憂い
インターン明けの初授業。
生徒たちの著しい成長を目の当たりにする中、伸び悩んでいたのはクラスの中でも上位に位置する蛟少年だった。
元々完成度の高い個性で、血液を使うという点から出来ることに限りはあったけれど。
それでも今まで見せた成長がピタリと止まってしまったように見えた。
「蛟少年、」
他のクラスメイトからも離れた場所を選ぶ彼に声をかければ、インターン前より鋭い目がこちらを見た。
彼はいつからこんな目をするようになったのだろうか。
顔に消えぬ傷を負っても、狙われ続ける重荷に心を蝕まれても 彼は彼自身の姿を崩すことはなかった。
「……何か、壁にぶつかっているかな」
選んだ言葉は正しかっただろうか。
値踏みするかのようにその目をすっと細め、そして逸らされた。
「特に、なにも」
人と違う子ではあった。
私が前線を退くことに時代の移ろいという一言で終わらせ、穏やかに微笑みを浮かべられたのは彼くらいのものだろう。
音痛覚と感情を持たなかったが故、なのかもしれないが 彼の感情は人と違う。
だが、今回のこれはそれとは違う。
「インターンはどうだった?たしか、前回に続きファットガム事務所だったよね」
自分たちの成長に、友の成長に声を弾ませるクラスメイトと彼はあまりにも違いすぎていた。
少しだけ視線を落とした彼は「勉強になりました」と言っただけだった。
これ以上は話す気は無いと言うように彼はぺこりと頭を下げてまた人のいない方へ歩いていく。
自ら孤独に歩み寄るその背中がどこか焦燥感を煽る。
「蛟少年、」
彼を呼び止めようとした私の前に割って入った爆豪少年が「俺が行くからいい」とこちらを彼とはまた違う鋭い目で見つめた。
そう言えば2人はよく一緒にいたっけか、なんて思いながらお願いしてもいいなと彼に笑いかける。
「頼まれんでも」
爆豪少年は孤独に歩み寄る蛟少年の手を引いた。
振り返った彼に何かを伝える。
蛟少年はその手を振り払うことはせずそれに耳を傾け、少しだけ笑みを浮かべていた。
爆豪少年が自ら歩み寄るのは彼だけだった。
切島少年や上鳴少年たちは来たら拒まぬ、という感じだが蛟少年だけは自ら声をかけて歩み寄る。
それが爆豪少年の良い変化のひとつと教師陣は感じていた。
共に誘拐されたあの日を乗り越えたからか。
彼らの間には特別な何かがあるように感じていた。
だが、爆豪少年が他の生徒に呼ばれ視線を蛟少年から外した瞬間、浮かべた笑みが消えた。
その目はまた伏せられ、そして爆豪少年からゆっくりと離れていった。
友人たちをあしらい、振り返った時彼の姿がないことに気づき 爆豪少年の手のひらで小さな爆発が数回起こる。
乱暴に頭をかいて、目に見えるほどあからさまに大きなため息をついたのだ。
私が気にとめる前から気づき憂いていたのだろう。
彼をああしてしまったのは、一体何なのだろうか。
▽
息がしずらかった。
喉元を摩り、大きく息を吸う。
それでも首を絞められたみたいな息苦しさが消えなかった。
酸素が肺まで届いていないみたいだ。
楽しそうなクラスメイトの声が今日はずっと遠く感じる。
鍋を囲み楽しそうな彼らの輪から飲み物取ってくる、と一声かけて離れる。
空のグラスをテーブルに置いて、もう一度大きく息を吸ってその場にしゃがみこんでしまいたくなるのをぐっと堪えた。
「大丈夫か?」
声をかけられ、自分の背に触れた手を思わず払ってしまった。
目を丸くして固まった焦凍が 驚かせたか、と呟き首を傾ける。
「あぁ…いや、ごめん…気づかなかった」
「…珍しいな」
「そうかな」
払った手をじっと見つめてから焦凍は「なんかあったのか」と俺の目を見つめた。
「なんも」
「…親父も妙にお前のこと気にしてた。ホークスのことだって、」
「なんもないよ。久しぶりに沢山の人間に囲まれて疲れただけ」
嘘でもない。
そう、疲れてるんだ。きっと。
感情を作るのにきっと、疲れてるだけ。
「…今更か?」
「今更」
「ずっとそうだっただろ、学校入ってからは」
どくり、と大きく心臓がはねた。
「あー…そう言われりゃ、そうだね」
感情を作るのなんて、今に始まったことじゃない。
人がたくさんいるのだってもうずっとこうだった。
じゃあなんで、こんなに息苦しくて 体が重いんだろう。
「血郷、具合良くないだろ」
焦凍の手が額に触れる。
「熱はないか、」
「……大丈夫だよ」
自分に触れた彼の手から逃げるように1歩後退る。
