結局、渚の親を説得することには成功した。
勉強を頑張ることと、全国に出てみろと言う親の言葉。
渚は笑ってそれに頷いた。
ごめんね、と謝った渚に俺は笑って俺も悪かったと告げた。
本当にそれだけのことだったけど昔に比べれば、俺も仲間になれているような気がした。

もう随分と遅い時間で、泊まっていくか?という遙さんの誘いを断って俺は自分の家に向かっていた。
終電近い電車に揺られて自分の駅で降りて、今度は隠すこともせずに欠伸をする。

久々に、親に会いたくなった。
血は繋がっていないけど、本当に大切な2人を思い出して頬を緩める。
そろそろ半年定期の検査もそろそろだし、まぁ会えるだろう。

改札をくぐり、外に出た時ふと視界に入り込んできたもの。
見覚えのある人の見慣れない姿。

「…大和さん?」

俺の声にベンチに座っていた彼はゆるりと、視線をこちらに向けた。
雨は降っていないのに濡れた髪。
彼の着ている白いシャツには緑色の液体。
頬は痛々しく腫れていた。

「御影…こんな時間に何してんだよ」

彼はいつも通り微笑んだ。
それが今の彼の姿にはとても不釣り合いだ。

「どうしたんですか、それ」
「別になんでもないよ」

よく見れば手首や首からも血が流れている。
白いシャツの肩の辺りにも赤い痕。
ぽたりぽたり、と髪から落ちる液体を拭うこともせず彼はぼんやりと座っていた。

「大和さん、風邪引いちゃいますよ。俺の家近いんで…来ますか」
「別にいいよ。帰るから」

立ち上がった彼はふるふると首を横に振ってから歩き出す。

「大和さん!!」
「悪いな、変な姿見せて」

彼は笑った。
なんで、笑ってんの。
ねぇ、大和さん。

「相談、してください」
「え?」
「俺も、リハビリの時何度も救われました。だから、話…何でも聞きます」

俺の言葉に彼はやっぱり微笑むだけだった。

「またな、御影」
「……はい」

ひらひらと振った手。
白い肌に赤い線がゆっくりと伸びていって、彼は学校の方に歩いて行った。

「…凛、起きてるかな…」

携帯を出して彼の番号にかければはい、と声が聞こえた。

「もしもし、凛?俺、朱希だけど」
『悪いな御影。凛じゃない』
「…えっと、山崎さん?」

おう、と彼が答えて勝手に出て悪いなと呟く。

「いえ…。あの、凛は?」
『今後輩のとこ。なんか、デカい蛙をどっかから持ってきた馬鹿がいて説教中』
「蛙…えっと、どうしよう…」

大事な用なら伝えるぞ、と言う言葉に俺は遠くにまだ見える大和さんの背中を見つめる。
凛とは話したことないってこの間も言ってたし…

「あの、山崎さんって大和さん。瀬尾大和と話したことありますか?」
『瀬尾?たまに話すけど』
「じゃあ、山崎さんにお願いしてもいいです」

何を?と不思議そうな彼に今自分が目にしたものを伝える。
おそらくジュースをかけられて濡れた体といくつかある傷。

「…何があったのか、とかよくわからなくて。でも、昔世話になったので放っておけなくて…」
『瀬尾は今、こっちに向かってんのか?』
「多分…」

わかった、と山崎さんが答える。

『一応校門で待っててみる』
「すいません、こんな夜遅くに」
『いいよ、別に。凛にはどうする?言うか?』

いえ、大丈夫ですと言えば彼はじゃあまたと電話を切った。

「…大和さん…」

彼がいたベンチに視線を向けてから溜息をつく。
今は山崎さんを信じよう。





頬が熱い。
頬が、手首が、首が、背中が痛い。
頬を伝うメロンソーダか鬱陶しくて。
でも、拭う気にもなれなかった。
指1本動かしたくない。
この足を止めて、眠ってしまいたい。

「なんで俺がこんな目に合わなきゃいけねェわけ?」

イライラする。
ポケットの中の携帯が震えて、携帯を引っ張り出して待ち受けをみれば今俺を苛立たせる相手の文字。
その電話を切って、ポケットに押し込む。

死んだように眠りたい。
あぁけどイライラするから、バスケもしたい。
ずっとバスケだけしていられればいいのに。

シャワー浴びてバスケをしようと思いながら首の傷をカリカリと爪で掻く。
学校が見えてくれば校門に人がいることに気づく。
御影、は追いかけてきてなかったし…誰だ?
近付けばそれはもう見慣れてしまった姿だった。

