第2試合。
アメリカの1点リードで迎えた7回の裏。
「ここでお出ましとは」
「相当信頼されてるな」
カルロから始まる好打順の状況でマウンドには颯音が上がった。
彼は胸元を握り締め俯く。
いつも見る見慣れた光景だ。
あの鍵のついたネックレスを握りしめ、受け取り手のいない懺悔を今日も捧げる。
マウンドに上がるまでは沢山声をかけていたチームメイト達は彼が俯くと ぴた、と声をかけるのをやめた。
まるで初めからそうするべきだったのだ、と言わんばかりに彼らは颯音を静観していた。
颯音の手がネックレスから離れ、顔を上げた。
ゆっくりと目を開けた彼に、その瞬間を待っていたのか声がかけられる。
それに応える颯音はやっぱりいつもより、ピリついているように見えた。
指先に息を吐き、捕手のサインに頷く。
バッターボックスに立つカルロにとってはもう見慣れたボールのはずだ。
なのに、投げ込まれた一球に大きく肩を揺らした。
見逃した1球目、続く2球目は空振り。
たった2球で追い詰められるカルロにこちらのベンチがザワつく。
3球目はインコースにズバッと。
まるで1試合目の楊の投球を、「できるのはお前だけじゃない」と煽っているみたいにストライクゾーンギリギリに差し込んできた。
三振でバッターボックスを出たカルロは白河に何か声をかけ、ベンチに下がってくる。
「戻ってくんの早過ぎない?」
「悪ぃ」
カルロは苦笑をこぼし、ありゃヤベぇわと呟いた。
「どんな?」
「別に球速とか球威が速くなってるわけじゃねぇんだよ。いつも通り。けど、なんつーの…?鋭さ?が違う。普段と雰囲気っつーのかなぁ…」
別人の球を受けてるみたいだ、とカルロはバッターボックスに立つ白河に視線を投げた。
「知らん奴と戦うつもりでいけ、とは言ったけど。ありゃ、1打席じゃ攻略できる気がしねぇわ」
その言葉通り、白河も何とか食らいついてはいるが決定的なものにはならない。
ファールを何とか重ねる白河への7球目。
有無を言わさぬ、ど真ん中へのストレートは白河のバッドをへし折った。
「やーば、」
「…なんで笑ってんの、お前」
梅宮が俺を見てそう言った。
笑ったつもりはなかったけど、自分の顔に触れれた確かに口角が上がっている。
自分の耳に、心臓の音が聞こる。
なんと名前を付ければいいのか分からない感情が、ふつふつと湧き上がる。
ベンチに戻ってきた白河は悔しそうにバッドを置いた。
「カルロスの言う通り、別人だ」
別に普段のお前が手を抜いてるとは思わない。
けど左投げと右投げでお前の雰囲気が変わるように、今お前の中で何かが変わっているんだろ?
あぁなんで第1試合で出てきてくんなかったのかな。
第1試合で投げたせいで俺はベンチだし。
お前のその球を直接見ることができないなんて。
「いいなぁ」
一也を三振に打ち取った颯音は帽子を外し鬱陶しそうに髪をかき上げる。
かけられるチームメイトからの声に片手を上げ応えた彼はこちらを見た気がした。
いや、気がしたじゃない。
間違いなく颯音は俺を見て、薄ら笑みを浮かべ帽子を被り直した。
彼の笑みを浮かべていた唇が何かを呟く。
「今、颯音こっち見てなかった?」
カルロの言葉に俺はやっぱり笑ってた。
「鳴?」
「はやく、だってよ」
「え…」
出れねぇってわかってんだろ。
わかった上で、お前がそんなこと言うなんて。
「…俺も打ちたい。アイツと真剣勝負がしたい」
「鳴、」
「その為にアイツあそこにいんのに。なんで出れねぇんだよ」
▽
点差はそのまま迎えた9回。
颯音はここまで誰も塁に出していない。
9回の1人目が三振に倒れたのをベンチから見ていた俺を監督が呼んだ。
そして、準備をしていろと言ったのだ。
「え…」
驚いたのは俺だけじゃないはずだ。
「借りてきた投手陣を3回以上投げさせる訳にはいかない。まだ1点差…もし延長になった時は、お前で行く」
アイシングを、とここまで投げた投手に声をかけて 監督はこちらを見た。
「できないのか?」
「っ、できます!」
ありがとうございます、と言った俺の声が弾んでるがわかる。
9回の裏。
ツーアウトで告げられた代打。
マウンドの上の颯音は待ってましたと言わんばかりに笑った。
そして、審判に何か声をかける。
