side:御影


少し前に様子がおかしくなった怜に引き続き、今度は渚の様子がおかしくなった。

突然しし座流星群を見るためにと遙さんの家近くにテントを張ったり、突然練習をキツクしたり…
てか、しし座流星群は秋だし。
渚は星を見るタイプの人じゃない。
忘れ物をしたと部室に戻っていった渚の姿を目で追いながら眉を寄せたのだった。


夜、凛と走った後だった俺の携帯に着信があった。
急いでこれるか、と真琴さんの焦った声が聞こえて呼び出された場所は遙さんの家。

「すいません、遅くなりました。…あの、これは一体…?」
「渚君が水泳部をやめさせられるかもしれないって」
「渚が?」

この間のテストの結果が悪く、親が水泳部をやめろと言ったらしい。
その親の言葉に納得できずに家を飛び出してきた。
様子がおかしかったのは家出が理由だったらしい。

「…だったら成績戻せば?」
「そうですよ。勉強なら僕が教えます。そのことをご両親に伝えれば」
「僕の親は1度ダメって言ったらきっと許してくれないと思う」

でも、きちんと話をすれば…と言った怜に渚は珍しく声を荒げた。

「だから聞いてもらえないんだってば!!」
「渚君…」
「でもこのままってわけにもいかないんじゃないか?」

それはわかってるけど、と渚は顔を俯けた。

「渚君はこのまま家に帰らなければいつかはご両親が水泳を認めてくれる、そう思ってるんですか?」
「うん」
「それが認めさせることになると本気で思ってるんですか?認めさせたいなら、もっと別の方法があるんじゃないですか?仮にそんな方法でご両親に認めて貰えて渚君は全力で泳げるんですか?」

怜の言葉は多分凄く正しい。
それに、渚のことを考えているからこその厳しさだった。

一瞬静まり返った部屋に携帯の鳴る音。
渚のお母さんが連れ戻しに来るためにこちらに向かっているらしい。
まぁ、1日息子が帰らなければ普通のことだろうけど…

「まぁ、とりあえず…落ち着いてくださいよ。一旦場所を変えません?」
「朱希ちゃん?」
「行くぞ」

遙さんが立ち上がってそう言った。

向かった先はやはりスイミングスクール。
夜に来るのは1年ぶりくらいだった。
あの頃とは違い非常ランプが光ってる。

「やっぱりここしかないか」
「学校はまずいですし…」
「でもよかったよ、鍵借りられて」

ごめん、結局みんなを巻き込んで。

ロビーの辺りで足を止めて渚が頭を下げた。

「今更だろ」
「もう乗りかかった船だ」
「一緒に解決策を考えましょう」

うん、と渚は頷いた。

「このままロビーにいたら見つかるかもしれないし、奥に行きません?」
「そうだな」
「それならやはり更衣室でしょうか…」

怜の提案に真琴さんの表情に焦りが見えてくる。
あー、あれか。
そういうに苦手なのかな…

「とりあえずしばらくはここに居ましょう」

怖がる真琴さんを見かねた怜の提案で彼らはそこに腰を下ろした。
俺は壁に飾られた写真を眺めていた。

「やはり、成績を挽回してご両親にお許しを貰うしかないと思いますが…」
「ま、それが正攻法だよな」
「渚君、ご両親に怒られるくらいの成績って一体…」

彼らの話を聞きながら見つけた昔の写真。
幼い凛たちが肩を組んでいるあの写真だ。
そしてその隣には怜が加わり5人になった写真。

…今年は俺もここに映れるのだろうか…
同じ目標を持てば、仲間になれると俺は思っていたけど。
どうだろうか、俺は…ちゃんと仲間になれている?

私立の中学に通って、勉強が嫌いになって、何も楽しいことがなかった。
そんな彼を見かねて、岩鳶に入れてくれた?
渚の言葉を頭の中で繰り返す。

「なんで岩鳶だったんだ?」
「そんなの決まってるじゃない。ハルちゃんとマコちゃんとまた一緒に泳ぎたかったから。そしたら怜ちゃんと##NAME4$$ちゃんに出会ってもっと泳ぐのが楽しくなって、この仲間と音げることが楽しくて楽しくてしょうがないんだ」

だから、水泳部やめろって言われた時目の前が真っ暗になった。また昔みたいに楽しいと思えなくなることが何もなくなるのかと思うと…

渚は俯きながらそう呟く。
その声を聞きながら妙に心臓が痛くなった。
俺の、嫌いな痛みだ。

「それで家を飛び出してきたのか」
「うん」
「渚君がそう思っていることご両親は知ってるんですか?」

知らないと思う。
言ったところで聞いてくれないと思うし。

渚の声に俺は溜息を零す。
え、と目を丸くさせて彼らはこちらを見た。

「…なんだよそれ」
「朱希ちゃん?」
「なんで、血の繋がった家族に対してそんなこと言えるんだよ」

どうして、信じられない。
どうして、聞いてくれないと諦めるんだ。
血の繋がらない俺の両親でさえ、俺の気持ちを聞いてくれる。
俺が言葉にすれば耳を傾けてくれる。
血の繋がらない家族でさえそうなんだから、本当に血が繋がった家族の声が届かないはずがない。

「…渚は、なんでわからないんだよ」
「朱希ちゃん…?」

楽しいことがなくなった渚を両親は無理矢理そのまま進学校に行かせようとはしなかった。
ちゃんと、渚を見てくれてた。
どうしてそれが、わからない?

