自分でもビックリするくらい私は冷静だった。
それはもう、今までにないくらいにストンと心に収まっていた。
悔しさがないわけではない。
彼らが勝つことを疑ったことなんて一度だってない。
それでも、こんなの嘘だなんて信じられないなんて思うこともなかった。

「あぁ…負けたんだ」

握手をする選手たちを見ながら、私の口からは自然とそう零れていた。

最後まで誰一人足を止めることはなかった。
誰一人勝利を疑う者はいなかった。
青城のみんなも、烏野のみんなも全力で戦ってそしてこれが結果がその結果だ。

セットカウント2‐1
勝者、烏野高校

もう一度得点板を見てそっと、小さな息を吐きだした。

ベンチに集合してきた選手たちは悔しさを滲ませていた。
そして、誰一人として私と目を合わせることはなかった。

「…何を言おうとも結果は結果のまま。悔しさが薄まる事も無い」

監督は選手たちを真っ直ぐと見つめながら言葉を続ける。

「後悔の残るプレーもあるだろう。それでも先ず言わせてもらいたい。よく戦った」

悔しさを噛みしめるように、唇を噛む選手がいた。
大粒の涙で頬を濡らす選手がいた。
涙を隠すように俯く選手がいた。
必死に涙が零れないように瞬きをせずに真っ直ぐ前を見る選手がいた。
その選手たちの顔を忘れないように。
一人一人視界に映して。
彼らの姿が自分の瞳から零れ落ちてしまわないように、そっと瞼で蓋をした。

涙は、やはり零れなかった。
応援席への挨拶を終えた選手にいつも通り指示を出す。

「控室に戻ったら、各自片づけをしてください。アイシング等、必要な場合は私に声をかけてから控室に戻ること」

いつものような返事は聞こえない。
それでも、私は言葉を続けた。

「一時間半後にバスが出発します。それまでに、準備をお願いします。以上です」

各々片づけを始めるのを確認して、私も自分の仕事に戻った。

試合後に選手と言葉を交わさないのは初めてだな。
そんなことを、考えながら。

応援に来てくれた父母さんやOB,OGへの挨拶を済ませてコートに忘れ物がないか確認しに行けば黒いジャージが視界の端ではためいた。
視線をそちらに向ければ、それはよく知る後輩だった。

「影山」

彼の名前を呼べば、彼は振り返って少しだけ目を丸くした。
そして、少し躊躇ってからこちらに駆け寄ってきた。

「えっと…」
「おめでとう、影山」
「え?」

パシパシと彼は目を瞬かせた。

「強くなったね」
「あ、ウス」
「影山が、というよりは烏野でって言ったほうが正しいのかな」

私の言葉に彼は少しだけ嬉しそうに目を細めた。

「はい。皆で、強く…なりました」

皆でって言ったとき、彼は少しだけ照れくさそうだった。
昔よりも表情が豊かになったな。
そんなことを考えながら、彼の黒い髪をかきまぜた。

「次、若利とだね。頑張って」
「ありがとうございます」
「うん、応援してるよ」

彼の頭から手をずらせば、あの…と彼は視線を彷徨わせながら小さく呟いた。

「なに?」
「約束…」
「約束?あぁ…私の話をするってやつであってる?」

私の問いかけに彼は小さく頷いた。

「約束は守るよ。けど、決勝が終わってからの方がいいんじゃない?時間、ないでしょ?」
「…あ、確かに…」
「うん。じゃあ、決勝が終わって少しでも時間ができたら連絡頂戴?」

了解です、と彼は言ってそれじゃあお疲れ様でしたと小さく頭を下げた。
そして離れていく背中を見つめて、彼の名前を呼んだ。

「はい?」

足を止めて彼は振り返る。
その向こうに彼の仲間の姿が見えた。
どうやら影山を探しているようだった。

「素敵な仲間だね」
「え…?」
「失くしちゃだめだよ」

彼らと一緒なら、貴方はきっともっと強くなれる。
微笑んで手を振ってやれば彼はもう一度頭を下げて烏の集団の中に入っていった。
澤村くんと視線が合って、会釈をすれば彼も同じように会釈をした。
次も頑張って、心の中でそう呟いて背中を向けた。

