影山と別れて 自然と足が向かった先は学校だった。
体育館の鍵を開けて、コートに寝転んで、天井を見上げた。
今頃みんなはもう、家に帰ったのかな。
泣いているかな。
悔しがっているかな。
もしかしたらもう、前を向いているかな。
泣けばいい、いくらでも。
悔しがればいい、何度でも。
その涙がその敗北が必ず、強さになるのだから。
鞄から出した携帯。
番号を変えても 何故か消せなかった名前。
震える指で 通話ボタンを押した。
数回の電子音の後。
もしもし?と怪訝そうな 懐かしい彼女の声。
「愛梨、」
『…麗亜?』
「よくわかったね。久しぶり…て、ほどではないか」
あの試合の後。
私は退院してすぐに家を出た。
親の引越しもあり、卒業よりも前に青城の近くに引っ越した。
だから、会うこともなかった。
『な、なんで…』
「んー。ちゃんと、清算したくなったからかな」
そして偶然 愛梨と再会したあの時は、ちょうどバレーができなくて絶望していた頃だった。
「私がさ、最後の試合で倒れて及川に運ばれたの覚えてる?」
『うん…』
「それでさー、怪我して バレーやめたの。もういいやって、逃げたんだ。リハビリもしなかった」
電話の向こう 彼女の嗚咽が聞こえる。
相変わらず泣き虫なとこは 変わってないらしい。
「辛かったよ。あの時、あれに加担してた全員 死んじゃえばいいのにって 本気で思ってた。恨んでも恨んでも 恨みきれないくらいには」
『っ、ごめ、ん…』
「けどさ、もういいの。もう いいんだよ」
そう。
もういいんだ。
あの日に 縛られるのは もうおしまい。
傷は 癒えた。
翼は もう 治った。
私は、新しい空に 跳び立つ。
「何事もなかったみたいに幼馴染に 親友に戻りましょうっていうのは ごめん。無理だけど。」
『うん』
「また、どこか。ネットを挟んで 会おう」
麗亜って 愛梨が何度も名前を呼んだ。
ごめんねって彼女の言葉を 私は今やっと 受け入れられた気がした。
「負けないから。愛梨にも、私を負けさせようとした 誰にも。もう絶対に、負けない」
『っ、うん、』
「だからさ、やめないでね」
大丈夫。
私は、また戦える。
見上げた天井はあの日と同じで 眩しかった。
けど、何でか 歪んで見えるの。
「また、愛梨に会いたい」
『うん、ぜったい。まってる、から』
「うん」
あぁ、これは涙か。
あの日 怪我したあの日も 私は泣いてなかったんだ。
涙が、床に落ちた。
切れた電話。
涙が止まらなかった。
痛かった。辛かった。ずっと、ずっと苦しかった。
両目を覆い隠しても 涙は止まらない。
チームが負けても泣けなかったのは。
きっと、清算されてない過去が私にあったからだ。
この コートの中に。
勝ちたかった。
もっとみんなといたかった。
もっと もっと。
及川のそばに、いたかった。
▽
連絡をくれたのは金田一だった。
一人で学校に入っていく麗亜チャンを見たと。
彼女は一人だけ、俺たちとともには来なかった。
こんな時間まで、何をしていたのかはわからない。
けど 放っておくことなんてできるはずもなかった。
私服に着替えて、学校に向かって いるだろうと思って部室に歩いていけば 体育館の入り口が少し開いていた。
「…麗亜チャン」
両目を覆い隠している彼女の嗚咽が 悲痛な泣き声が入り口まで聞こえてきた。
目を合わせられなかった。
試合が終わってからも。
かける言葉が見つけられなかった。
約束を破った情けなさで 合わせる顔がなかったんだ。
けど、こんなことなら そばにいればよかった。
君を一人で泣かせてしまうなら。
彼女の翼が折れたあの日から 君は何度泣いただろう。
ただ、声を上げて 泣くのは 初めて見た。
足が竦む。
彼女に駆け寄りたいのに、足が地面に縫い付けられたみたいに 動けずにいる。
彼女と過ごした3年は もう終わりを告げる。
何の後悔もない。
俺がしたことに間違いは一つもなかった。
ただ、頂に連れて行ってあげられなかった ただそれだけ。
けど、それが 全てだった。
涙を拭って彼女は立ち上がる、
そして、天井を…いや、空を見上げた。
伸ばした手が 何かを掴み 握り締める。
そして、振り返った。
揺れたスカートと短くなった髪。
全く違うのに、何故か 初めて彼女と話した日を思い出した。
彼女の冷たい瞳に肩が震えた。
「…及川?」
少し赤くなった瞳が丸くなる。
あぁ、あの時はそんなに驚いてもいなかったよね。
ボールがたくさん転がってて 怪我をしてて。
それで、俺に ボールを上げてって。
俺が、彼女に興味を持った その瞬間だった。
それから 好きになるまで時間はかからなかった。
コートに立つ彼女に そして影で努力し続ける彼女に 惹かれた。
まるで、必然のように。
そういう 運命だったかのように。
「麗亜チャン」
好きだ。
大好きだ。
誰よりも。
誰にも、譲りたくない。
そう思っているのに、その一言は 伝える術が無い。
約束を破ったから?
