次の日の朝。
昨日の雪は嘘のように空は真っ青。
雪も雨交じりだったからか、日陰に僅かに残るくらいだった。
颯音は何事もなかったかのように朝早くから活動していた。
大丈夫かって声をかける奴も多かったけど、彼は大丈夫です。ご迷惑をおかけしましたと 笑っていた。
「あ、おはようございます」
颯音は俺に気付いて、会釈をする。
「はよ。もうへーき?」
「はい、大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」
まるで機械のようだった。
さっきの奴と同じトーン同じ言葉。
テンプレートを何度も再生してるみたいだった。
「覚えてんの?昨日のこと」
俺の問いに彼は俺と目を合わせた。
「…答えたくないなら、いいよ」
「いえ、別に」
颯音は目を伏せてから俺の左手に 恐る恐る触れた。
壊れ物に触れるみたいなその手は、僅かに震えているような気がした。
「痛めて、ないですか」
「え?」
「俺のこと、助けましたよね」
あぁ、そういえば。
あの時は無我夢中だったから忘れていた。
「へーきだよ。そんなにやわじゃない。」
「そうですか…それなら、いいんですけど」
覚えてるんだ、あの時のことは。
あんな状態だったのに。
「…次は、助けなくていいですよ」
「は?」
「鳴さんに怪我させるわけにはいかないので」
よくあることなんです、って彼が笑う。
「…俺は、お前に怪我されると困るんだけど」
「俺はいいですよ、慣れてるので」
「慣れてても!!痛いんだろ!?」
震える彼の手をぎゅっと握れば彼の肩がびくっと震える。
「痛い時は 痛いって言え。辛い時は辛いって言え。助けてほしい時は助けてって言えよ」
「いや、けど…」
「けどもクソもねぇよ!覚えろ、それが普通なんだ」
びっくりしてるのか、固まってしまった彼は俺と目を合わせてから 赤みがかったその目を不安げに揺らした。
珍しい姿を見せた彼は、困ったように笑った。
それは、どこか 諦めているようにも見えて なんかイラッとした。
「あの階段の下に、お前は何を見たの?あの雪の中、お前は何を思い出したの?」
「え?」
聞く気は無かったそれを聞けば彼は目を伏せる。
やらかしたって思ったけど彼は小さな声で話し始める。
「あの階段の下に、いるのは俺なんです。真っ赤に染まる地面と体に積もっていく真っ白な雪。温度が徐々に下がっていって動かなくなる体。静かで。ただ、全てが、静かに」
彼は俯いたまま笑っていた。
「雪が降ると思い出します。毎年、毎年、毎年。眠り続けてる間もずっと、あの瞬間を夢に見る。目を覚まして、ふらふらと歩いて 行き着くのもいつも階段」
俺は何度もあの日を繰り返すんです。
何度も階段の上にいる彼を思い出すんです。
「忘れちゃいけない。けど、なにより忘れたい。あれが、思えば地獄の始まりだったような気がする。地獄に落とされた瞬間だった気がする」
きっと俺は、あの時。
彼はそこで口を閉ざす。
俯く彼の顔を覗き込んで、俺は固まった。
彼が泣いているように見えたから。
「あのとき 死ぬべきだった」
「は…?」
「死んで、しまえばよかった。だから、何度も何度も何度も繰り返すんです。死ねるまで。あの日を」
彼は俺が握りしめたのと反対の手で乱暴に自分の髪をかき混ぜた。
そして、大きく息を吐く。
「、すいません…」
なにやってんだろ、と颯音がゆるゆると首を振った。
こう言う時にかける言葉を俺は持っていない。
だから、ただ頭を撫でて 大丈夫と呟く。
「お前は大丈夫。大丈夫だよ」
何が大丈夫なのか、わからないけど。
ただ、それしか言えなかった。
颯音は静かに俺に撫でられていた。
握りしめた手は冷たくて、雪みたいだった。
こういう時、樹みたいなカイロを持っていればよかったな、なんて思った。
「生きてて、いいんだよ。お前は、生きていなくちゃだめ」
そうじゃなきゃ、俺がお前と野球できないじゃんって言えば彼は笑った。
「そうですね」
「生きて、いいよ。俺が許す」
「何で、鳴さんが…」
俺はお前のエース様だからな、って言って 彼の手を離す。
「お前のエース様が生きろって言ってんだから、生きろよ」
「…はい。エース様の仰せのままに」
彼はすいませんって、笑った。
うん、いつもの顔に戻ってきた。
「ほら、ご飯いくよ」
「はい」
颯音に背を向けて歩き出す。
「ねぇ、鳴さん」
「なに?」
振り返って彼を見れば彼は少し遠くを見ているようだった。
「あの時、どうしてあいつは泣いてたんだと思いますか?」
あの時とは今の階段の話だろうか。
さっきの話的に、颯音は階段の下に倒れていた。
血を流して。
そして、そこに現れるもう1人。
要するに、突き落とされたんだろう。
ずっと昔に彼が話してた 夜の階段で後ろから ってやつと同じ。
「お前と一緒だよ」
「え?」
「お前と一緒で。痛いも辛いも助けても。誰にも言えなかったんだろ」
颯音は何かを呟いた。
その声は聞こえなかったけど、表情はいつもの彼に戻っていた。
▽
恨みのこもった瞳となぜかその瞳から流れる涙。
俺がきっと一生忘れることのできない表情。
あれは、あの涙は救いを求めていたのか。
「救って、あげられなくて ごめんね」
彼を 終わらせてしまった俺が言うことではないけれど。
貴方を救う道は、どこかにあったのだろうか。
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