もうそろそろ寝ようって時に部屋にノックの音が4回響く。
ご丁寧にノックするなんて、思いつくのは1人だけ。
はーい、と返事をしながらドアを開ければ予想通りの男が立っていた。
風呂上がりなのか髪はしっとりとしていて、首筋には髪から流れたのか雫が伝う。
「おやすみのところすみません」
「お前がこんな時間に来るなんて珍しいね、颯音。どした?」
「報告がありまして、」
中入れば、と言えばすぐに済みますと彼はやんわりと断った。
「明日明後日なんですけど、チームから離脱します」
「は?なんで?」
「Joker’sの方の仕事で…急な欠員が出たみたいで、向こうから寄越すにも時間が足りないようで」
それでお前?と尋ねれば彼はこくりと頷いた。
「もう決定事項なんだ?監督は?」
「監督からは許可は貰ってます」
「ま、そうだろうね」
前日に報告に来るだけマシになったんだろうけど。
事前に相談ってもんが未だに出来ないらしい。
「お前がさ、俺たちを選んでくれたとはいえ…Joker'sでなくなったわけじゃないのはわかってるよ」
「はい、」
「けどさ、あんまりお前を目の届かない所に…送りたくないってのが正直なところ」
颯音は少し困ったような眉を下げた。
「…まぁんなこと言われてもって感じかもしれないけど」
「すみません…」
「いーよ。理解はしてる。どうやってもお前は、Joker'sのエースなんだもん」
言葉にしてから、言い方まずったなぁと彼の表情を伺う。
少しだけ俯いた彼は気まずそうに視線を彷徨わせて、その目も伏せた。
「…すみません」
「あー…颯音、勘違いすんなよ」
「はい?」
お前を信頼してるから行かせんの、と言えば陰りのあった表情に困惑が浮かぶ。
「帰ってくるってわかってるから、お前の立場を理解してやれる。そうじゃなきゃ、アメリカ帰る時みたいになるって」
「え、と…」
「俺たちを選んだとはいえ、お前の立場は変わらない。だから、こういうイレギュラーも仕方ないって思ってる。けどさ、お前すぐ無理するから 目を離したくない」
過保護ですね、と彼は呟いて安心したように表情を緩めた。
「誰のせいだと思ってんの?」
「すみません、」
「ま、今回は許してあげるよ。俺優しいからね!とりあえず、怪我には気をつけて。何するか知らないけど」
まぁ、けどいいタイミングか。
練習後、梅宮と話してる時の颯音の表情ちょっと気になってたんだよね。
明日も組むことになってはいたし、避けられるなら避けた方が良いだろう。
それに一也も妙に颯音に絡みたがる。
捕手やってるのを見せてしまったのが尚更、興味を煽ったんだろう。
「他のやつには?」
「まだです」
「じゃあ、俺から伝えておく。樹には自分で伝えて」
はい、と彼は答えて それじゃあ戻りますと笑みを浮かべぺこりと頭を下げる。
「こっちには帰ってくんの?明日の夜」
「帰らない…と、思います」
「おっけ。じゃあ夜連絡して」
わかりました、と彼は答えて背を向けた。
が、すぐにこちらを振り返った。
「どした?」
「連絡先、知らないです…」
「え?………あ、」
正月に知らないって思ったのに、結局交換してなかったんだった。
「お前、他のやつのは?連絡先知ってんの?」
「樹のはアメリカから戻った時に」
「お前、よく迷子になるんだからちゃんと皆と交換しといてよ」
迷子、と呟いた彼は苦笑を零した。
あの青道のマネージャーも 俺より先に連絡先交換してんのかな。
てかまず、最近連絡してるお友達ってあのマネージャー?