「親が渚の気持ちを聞いてくれてないんじゃない」
「え?」
「渚が言葉にしないから、聞こえないんだよ」

渚が何か言おうと口を開いたときだった。
ロビーに光が差し込む。
真っ暗な駐車場に1台の車が入り込んできた。

「渚君のご両親?」
「ひとまず隠れよう」
「う、うん」

奥に走って行く真琴さんと怜と渚。
俺はそこにとどまって、俯いた。

「…朱希」
「ハル、朱希早く!!」
「あぁ…」

遙さんが俺の手首を掴む。

「…行くぞ」
「はい」

結局辿り着いた先は更衣室だった。
隠れて様子を伺っていれば足音が近づいてきて、更衣室の前で止まる。
そしてまたゆっくりと離れて行った。
その足音の持ち主に見つからない場所へと、逃げた先はプール。
キラキラと水面に月明かりが反射していた。

「渚君にひとつ聞きたいことがあります」
「怜ちゃん?」
「渚君はご両親に話をしていないと言いましたよね?そうやって話すことを最初から諦めて来たんじゃないんですか?」

怜がちらりと俺に視線を向けた。

「朱希君の言ったこと、正しいんじゃないんですか?中学のことも今回のこともずっと…諦め続けて来たんじゃないんですか?どうなんですか!?」
「そんなこと…ない…」

渚は目を逸らした。

「なら、ちゃんと前を向いて言ってください」
「なぁ2人とも今は…」
「今回も、諦めるんですか?」

怜ちゃんにも朱希ちゃんにも、わかるわけないよ!!

渚は声を荒げて、怜にそう言った。

「…分かるわけ…」
「だから、なんなんだよ」
「ちょ、朱希!?」

わかるわけない?
そりゃそうだろ。

「お前の家のことなんてわかるわけないだろ?血の繋がった家族のことなんて、わかれるもんならわかってみたいよ。けどさ、それでも…みんなで泳ぎたいって気持ちは…みんな一緒なんじゃないのかよ」
「そうですよ僕達みんな、渚君と一緒です。それとも、渚君の気持ちはあっさり諦められる程度のものなんですか?」
「ち、違うよ!!」

僕は、渚君は諦めない人だと思います。
怜はそう言って微笑んだ。

「あんなに僕に突っぱねられても、しつこく水泳部に勧誘してきたんですから」
「怜ちゃん…」
「…怜の時はどれだけ言葉にした?どれだけ、一緒に泳ぎたいって伝えた?」

他人に届いた声が、どうして親に届かない?
届かないはず、ないんだ。

「僕だって…本当は皆と一緒に泳ぎたいよ。水泳だって続けたい。いろんなこと自分で選びたい」
「だったらそれを渚が、渚の言葉で両親に伝えろよ」

渚の涙で濡れた目が俺に向けられた。

「俺にはよくわからないけど。…子供の本気の訴えを聞かない親はきっといない」

じゃあこれから渚の親の説得の方法を考えましょう、と言ったところで何かを蹴飛ばす音がした。
からんからん、と音が静かなプールに響く。
まさか、親が…と彼らは顔を見合わせて。
どこかに隠れてと、慌てる彼らを渚はじっと見つめていた。

「みんな、ありがとう」

もう逃げない。

渚の本当に小さな声で呟かれた言葉は俺の耳にちゃんと届いた。

渚を隠そうと立ち塞がっていた遙さん達を押しのけて渚が一番前、音のした方に歩いて行く。
大きく息を吸って、彼は叫ぶように言った。

「僕、本当にずっと我慢してきたんだ。ずっと言いたいことも言えなくていつでも言いなりで。何をしてても全然楽しくなかった。でもそれは、僕が弱かったから。お父さんとお母さんと向き合うことから逃げて最初から諦めてきたからなんだ。だからもう、逃げたくない!!」

この仲間と泳ぎたい。
だから、ちゃんと僕の話を…

渚はそう言いながらカーテンを開ける。
その向こう、立っていたのは渚の両親ではなく天方先生だった。

「葉月君、こんな言葉があります。親の心子知らず。…ご両親が心配してます、帰りなさい」

渚は涙を流しながらそれに頷いた。

「ごめんなさい、出て行くタイミング見失っちゃって」
「でも、なぜ先生が…」
「俺が連絡した」

え?と怜が驚く。

「七瀬君から電話があって、葉月君のことは自分たちに任せて欲しいって」
「ハル…」
「なんだよ」

まずは気持ちを伝えなさい、と先生が言って渚はそれに頷いた。

「それじゃ、行こっか」
「そうだな。何してる、渚?」
「親に伝えに行くんだろ?」

そうだけど、と状況が飲み込めていない渚に僕達も一緒に行くと言っているんですよ、と怜が微笑んだ。
その隣に俺も並んで、小さく欠伸を噛み殺す。

「…今年は俺も仲間にしてくれるんだろ?1人減っちゃ意味ないじゃん」
「だいたい、僕を水泳部に引っ張ってきた張本人がいなくなるなんて許しませんよ」
「あ、照れてる?」

黙りなさい、と怜に言われて俺は笑う。

「なーぎさ?さっさと行こう?」
「うん!!!」

待って、といつものように彼が追いかけてきて俺達の輪の中に加わった。

「僕、絶対みんなと泳ぐよ。そのために頑張って説得する」

いつもの笑顔を見せた渚に俺と怜は顔を見合わせて笑った。


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