影山と立ち話をして、当初の目的を忘れるところだった。
くるり、と方向転換をしてコートの中に足を踏み入れる。

「忘れ物はない…と」

まだ仕事が残っているから急いでそこから出ようとしたけど、私の足は縫い付けられたように動かなくなった。
ネットも得点板もベンチも。
すべて片づけられたコートを見つめて、笑った。

「お疲れ様でした」

コートに向かって一礼すれば、私の足は何事もなかったかのように動き出した。
数刻前まであった熱気はもう、冷め切っていた。

「バスはそろそろ来てるから…とりあえず控室確認して…」

やるべきことをぶつぶつ呟きながら歩いていれば聞こえてきた声。
私は足を止めた。

「忠告だ及川。もう道を間違えるな」

若利の声だ。
彼の言葉は及川に向けられている。

「お前は道を間違った。もっと力を発揮できる場所があったのに取るに足らないプライドの為にお前はそれを選ばなかった」
「それは青城じゃなくて白鳥沢に入るべきだったって事でOK?成功が約束されたチームなんか無いだろ」
「少なくとも今ここでは俺のいる場所が最強の場所だろうが?」

若利は相変わらず真っ直ぐだ。
自分の強さを信じて疑わない。

「ハッ{emj_ip_0792}相変わらず面白いくらいの自信だな!…“取るに足らないプライド”…確かにね」

及川は今、どんな表情をしているんだろうか。

「聞けよ、牛島。俺は自分の選択が間違いだと思った事は一度も無いし、俺のバレーは何ひとつ終わっていない」

あぁ、大丈夫だ。
及川はきっと、及川のままだ。

「取るに足らないこのプライド、絶対に覚えておけよ。…ああそれとね。俺ばっか注視してると思ってもみない方向からブッスリ刺されるからね」
「どういう意味だ?」
「俺の後輩、頭悪いしまだぜーんぜん俺には敵わないけど。それでも独りでなくなったあいつは強いよ。…カラスは群れで大きな白鷲さえ殺すかもね」

及川の足音が離れていく。
そして、もう一つの足音がこちらに向かってきた。

「麗亜、」
「若利」

私を見て彼は足を止めた。
及川の足音ももう聞こえなかった。

「お前も、愚かな奴だ」
「貴方にはきっとわからないよ」

私はそう言って、微笑んだ。
「麗亜、」

ウシワカが麗亜チャンの名前を呼んだのが聞こえて足を止めた。

「若利」

麗亜チャンも同じようにウシワカの名前を呼んだ。

「お前も、愚かな奴だ」

お前も。
俺と、麗亜チャンがってことだよね。

「貴方にはきっとわからないよ」

麗亜チャンの言葉はいつもと変わらず凛としていた。

「幸せだったんだ、私」
「は?」
「及川に声を掛けられて、青城に入って、バレー部でマネージャーをして…私は本当に幸せだった」

俺はぐっと自分の唇を噛んだ。

「自分を受け入れてくれる場所に姿を隠してるって、前に若利は言ったけど。だったら何?っていうのが今の感想」
「…どういう意味だ」
「姿を隠せる場所があったから、私の翼は癒えたの。青城に入ったから、バレー部のマネージャーになったから…及川が私の隣にずっといたから…だから、私はまた飛べるんだよ」

麗亜チャンはどんな顔してるんだろう。
どんな顔して、ウシワカに向き合っているんだろう。

「傷ついたことも裏切られたこともない貴方に、何を言ったってきっとわからないだろうけどね。まぁ、わかってくれとも思わないんだけど。けどね、きっといつか貴方にもわかる日が来るんじゃない?」
「逃げたお前の気持ちがか?」
「まさか。コートの恐ろしさと、本当に大切なものが何なのか。…それがわからない限り、若利はきっとそのままだね」

ウシワカは何も言い返さなかった。

「私は幸せだった。この3年間、何一つ後悔なんてしていない。私が選んだことも及川が選んだことも間違ってなんかいない。それを、強くなって証明してあげる」
「似てるな、及川と」
「私たちは貴方よりも上に行く。覚えておいてね、若利。ここは終わりじゃない」

麗亜チャンはまだ俺を、信じてくれている。
2度も約束を破った俺の事を…

「あぁ、そうだ。もう一つだけ面白い事教えてあげるよ」
「…なんだ?」
「私、及川の前では泣くんだよ」

え…?
待って、突然何の話!?
けど、確かに聞こえたウシワカが驚いたような間の抜けた声。

「それじゃ、またね」

え、なに?
最後のなんなの?
面白い話?