「鳴さん?」
「ねぇねぇ お前もさ、彼女欲しいとか思うの?」
「え?急になんです?」
ちょっと思っただけ、と笑えば彼は「思いませんよ」と静かに答えた。
「今以上の幸せは、流石に求めすぎだから」
「求めすぎ…?」
「その資格が俺にはないってことですよ」
連絡先を登録した彼は「おやすみなさい」と彼は微笑み、頭を下げてから踵を返した。
彼女を作る気がないことを喜ぶべきか、あいつ特有のあの諦念を嘆くべきか。
「幸せになる資格がない、ねぇ…」
アイツらしいっちゃらしいけど。
あの思考はどうにかなんないもんかね。
▽
珍しい客が来ていた。
俯きがちな疲れた顔をする彼女は「Hayatoくんは…?」と小さな声で問うた。
「今はいないっすよ」
「………そう、」
唇が微かに震え、指先は落ち着きなく反対の指を撫でる。
「Hayatoに会いに?」
「………試合に、出ていない…から…何かあったのかと、その…」
「心配してくれたんすね」
彼女は目を見開いて、勢いよく顔を上げた。
だが俺と目が合うと申し訳なさそうにまたその目を伏せた。
「元気にやってますよ、あいつ」
彼女の向かい側に座り、「見ますか?」と携帯を彼女の方に見せた。
「ぁ、」
画面の中、稲実のユニフォームを着てマウンドに立つ彼を見て 彼女は唇を噛んだ。
可哀想な人だと、思う。
いつまで経っても救われない、この人も颯音も。
目の前に差し出された救いの手を、掴む方法を知らないのだから。
「今、日本にいるんです。そこで野球をしてます」
「…日本、」
「そうです。正しい野球を探して」
そう、と彼女はほんの少しだけ口元を緩めた。
「日本の野球は凄いんだって、話してました」
「Hayatoくんが凄いのよ」
「それも、あるかもしれないですね」
凄い子だったわ、と彼女は懐かしむように呟いた。
「……少しの間、アイツ日本にいるんです。だから、帰ってきたら…会ってみませんか」
首を振って無理よと呟く。
私はまた彼を責めてしまったから、と彼女の声は震えた。
彼女と出会ったのはJoker'sが出来てから初めて、Hayatoが大怪我をした時だった。
病室の前に、彼女は毎日訪れてはその扉を開けることなく立ち去った。
それが何日も続き、俺は彼女に声をかけた。
彼女のファミリーネームには聞き覚えがあった。
死んだ、彼のチームメイトの名前。
怪我したHayatoを心配しながらも、彼女はそれを伝える術を持ってはいなかった。
あの頃から、彼女はHayatoを気にかけていた。
自分の息子を奪った相手だと恨みながらも、自分の息子のせいで苦しんでいることも知っていたから。
可哀想な人だ。
前にも後ろにも進めない。
あの日から彼女の時間は進んでいない。
「…あの子が元気でいてくれるなら…それでいいわ」
「そうですか」
「……ごめんなさいね、邪魔をして」
いえ、と答えれば彼女は立ち上がり荷物を持って出ていった。
残された紅茶は手付かずで微かに湯気がたつ。
「……どいつもこいつも、めんどくさい」
コンコン、とノックの音が聞こえた。
顔を出したRexは「お客さんは帰ったの?」と部屋を見渡した。
「帰った」
「…なんかイライラしてる?誰が来てたの?」
別に、と答えて残された紅茶をシンクに流す。
薄い赤茶色が流れて、僅かに溜まりを作った。
「………なんで、どいつもこいつも差し出した手を掴まねぇんだろうな」
「え?」
その手を掴めば救われるってわかってるのに。
「救われたいわけじゃないんじゃない?」
「じゃあどうしたいんだよ」
「罰を受けることで、生きることを許されているって思ってるんだよ。きっとね。裁判で裁かれ罰を受ければ世間に許されるのときっと同じ」
馬鹿らしいと呟けば彼は笑った。
「Leoは罪を背負っていないから、」
「……少なからず俺だって、蹴落としてきた」
「知ってる。ここにいるみんな、そうだから。けど程度が違う。罪の重さが違う」
死んでしまった方が楽だって思う罪があるんだよ、と彼は静かに言った。
その彼の表情は、Hayatoにもあの人にも似ている気がした。
諦念と絶望を溶かしたみたいな、そんな表情。
「お前は?じゃあ、どんな罰を受けてんの?」
「俺?俺はね、向き合い続ける事が罰かな。このチームが好きだしHayatoが好き。けど、好きになればなるほど 愛せば愛すほど 俺のつけた傷から目を逸らせなくなる」
左肩を摩った彼は笑った。
「Hayatoは許してくれる。許されるチャンスを何度もくれた。けど受け入れられない。…俺は俺を一生許せない。許さない。許されて生きることなんて出来ないから」
「…めんどくせぇ」
「ごめんね」
突きつけられる、お前は違うと。
お前には分からないと。
分からないことがきっと幸せなんだろうけど、分からないから救わないのは違う。
救いたい、救ってやりたい。
成宮鳴じゃ無理だって思ってるけど。
違うな、無理だって思いたいんだ。
お前になんかって かっこ悪い嫉妬。
けど、それでも救われて欲しい。
「
神様にお願いするかぁ」
「え?」
「神頼みなんて、クソ喰らえって…思うけど」
きょとんとするRexを無視して蛇口を捻った。
溜まっていた濁りを水が流していく。
こんな風に、あの男なら流してくれるかもしれない。
なんて。
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