「瀬尾」
「……山崎…?何してんの?」
「お前待ってたんだよ。御影から連絡貰った」

…御影が連絡?
いつの間にか知り合いになってたのか…
てか、放っておけばいいのに優しい奴。

「ヒデェ有様だな。何したんだよ」
「別に」
「別にって…」

彼の横を通り過ぎて、部室に向かおうとすれば手首を掴まれる。
やっと血の止まった傷痕がじくりと痛む。
つい漏れた痛い、と言う言葉に彼は咄嗟に手を離した。

「あ、悪い…」
「…こっちこそ」

捕まれた手首を撫でれば頭に乗せられた柔らかいものはグレーのタオルだった。
髪拭けよと言われて汚れると答えれば彼は何も言わずに俺の髪を拭き始めた。

「…心配させたなら、悪い。もう平気だから」
「それ見て、どうやって平気だって思えんだよ」
「俺が平気だっつってんだよ。放っておけよ、マジで」

苛立ちを隠すこともせず彼を睨みつけて彼の手を払えば、山崎は不機嫌そうに眉を寄せて俺の手を掴んだ。

「おいっ!!」
「風呂行くぞ」
「1人で行けるよ、それくらい」

風呂あがったら手当てする、と彼は言って問答無用に俺を引っ張っていった。

「なんで寮に向かってんだよ」
「着替え。お前、またそれ着る気かよ」
「……汚れんぞ、中」

掃除すりゃいいだろ、と彼は言った。
もう何かを言い返すのも面倒で俺は視線を伏せた。
寮に入れば妙に騒がしい。

「どこ行ったんだよマジで!!」
「つーか、なんで離した!!」

ぴたりと山崎が足を止める。

「何?」
「いや…」
「宗介!!蛙逃げたから見つけるの手伝え!!」

松岡が山崎の姿を見つけてそう叫ぶ。

「…蛙って何」
「後輩がどっかから連れて来たんだよ…」
「大和さーん!!!か、か、蛙がぁああ!!」

あぁ、バスケ部の連中もこのゴタゴタに巻き込まれてるのか…
いや、自分から首を突っ込んだのか…
どっちにしろ苛立つ俺には苛立ちを増強するだけで内心舌打ちをした。

「…バスケ部員」
「「は、はいっ」」
「今何時だ?…首を突っ込んだのか巻き込まれたのかは知らないけど部活に響いたら困る。分かるよな?」

頭に乗せたタオルで頬を隠し部員達に視線を向ければはいと返事をした。

「何とかしておくから、お前らは寝ろ。いいな?部活に響くようなことがあったらメニュー倍にするからな」

顔を青くした部員たちにわかったら、さっさと寝ろと声をかける。
完全に縮こまってしまった彼らに少し言い方がきつかったかと、小さく溜息をつく。

「おやすみ。さっさと寝ろよ」

そう言って微笑めば彼らはおやすみなさい、と言って足早に部屋に戻っていく。
俺の異変には気付いていないようで助かった。

未だに蛙はどこだと騒ぐ水泳部から視線を逸らす。
視界の端に映ったものに今度は隠さずに舌打ちを零した。

「瀬尾?」
「ここ…いるけど」

消火器の下を指差せばゲコと嫌な泣き声が聞こえる。
気持ち悪い…
両生類って苦手なんだよな、マジで。
ついてない日はとことんついていないものだ。

「あーーーっいたーッ!!」

オレンジ色の髪の少年が嬉しそうに目を輝かせてこちらに駆け寄ってくる。
それの横を通り過ぎて自室の方に歩いて行く。

「山崎、もういいから」
「は?」
「タオル、洗って返す」

俺をじっと見ていた松岡の横を通り過ぎ自室に入る。
クローゼットから着替えを出して、部屋を出れば彼らの視線はこちらに向けられた。
その視線を無視して間を通り抜けていく。
ありがとうございました、というオレンジ頭の声に俺は微笑む。

「どういたしまして」

タオルの下、ズキリと痛んだ頬と眉を寄せた山崎。
それを無視して俺は彼の横を通り過ぎた。


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