが。
恐らく、俺の変化に気づいているぞ と伝えたかったんだろう。
何かあれば頼ってこいよ、という優しさだろう。
いつでもおいで、と手を差し出されたようなそんな感覚だった。
「…ダメだな…、色んな人に心配されてる…」
昔はもっと隠すことも上手かった気がするのに。
▽
「…どーなることやら、」
真っ暗な闇の中に彼を見つけて、思った。
アイツはうちに来た時とまだ変われていないんだと。
誰も信じず、言葉を飲み込み、目を逸らしてばかりいたあの頃と。
仲良くはなれたし、信頼もされただろう。
ちゃんと稲実の一員として、同じ目標を目指してくれている。
そこは間違いないのに。
「知らねぇんだろうな…」
人を頼るということを。
誰かに相談するということを。
救う為に差し出された手を、取る方法を。
自分の弱さを見せて、人に縋るということを。
「カールロ!何してんのー?」
「ん?いや、別に」
鳴が笑顔でこちらに駆け寄ってくる。
このマウンドの上では気丈なエースでさえ、俺たちには弱音を吐く。
愚痴を言って、悩みをぶつけてる。
颯音にはまだ、それがないんだよな。
プレーに関して、口は出すようになった。
アドバイスも注意もしてくれる。
けど、彼自身が抱える感情はまだ、一つとして出てきちゃいないんだ。
もしかしたら鳴には打ち明けているのかもしれないけど。
それでも、颯音に対してまだ遠慮してる彼が全てを受け止めきれているとは思えない。
「人に頼るって、そんな難しいことかね?」
「何さ、急に。…まぁ、けど 難しいんじゃない?自分の急所晒すようなもんじゃん?…俺はほら、1年の時かっこ悪い姿見せちゃってるから今更!ってとこあるけどね!」
颯音の話だとわかったのか、鳴は倉庫の方を振り返った。
あそこにいる事も鳴は知っているのだろう。
「その急所に噛み付かれるかも!とか思うんじゃん?アイツならさ」
「…別に、颯音の話とは言ってないぜ?」
「俺も颯音とは言ってないけど??」
交わった視線。
こんな誤魔化しに何の意味があるのか。
彼も同じことを思ったのかふっと笑った。
「まだまだ時間がかかるんだよ。100%は遠いね、カルロ」
「…だなぁ」
「諦める気はないけどね!」
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