「ちょっと。」
私達が烏野に負けた日。
ミーティングの後チームが解散してからも、私は彼らと言葉を交わすことはなかった。
コーチが皆をご飯に連れて行く、という誘いも丁重に断らせてもらった。
私がその場にいるべきではないと思ったからだ。
チームメイトじゃないとか、そういうことじゃなく。
ただ、そうするべきだと思ったから。
「決勝終わってからにするって話じゃなかった?」
だから、真っ直ぐ家に帰ろうと思っていたのに。
「すんません」
鳴った電話。
青城の最寄駅にいますという、彼のぶっきらぼうな言葉に私に予定があったら どうするつもりだったんだろうって思った。
「けど、どうしても。今、聞いておかなくちゃいけないって思ったんです」
「…真っ直ぐだねぇ、ほんとに。影山」
試合が終わってそのままなのか。
ジャージ姿の彼に苦笑を零しつつ、近くのファミレスに入ろうと声をかけた。
「お腹は空いてる?」
「……まぁ、」
「好きなの頼みな。前祝いに奢ってあげるから」
1番ボリュームのありそうなメニューを頼んで、ご飯大盛りでと彼が店員に伝える。
私も少し早いが夕飯として食べてしまおう、とパスタを頼んだ。
「…すんません、」
「いいよ。どこから話せばいいかなぁ」
グラスの中のメロンソーダがふつふつと音を立てる。
それを見つめながら、小さく 息を吐いた。
「怪我したの。」
「そこは、知ってます」
「無茶なトスに応え続けて。」
ぴくり、と影山の指先が震えた。
「違うな。普段よりも無茶なトスに応え続けたの」
「…どういう、ことっスか」
あの日のことは 鮮明に覚えている。
確か監督が 別件でいなかった。
だから、新任のまだまだ周りに言いくるめられちゃうようなコーチがいた。
けど元々監督もいても、いなくてもってチームだったし 特に変わりない日だった。
調子は悪くなかった。
ただ、トスのタイミングが早かった。
ただ、トスの高さが高かった。
些細な、些細なズレ。
「別によくあることよ。セッターは機械じゃない。私の調子が良かろうと、彼女も良いとは限らない。調整に時間がかかっているのか。不調なのか。とりあえず、調子が戻るまで 応え続けたよ」
トス早い、いつもより高い。
伝えても 伝えても 彼女のトスが変わることはなかった。
代わりにベンチで 観客席で クスクスと 笑う耳障りな声が聞こえた。
「思えば、あの試合の前からかもしれない。練習でも、私には無茶な要望をしてた気がする。好かれて、なかったのよ。チームメイトに」
「なんで、、?麗亜さんがいるから勝てるようなチームだったのに」
「だからだよ。試合を勝ち進めば勝ち進むほど、そういう風に言われることが増えたから。そのストレスの仕返しだったんだろうね」
先にダメになったのは肩だった。
スパイクを打つ度に痛みが走る。
それでもセッターの彼女は私にボールをあげ続けた。
他に振らないんだもん、ブロックも2枚から3枚に。
「彼女達からすれば ちょっとした嫌がらせ。私が、無様に負ける姿を見たかっただけ。チームの勝敗なんて、あの子達にはどうでもよかったんだ」
最後の大会。
だからこそ、なのかもしれない。
今までおまけで勝ち続けたから、もう勝ちはいらなかったのかもしれない。
今思えばもっと前から 我慢の限界は来ていたのかもしれない。
それでも、最後の大会まで我慢していたのは勝つことに彼女たちも酔っていたから。
強さに、酔ってた。
「腕が上がらない。いつものように。だから、いつもより飛んだ。目の前の3枚ブロックを抜くために 上がらない腕でも 必死にスパイク打ったよ」
アドレナリンが出ているうちはよかった。
だが、段々気づいてくる。
あの異様な空気感に。
「みんなが、チームのみんながさ。私を見て笑ってた。言い様だって」
アドレナリンなんて、冷めた。
頭も心も 一気に冷めきったよ。
肩に走る痛みも、震える膝も。
一気に 現実に引き戻された。
「2セット目相手にとられて 1-1。休憩中 トイレに逃げた。彼女たちの目から声から 逃げたくて。そこに、及川がいた」
「…及川さん…」
「そう。アイツは気づいてたよ。セッターのトスが変なことも 私の腕が限界なことも」
これ以上はダメだよ。
わかってんだろ!?
今、無理する意味がどこにあるんだよ!!