ネクストで軽くバッドを振っていた俺に、颯音に声をかけられた審判が声をかけてきた。
「玖城くんから左で投げたいと申し出があったんだけど、どうする?本来スイッチピッチャーは打者が決まる前に投げる手を決めるのが決まりだから、断ってもいいんだけど。公式戦ではないしどうしても、ということでね」
どうする?と尋ねた審判にまた心臓の音がした。
マウンドの上、颯音は答えを待つように俺を見ていた。
「喜んで。そっちの方が、俺も嬉しいです」
「わかった」
1度試合が止まり、颯音はベンチに下がる。
向こうの内野がマウンドに集まり、右手にグローブを嵌めて戻ってくる颯音を迎えいれた。
雰囲気を変える1球、とか空気を変える一振ってのはある。
それは土壇場の火事場の馬鹿力のこともあれば、それがコンスタントにできる人もいる。
そういう人がいるチームは強い。
だが、彼はそうじゃない。
存在そのものが、空気を変える。
圧倒的な存在感。
彼がマウンドに立った、ただそれだけで チームの空気を変えてみせた。
鋭さを増した彼の表情に釣られるように、チームメイト達の雰囲気も研ぎ澄まされる。
耳に届く心音。
空気は張り詰めているのに緩む口元。
力が入りすぎて白くなった手を数回握り直す。
ドキドキしてる。
ダメだけどチームの勝敗とかどうでもいい。
ただ、もう お前以外何も見えない。
お前もそうでしょ?
数回ならしでボールを投げた彼が頷き試合が再開する。
マウンドに立った彼が軽く肩を回し、俺を真っ直ぐ見つめた。
こんな時でも俺の言ったこと忘れてねぇんだとか。
お前のその鋭い眼光に射抜かれるこの気分がどうしようもなく嬉しいとか。
このまま時間が止まってしまえばいいと、思ってしまうくらい今この瞬間が心地いいとか。
颯音はサインに頷いて腕をふりかぶる。
いつも隣で見ているはずの姿なのに、もう何度も見てきたもののはずなのに。
ミットに収まったボールが鳴らした音は、いつもと違った。
球威も球速も同じ?
そんなはずない。
まるで違う。
キレッキレじゃん。
はは、と笑い声が零れる。
わかった。
俺今、すげぇ興奮してるんだわ。
1度バッターボックスを出て俯く。
投げてる時、たまにある。
めちゃくちゃ大事な場面なのにすげぇ楽しくなっちゃう瞬間。
打つ方では初めてかもしれない。
顔を上げれば、颯音は変わらず俺を見ていた。
他人のように見えて嫌だと思ってたあの目が、俺だけを映してる。
もう一度バッターボックスに入り、バッドを構える。
サインに頷いた彼は、どんな思いでボールを投げてんだろう。
バットに当たったボールの重さに、インパクトの瞬間電気が走ったみたいだった。
ボールはファールゾーンに落ちて、2アウト。
下手したらあと1球で終わる。
勿体ねぇな、なんで野球って3アウトで交代なんだろ。
まだストレートしか投げてねぇよな。
変化球は投げねぇの?
あぁ、初めましての捕手には捕るのは難しいんかな。
樹も結構苦労してたけど、それ以上に本気で投げてるよな?
じゃあ、次もストレートだよな。
お前の全力のストレート。
「あー、楽しい」
楽しい。楽しいんだ。
お前とのこの瞬間が、またいつか訪れるかな。
もっと歓声に満ちた球場で、もっと熱気が肌を焼く球場で。
俺とお前だけになれる、そんな瞬間が訪れるかな。
そん時はさ、ストレート以外も投げてよ。
投げて、投げられて、打って、打たれて。
2人して先発からやろう。
9回の裏までバチバチにやろうよ。
「ストラーイク!!バッターアウト!!」
空を切ったバット。
「ゲームセット!」
そん時は、この借りを返してやっから。
颯音は帽子を脱いで、頭を下げた。
顔を上げた彼と目が合うと、その瞳は鋭さを溶かした。
微笑んだ彼はチームメイトに囲まれて見えなくなる。
悔しいなぁ。
俺のボール、ホームランにされてるし。
俺は俺で打てねぇし。
けど、なんでか 俺らしくもなく 一切怒りが湧いてこないんだよな。
「颯音!」
囲まれた彼を呼ぶ。
「ナイスボール」
かけた声に彼はありがとうございますと日本語で答えて、左肩を摩った。
「残念だったな、」
そう声をかけてくれた白河に全然、と笑った。
「最強の味方でしょ?」
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