階段の上で傾いた体。
力が入っていないのか 人形のように崩れ落ちそうになる彼の腕をぎりぎりで掴んで、こちら側に引き寄せる。

「あー、、間一髪」

大丈夫か、と抱き寄せた颯音の顔を覗けばその目はぼんやりとしていてなにも映していなかった。
焦点の合わない目に焦った顔をしてる俺が映り込む。

「颯音、大丈夫?ねぇ、颯音」

頬をぺちぺちと叩きながら名前を呼んでいれば彼はゆっくりと二回瞬きをした。

「あ、れ…鳴、さん?」
「戻った!!」
「戻った?」

てか、ここって…
颯音は身体を起こしてゆっくりと周りを見渡す。

「あ、」
「颯音?」

彼の目に階段が映った。
その瞬間 彼の体に力が入り、デッドボールの時のようにカタカタと震え始める。

「ちょ、颯音!?」

すいません、と彼が言う。

「俺、またやったんですね」
「え?」
「すいません…ご迷惑をおかけしました」

彼は少し浅い呼吸を繰り返して 俯きながらすいませんと何度も繰り返す。

「大丈夫だから!な?」
「すいません」
「もう謝んなってば!大丈夫だって言ってんじゃん」

まるで小さな子供みたいだった。
ずっと謝る颯音の頭を撫でて、彼の背をぽんぽんと叩く。

「大丈夫だから。部屋戻ろう。寒いっしょ?」
「すいません」
「あーもう、謝んなってば」

お前はなにも悪くないでしょ、と言えば彼はゆるゆると首を横に振った。





目の前に急な階段。
そして、未だにやまない雪。

鳴さんの手の温かさを感じながらも、頭の中を流れる映像に俺は目を固く瞑る。

もう嫌だ。
見たくない。
やめてくれ。

頭の中でそう繰り返しても、映像は流れていく。

ニューヨーク。
その日は大雪だった。
積もった雪に子供の足跡。
空は灰色で、白い雪が止めどなく落ちてきていた。

別のチームから移籍をして、すぐのことだった。
引き抜かれた俺がそのチームに入り、元々エース番号を背負っていた先輩はスタメン落ちした。

「お前のせいだ」

彼の声はきっと忘れない。

ふわりと浮いた体。
振り返って見た彼の表情。彼の目。
俺はきっと忘れることはないだろう。

緩やかに落ちていく。
そして、激痛。

真っ白な雪が赤く染まって。
彼が階段の上で笑った。

「ざまぁみろ」

お前なんかいなくなればいいんだ。

彼の姿が見えなくなって、雪が頬に落ちていく。
流れる血が暖かいのに体はどんどん冷え切っていって。

あぁ、そうだ。
俺はこの日初めて知ったんだ。
これが望まれる 強さなのだと。
こうして強くなっていくのだと。
こうして蹴落としていくのだと。
全ては、エースになるために。

この日が俺の人生の一つ目の分岐点。
俺が踏み外した日。





「颯音…?」

震えが止まったと思えば 彼はもう力なく項垂れていて。
瞳が閉じられているところを見ると 意識がないみたいだった。

「…はぁ」

なんだったんだろう。
颯音はこの階段で何を思い出したんだろう。

「とりあえず、風邪引く前に部屋に戻ろう」

薄着の彼を背負って、真っ暗か道を戻っていく。

結局何もわからなかった。
けど、たぶん。
あの階段の下に 触れてはいけない過去があったんだと思う。

「ねぇ、颯音」

返事がないことはわかってて俺は言葉を続ける。

「野球って、楽しいもんなんだよ」

鬱病になるほど追い詰められるものなんかじゃない。
そんな傷だらけの体になるスポーツじゃない。
心に傷を背負わなきゃいけないスポーツじゃない。

「お前は 何を見てきたの。
お前は何を背負ってるの。
お前には、何が見えてるの。」

お前は一体、何者なの。

「鳴さん!!」
「颯音!?」

樹達が俺たちに駆け寄ってきて、大丈夫か!?と焦った顔を見せる。

「ヘーキヘーキ。途中で倒れたっぽくて、回収してきた。樹、重いからパース」
「え、あ!はい!」
「部屋に運んでおいて」

わかりました、と颯音をおんぶして部屋に急ぐ樹を見送ってから カルロと白河の顔を見る。

「何があった?」
「とりあえずよくわかんない。けどね、」
「なに?」

あいつのことちゃんと見ておいた方がいいと思う。
俺の言葉に二人が顔を見合わせる。

「元々変なのはわかってたじゃん。信頼のないチームにいたとか、あの体の傷とか。ラフプレーについてとか」
「まぁ、普通ではないけど颯音」
「俺らが思ってるよりも、深刻なんだと思う」

病気のことは言わなかった。
言うべきではないと思ったから。

「あいつの過去は 間違いなく地獄だった」
「地獄…」
「言葉にすれば それだけの話なんだよね。けどそれが、全てなんだ」









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