及川の泣きそうな 怒りを含んだ叫び声。
私は聴こえてなかった。
聴こえたけど、届いてなかった。
あの時、及川の言葉の通り 辞めてればきっと足の怪我はしなかった。
けどね。
もう、あの時には手遅れだったの。
あの時にはもう、わかってた。
もう、未来はないって。
私にとっては大切な仲間だった。
仲も悪くなかったと思っていたし。
愛梨にしてみれば、幼馴染だったし、親友だった。
私と彼女と若利 3人幼馴染で ずっと一緒にバレーをやっていたはずなのに。
「裏切られた。私にとって、大切な人たちに。私にとって、大切な場所で。私にとって、大切なもので。」
大切だった。
愛梨と2人で立つ 立てる あのコートが。
一年生の頃から そのもっと前から ずっと ずっと一緒に立ち続けた あのコートは。
そして、これからと立ち続けたであろう場所が。
「大丈夫だよって、及川に笑いかけたよ。我ながら上手い作り笑いだったと思う。」
「なんで…そこまで、して…」
「散るなら。この翼が折れるなら あの場所しかなかったから。あの子のトスしかなかった。3セット目。自分自身への葬いだった。もう、そこは…私の墓場でしかなかった。」
及川の言葉は届かなかった。
周りの目も見えなかった。
笑い声も聞こえなかった。
あの、第3セット。
そこにいたのは あたしだけ。
あたしの 独壇場。
あたしの 火葬場。
目の前の泣きそうな影山に笑いかけた。
「死に場所くらい、死に際くらい あたしが選びたかった」
限界の腕を振るい続けた。
限界の足で走り続けた。
限界の翼で飛び続けた。
限界の心で、
マッチポイント。
最後のトスを打ち終えて、私は ネットポールに突っ込んだ。
周りが見えていなかった。
限界な体だったから、勢いに負けて 流されたの。
そこで、膝を。
ただでさえ、限界だった膝を。壊った。
真っ赤に染まる 体育館の床。
床って思いの外暖かくて。
もしかしたら、自分が冷たかったのかもしれないけど。
自分に駆け寄る人もいなくて。
一瞬 なんの音もしないくらい静まり返ったの。
その瞬間 見上げた天井が凄く凄く高くて 眩しくてキラキラしててた。
なんか、天使があたしを迎えにきてるれるんじゃないかなとか そんなこと考えてた。
すぐに騒がしくなった体育館で、駆け寄るチームメイト達を押し退けて私を抱え上げたのは及川だった。
アイツの涙が ぼろぼろあたしの顔に落ちてくんのね。
折角のイケメンが台無しじゃんって、笑ったあたしにイケメンって言われたのは初めてだって泣きながら言ってたっけ。
「……わかんない、っす。なんで、そこまでして 出続けたのか。なんで、未来がないって、決めつけたのか。だって、俺みたいに。卒業した先でこう…いい奴らに、出会うかも、しれなかったのに」
「愛梨だからだよ。あの時、私を壊そうとした張本人が愛梨だったから」
「…どういう、」
愛梨はよく泣く子だった。
私と若利みたいにバレー馬鹿じゃなかったし。
甘ったるい喋り方して よく若利から聞き取りくいとか言われて 泣いてた気もする。
若利の言い方も悪いんだけどね。
久々に会ったあの子も、変わらなかったなぁそういうところ。
頼りなくて 心が弱くて。
けど、コートの上じゃ誰よりも頼りになる相棒だった。
「影山にとっての日向君みたいな。及川にとっての岩泉みたいな。そんな感じかな」
影山が息を詰まらせて、ひゅっと音がした。
「王様を1人にした あの北一メンバーの中に。その中心に 日向君がいる。そんなイメージ。それにね、私と愛梨は同じ高校に推薦が決まってた」
言葉を失ったのか、目を伏せて テーブルの上の手を白くなるまで彼が握りしめた。
「私と愛梨は 阿吽の呼吸って感じでさ。私にとっては 彼女以上のセッターはいなかった。それにね、私がいなくなったら勝てないようなチームってさっき言ったけど、愛梨は私と同じくらい技術があるセッターだったよ。私と若利と同じペースで練習してたような子だもん。下手なわけないじゃん?ただ、私が抜ければ 点を取る人がいなくなるってだけでね」
「どうして、その、愛梨さんは…」
「弱いからだよ。心が。流されたの。10年近くそばにいたあたしじゃなく、大多数に 飲み込まれた」
もしかしたら もっと違う言われ方をしていたのかもしれない。
いつも私が愛梨のトスに文句を言ってるとか。