足音は確かにこっちに近づいてきてる。
なのに、俺は動くこともできず呆然と立ち尽くしてた。
角を曲がった彼女が俺に気付いて、微笑む。
それから、俺は咄嗟に目を逸らしてしまった。

「控室見に行くんでしょ?」
「あ、うん」
「私が行っておくから、バスの方お願いしていい?」

彼女はいつもと変わらない声で、そう言った。

「じゃ、じゃあそっちお願い」

あれ、そういえば…試合が終わってから俺は麗亜チャンと目を合わせていない。
バスの方へ少し駆け足で戻りながらそんなことを思った。
麗亜チャンは俺に、俺たちに何も言葉をかけていない。
涙だって、また見せなかった。
悔しそうな顔だって、しなかった。

「それに、俺の前では泣くって…どういうこと…?」

試合に負けてムシャクシャしてる。
ウシワカの言葉にもイライラしてる。
けど、麗亜チャンのことももやもやしてる。

「控室の方は?」

バスのところにいた岩ちゃんにそう尋ねられて俺はいつもの笑顔を作った。

「麗亜チャンが行くって。だから俺はこっち」

彼女の名前を出した途端、空気がピリついた。
岩ちゃんも、その隣のマッキーもまっつんも険しい顔をした。

「え、なに?」
「何って、お前…」

岩ちゃんが言葉を詰まらせた。

「約束、守れなかった」

マッキーがそう言って、俺をじっと見つめた。
どうすんの、とまっつんが言葉を続ける。

どうするって、何が?

「…寿の事、」

岩ちゃんの最後の言葉で全て、繋がった。
喉がきゅっと締まって、息が苦しくなった。

あぁ、そうか…
そうだった…
ムシャクシャとイライラともやもやとで頭が一杯になっていて忘れていた。

「あー…アハハ、失恋しちゃったね」

カラカラになった喉で零した言葉。
それは掠れてて、小さくて、すごく…すごく弱々しかった。

3人が眉を寄せ、俯く。
お前らがそんな顔すること、ないじゃん。

「大丈夫だよ」
何が?

「友達でいられるだけで十分だから」
本当に?

「麗亜チャンがまた、飛んでくれるだけで」
もう俺の隣には戻ってこなくても

「幸せだよ」
幸せだって言えるの?

言葉と心は全く別のことを言ってる。
どっちが本音かなんてわかってるけど。

3人はやっぱり、険しい顔をしたままだった。

「そろそろ出発するから荷物積んじゃってー」

彼らから目を逸らして後輩たちの方へ歩み寄る。

「荷物積み終わった人からバス乗っていいからね」

少しだけ駆け足でこちらに部員が来るのが見えた。
その向こうに麗亜チャンの姿があった。

コーチに何か言葉をかけて、視線をバスの方へ向ける。

こうやって、マネージャーをしている彼女を見るのは最後なんだな。
いつか来るってわかっていたことだけど、凄く寂しいと感じた。

「及川、控室はもう大丈夫だったよ」
「あ、うん。ありがとう」

いつもと同じように彼女は俺に声をかける。
けど、俺はなんでか彼女から目を逸らしてしまった。
彼女をどうしても、見ることができなかった。

「こっちも大方終わってるよ。積み終わった部員はもう乗ってもらってる」
「わかった、ありがとう。3年生ももう乗っちゃっていいよ。最後の確認は私がしておく」

ありがとう、と言葉を返して岩ちゃんたちにもう乗るようにと声をかける。
心配そうな彼らの目に俺は笑った。

「大丈夫だって。ほら、さっさと乗って」
「あぁ…」

俺は今、ちゃんと笑えてるのかな。
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