「……いや、そうだな」
「血郷?」
「熱はないけど、具合は良くないみたいだから……ちょっと外の空気吸ってくる」
俺も一緒に、と言いかけた焦凍を断り、「みんなに上手く言っておいて」と言えば彼はこくりと頷いた。
「外寒いから、体冷やさないようにな」
「ありがとう」
今この瞬間も、誰か俺のことを監視していたりするのだろうか。
この雄英の中に、生徒の中に 狗はいるのだろうか。
もしいるのだとしたら、もしその人が俺を殺そうとしたら。
俺はその人を、殺すことができるだろか。
ドアを開ければ風が頬を撫でた。
きっと、俺じゃない誰かなら寒い、と肩を震わせただろう。
▽
オールマイトさんから聞いた蛟のことが気がかりで、少し様子を見に行くかと1-Aの寮へ向かえば入口の前に立ち尽くす彼の姿を見つけた。
「寒くないのか」
明らかに部屋着のままの彼にかけた言葉。
だが、はたと思い出す。
俺に声をかけられた蛟は少しの沈黙の後、「わかってて聞いてます?」と首を傾げた。
「……痛覚だけじゃ、ないんだな」
「あぁ、わざとじゃなかったんですね」
白い息を吐き出して、感情の読めない瞳は上から下まで俺を見てから俺を見つめ返す。
「寒いですか、先生」
「……あぁ、今日は寒いよ」
「どんな感覚だったかなぁ、寒いって」
昔はあったのか、と尋ねれば彼は遠い昔はねと答える。
「ほとんどもう、覚えてないですけどね」
「……痛みも温度も感じなくて……不便じゃないか」
「不便……うーん、不便ではないかなぁ」
普通のフリをするのはめんどくさいですけどね、と彼は笑った。
「痛みも温度もなきゃないで、便利ですよ。先生はいつから、気づいてました?」
「期末試験だ」
「あぁ、意外と隠せてたんですね」
思い返せば、そうである節はいくらでもあった。
なんなら最初の演習から。
けどまさかそうだなんて思いもしなかったのだ。
「どうしたら治る?病院とか、」
「助け出されてすぐにあちこちタライ回しにされましたよ。けど、治ることはなかったです。精神的に、とかじゃないんですよこれ」
俺の中にはもう存在しないものなんです、と彼は笑う。
いつもと全く同じ、崩れることのない笑顔で。
「別にいいんですよ、困ってないですし。今更戻ってきたって、多分持て余すだけだし」
彼がキャパオーバーのリスクを負ってまで血の鎧を身につけることを選んだのも、きっとそれがあってだろう。
彼は彼なりに自分の弱点の向き合っている。
そんな彼に、そんな体でヒーローになるなんて無茶なことだと 言えるはずもなかった。
過去に、オールマイトさんに問われたあの日から。
どれだけ考えたって、俺には彼を諦めさせる選択肢は選ぶことはできなかった。
だが、今日向き合った 友の死がどうしても頭を掠めた。
「辞めさせたいですか?」
俺の心の中を見透かしたような彼は問うた。
返す言葉を探していれば彼は大丈夫ですよ、と笑う。
「死なないって約束したじゃないですか」
「……そうだったな、」
「大丈夫です。先生の生徒である限り、俺は死んだりしませんよ」
どこか、含ませた言い方な気がした。
だがそれを追及する前に彼はそろそろ戻りますか?と首を傾げた。
「先生はその薄着じゃ体冷えちゃいますよ」
「……お前も、分からないだけで冷えてはいると思うぞ」
「あぁ、それはそうかもしれないですね」
引き止めて悪かった、と言えばこちらこそと彼は答えて、おやすみなさい俺に背を向けた。
「なぁ、蛟」
「はい?」
「……ここを卒業して、お前がヒーローになっても。お前はずっと俺の生徒だよ」
彼はきょとり、としてから 微笑んだ。
返ってくる言葉はなく彼は会釈をして、扉をくぐる。
友は人の痛みに敏感で、自分の痛みを後回しにする奴だった。
アイツとは少し毛色は違う。
それでもアイツと同じく、彼は自分の痛みを後回しにするだろう。
感じなくとも彼の体はしっかりと痛みを背負っている。
寒さも痛みも間違いなく彼の体は感じている。
そうだと分かって過ごしてくれていれば幾分か安心もできたのに。
彼は感じないからないものだと平然と言ってのけてしまうだろう。
オールマイトさんの言っていた不安の意味はいやでもわかる。
彼はまた悪い方に、俺の望まぬ方向へ進んでしまっている。
ずっと気がかりだったそれが、より一層色濃く見えた気がした。
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