愛梨のことを貶してたとか そんなことを言われたのかもしれない。
彼女は弱い子だったから。
そんな彼女に、あの時 あんな風にキレてしまったのは きっとバレーに未練があったから。
愛梨なんかいなくてもいい。
私にはバレーボールが必要だと そう 体が 心が 飢えていたからだろう。
「今思えば、馬鹿な話よ。愛梨なんかいなくてもバレーは出来る。けど、あの時はそうは思えなかったんだよね。もう、終わりにしようって思った。及川にタクシーで病院に連れていかれて。検査やら入院やらってなって 学校には もう 行かずにそのまま 卒業した」
その時言われたんだ。
また次、この足で飛んでスパイクを打ったら日常生活さえできなくなる。ただ、本気で復帰を目指すなら いいリハビリ施設を紹介しよう。
あの時、私はそれを断った。
「もう。バレーはいいやって思ってたの。それだけ、あの時は私は追い詰められてたんだと思う」
「…そう、だったんスね…」
「けどね。毎日 毎日 飽きもせず及川が私の元に来た。また若利に負けたとか。今日は岩泉と喧嘩したとか。話の内容なんて、あんま覚えてないけど。毎日アイツは私の元に来た」
そこで、青城のマネをやらないかって声をかけられた。
一緒に、来て欲しいって。
俺が麗亜チャンの代わりに 頂に連れていくから。
折れた翼の、代わりになるからって。
推薦も蹴ってたし行きたいとこもやりたいこともなかったから 何度も何度もお願いしにくるから それに折れたの。
「それで、今まで…」
「そういうこと。マネをやって1年目。なんも感じなかったよ。むしろ、コートに近付くことすら怖かった。何度も何度もフラッシュバックして バレないように吐いたこともある。けど、いつからかな…もう一度 飛びたくなった」
及川の練習相手にとか そんな程のいい言い訳して。
ほんとは 多分 諦めきれなくなったんだ。
目の前で 戦う及川たちを見て。
けど、それでも 恐怖が勝った。
練習相手としてコートには立てても、試合で そう考えると怖かった。
あの 視線を あの 笑い声を 思い出すから。
「じゃあ、なんで…代表に戻ろうと思ったんですか…?」
「烏野との試合を見たからだよ」
影山が目を見開いた。
「私と同じように独りになった影山が、そこで戦っていたから。羨ましいって思ったの。ベンチにいる自分が、恥ずかしくなった」
若利の言う通り。
私は勝利に飢えた獣だった。
けど、それに気づいたのは もう一度気づけたのは。
私の傷が癒えるまで 守り続けてくれた及川や青城のみんながいたから。
「そこからだよ。ちゃんと、リハビリを始めて ちゃんとチームとして バレーに復帰した。今、思えばいい経験をさせてもらったと思ってる。自分の弱さを知った。仲間の大切さを知った。選手を支える立場の辛さを知った。勝利の価値も敗北の価値も きっと誰よりも知った」
私は 知ってる。
だからこそ。
改めて 思った。
「私は、今。影山、貴方にひとつだけ伝えることができるのだとしたら」
「はい?」
「バレーができなくなること以上の 絶望はない」
裏切られたことよりも。
負けたことよりも。
この3年間で 1番絶望したのは。
そこだった。
バレーがしたい。また飛びたい。また戦いたい。また勝ちたい。
それでも、バレーができない。
それが、今思えば1番 絶望的なことだった。
「だから、影山が辞めずに今 頑張ってくれてることが嬉しいよ」
「それは、わかります。俺も、多分そうなんで」
「そうだと思うよ。似てるから、私と影山は。けど、だからこそ…こっち側には 来ちゃダメだよ」
できなくなったからこその絶望だ。
君は、そんなこと 知らずにいてほしい。
「…俺、なんつーか。馬鹿なんで」
「知ってるよ」
「独りになってもバレーをしたいって考えてたし。独りでバレーできればいいのにって思ってたけど。もし、それが 日向や烏野のみんなだったら…多分、そう…なってても おかしくなかったのかなって 思います」
そうだね、って答えれば彼は照れ臭そうに笑った。
「麗亜さん」
「うん?」
「また、俺と練習してくれませんか」
真っ直ぐ向けられた目。
もちろん、って答えれば 彼は嬉しそうに 笑った。
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