違う、そんな勇気 元からないんだ。
彼女を失うのが、怖いから。
今度こそ、すり抜けて行ってしまいそうだから。この手から。
「私さ、推薦もらった」
「え?」
「代表のコーチが 大学の監督してて。来ないかって、声かけてくれたの」
彼女は笑う。
赤い目で、綺麗な笑顔で。
「戦って、みようと思う。もう一度、コートで」
あぁ、やっぱりカッコいい。
凛とした彼女の顔。言葉。
好きで 好きで どうしようもない。
コートの女帝と呼ばれた 寿 麗亜が そこにいた。
「東京に行くね。春から」
東京。
そうか、東京か。
俺の行き先は、まだ決まっていない。
東京に行くかもしれないし、ここに残るかもしれないし、もっと遠くかもしれない。
どちらにせよ 彼女と過ごせるのは残り僅かな時間だけだということは紛れも無い現実だった。
「麗亜チャンなら、大丈夫だよ」
「ありがとう今まで。3年間 本当にありがとう。私を、助けてくれてありがとう。私を、諦めないでくれてありがとう。私の人生を、背負ってくれて 本当にありがとう。これからは、自分の足で また 進んでみる」
岩ちゃんに言われたな。
俺は幸せになれないって。
たとえどんな大会で勝っても完璧に満足なんてできずに一生バレーを追っかけて生きていくって。
たしかに、そうかもしれない。
けどそれは、俺だけじゃないね。
きっと、彼女もそうなんだ。
「迷わず、進みな。麗亜チャン」
俺の憧れた人。
真っ直ぐで凛としてて コートの上で 彼女ほどカッコいい人はいなかった。
彼女が 俺の目指す姿だった。
「麗亜チャンなら、大丈夫。きっと、もう 折れたりしないよ」
一度傷ついた翼は きっと前よりも強くなった。
一度傷ついた心は きっと前よりも強くなった。
そして、優しくなったね。
「及川も、迷わず進んで。愚か者でも、いいじゃない」
カッコいいな、本当に。
頬に涙が伝う。
「及川がいたから、青城のみんながいたから。私、また戻る決心がついたの。私を、仲間と呼んでくれてありがとう」
彼女はもう泣いてなかった。
目の前が涙で歪む俺を 見て泣かないでよって 笑う。
「ごめんっ」
拭っても止まらない涙を歩み寄ってきた麗亜チャンの手が拭う。
「折角のイケメンが台無しじゃん」
「こういう時だけ、イケメンって言う」
「あの時は、拭ってあげられなくて。ごめんね」
あの時。
あの時って、いつだろう。
「あの時から、かなぁ」
麗亜チャンが俺の涙を拭って、微笑んだ。
「ねぇ、及川」
「なに?」
「私さ、及川に隠してたことあるんだけど。聞いてくれる?」
涙を拭いながら、彼女の言葉に首を傾げながら いいよって答えた。
「私と若利、それから 愛梨の3人…幼馴染なんだよね」
「は、?」
「だから、仲良い…良くはないか。まぁ、会えば喋る」
幼馴染、、。
三島愛梨だけだと、思ってた。
けど、そうか。
そうだと考えれば、ウシワカの 麗亜チャンに対する態度は納得がいく。
幼い頃から、彼女を見ていたんだろう。
「若利とは ずっと一緒に練習してた。引っ越すまでね。それまでの間、私は若利の前で泣いたことないんだ。愛梨が泣き虫だったからかな。私は 人前では本当に泣かない子だった。」
「そう、なんだ…」
「けど、及川の前では 沢山泣いたね」
そうだね。
沢山、麗亜チャンの涙を俺は見てきた。
声を押し殺して、泣く君を。
「その分、俺の涙も 見てきたでしょ」
「たしかに。沢山泣いたね」
君の涙を何度拭ったか。
俺の涙を何度、拭ってくれたか。
「これから、私は及川の涙を拭ってはあげられなくなっちゃうね」
「そう、だね」
「けど。そう、うん」
麗亜チャンが少し 言葉を詰まらせて 俯いた。
そして、何か決意するみたいに 息を吐いて 俺の目を真っ直ぐ見つめた。
「けど、私以外の女の子の前で 泣かないでほしい。」
「え、」
「及川の涙は、私だけに 拭わせて」
彼女の手が俺の頬に触れた。
冷たい指先が、少し震えてる。
「ねぇ、及川。そばにはいられなくなるけど。隣にいさせてくれない?これからも」
「まって、、麗亜チャン」
「好きだよ、徹」
止まりかけてた涙が溢れ出した。
それに慌てる彼女に 俺を力いっぱいに抱きしめた。
「及川、」
「徹って呼んで。麗亜チャン」
「…徹、」
背中に彼女の手が遠慮がちに回された。
「大好き。ずっと、ずっと。好きだった」
知ってたって、彼女が耳元で笑った。
ほんと、かっこよすぎて参っちゃう。
「徹、」
「なに」
「今度は 2人で 頂目指そうね」
何度約束を破っても、君は待っていてくれるんだろうな。
そして、何度でも 俺の背中を押してくれるんだ。
「当然」
「若利に、勝たなきゃね」
「…愚か者の逆襲だよ」
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