手首巻かれた包帯と首にいくつも貼られた絆創膏。
そして、頬には大きな湿布を貼っている瀬尾が何食わぬ顔で教室のドアを開けた。

「おい、どうしたんだよそれ」

クラスメイトの声に彼はいつも通り笑う。

「昨日階段でこけた」
「ダサくね!?お前、そういうキャラだっけ」
「うっせ。自分でもだせぇって思ってるよ」

彼は嘘を吐くとき、表情を全く変えない。
あの笑顔はどんな時でも同じだ。
一体どれだけ偽物の笑顔がある?

彼をじっと見つめていれば彼の視線がこちらに向けられた。
一瞬昨日の苛立ちを帯びた鋭い視線になったがすぐに微笑む。

「はよ、山崎」
「あ、あぁ…」
「タオル、ありがとな」

鞄からタオルを出した彼はそれを俺の机に置いた。
手首の痛々しい包帯が目に入って眉を寄せる。

「その傷「山崎」…なんだよ」
「俺さ、風呂場でこけっちゃって。ダサイよなー?」

頷く以外の選択肢がない微笑みだった。

「怪我は軽いし、全然平気なんだけどさ。色々言われるとあれだからさ」

また、さっきの鋭い視線が俺を射抜いた。
そしてゆっくりと耳に寄せられた彼の口。

「…黙っててくんね?」

あの彼女と電話した時と同じ低い声が直接耳に流し込まれる。
ぞわりと背筋が寒くなった。

「よろしく頼むよ、山崎」
「………あぁ」
「ん、ありがとう」

微笑む。
彼はいつもと変わらぬ笑顔で微笑んだ。
さっきの声は誰のものだと、さっきのお前は誰だと言いたくなる。
凛の後ろに鞄を置いた彼は珍しく教室を出て行った。

HRが始まる直前彼は教室に戻って来て、いつも通り自分の席に腰かけた。
そんな彼を見ながら大丈夫なのだろうか、と考える。

喧嘩とかしそうなタイプではないし、もし男同士の喧嘩だったとしたらそれはそれで怪我が少なすぎる。
男が相手じゃないとなると、浮かぶのは1人だけ。
彼が電話をしていた彼女だ。

HRが終わって次の授業のためにジャージを掴む。
彼も同じようにジャージを手に友人と教室を出て行った。

「宗介、」
「なんだ?」
「瀬尾、昨日のこと怒ってると思うか?」

迷惑かけたよな、と隣でポツリと呟いた凛に大丈夫なんじゃないか、と答える。

「だといいんだけどな…」
「さっさと行こうぜ」
「お、おう…」

その日の授業はグラウンドを他の学年が使うからと体育館でバスケになった。
嬉々とするバスケ部の面々の中、瀬尾だけはどこか気だるげにボールを指先に乗せてくるくると回していた。

「大和、やんねーの?」
「部活まで温存ー」
「とか言ってゲーム始まったらガチになるんだろお前」

痛々しい湿布を貼ったまま彼は笑って、なんでわかったんだよと友人と肩を組む。
ミニゲームが始まればさっき言われていた通り、彼の目の色は変わった。
動かぬ障害物を避けているのではないか、と思ってしまうほど彼は簡単に相手を抜いて行く。
そして3Pラインから綺麗なフォームでボールを投げた。
それはリングをくぐり歓声が上がる。

瀬尾は床に落ちていくボールを見ながら僅かに眉を寄せた。
包帯の巻かれた手首を摩ったが、駆け寄ってくる友人に気づき笑顔でハイタッチをした。

「ナイス、大和」
「サンキュ。けど、もうやめとくわ」
「ま、お前やると圧倒的だもんな」

そういうんじゃないけど、と彼は笑ってコートから出る。
他のメンバーとハイタッチをした彼は足早に体育館を出て行った。

「凛、ちょっとトイレ行ってくる」
「ん」

彼を追いかけて体育館から出れば外にある階段に腰かける瀬尾の後ろ姿が見えた。
するり、と解かれた包帯に赤色が滲んでいたのがここからでもわかった。

「瀬尾」
「…おー、山崎じゃん」
「白々しいな」

俺の言葉に彼は面倒くさそうに溜息をつき、視線を手首に戻した。

「血、出てんぞ」
「だな」
「だなって…」

止まんねーんだから、仕方ねぇじゃん。

彼はそう言ってポケットから新しいガーゼを取り出す。

「塞がりにくい傷ってあるだろ」
「…カッターとかの傷か?それと、爪が刺さってできたやつとか」

女の長い爪で怪我をしたという話は前の学校の友人から聞いたことがある。
爪は黴菌が多いからか、塞がるまでに時間がかかってかさぶたもあまり出来ないと言っていた。
もし、彼女につけられたものなら爪でつけられた可能性は少なくない。

「…そうそう、そういう奴」

彼の表情は変わらなかった。

「………この間の電話の相手に付けられたんじゃないのか?」

瀬尾は何も言わなかった。
その代り、座っていた彼が俺の手首を掴み強引に引きよせた。
バランスを崩して目の前まで迫った彼の顔に息が詰まる。

「あんまり、踏み込んでくんな」
「…やっぱり、その女に付けられたのかよ」
「だったらなんだって言うんだよ」

そんな奴、別れりゃいいのに。
俺の言葉に彼は微笑んだ。

「別れられたら、苦労しねぇの」
「そんな怪我させられて好きなのかよ」
「そういうんじゃないよ」

俺の手首を離して瀬尾は微笑んだ。
いつもと同じ笑顔だが、どこか引き攣って見えた。
彼の瞳は辛い苦しいと訴えているような気がした。
けど、どこか諦めているようにも見える。

「幸せになれねぇんだよ、俺」
「…なんで」
「逃げられない」

俺がなんで、と言う前に彼は口を開いた。

「俺さ幸せな恋愛応援してんだよね」
「…瀬尾、」
「俺が、そうなれないから」

血に濡れた包帯を持って彼は階段を下りていく。

「おい、どこ行くんだよ」
「…保健室。適当に言っておいてくれるか?」
「いいけど…」

頼んだよ、と彼はやっぱり微笑んだ。





なんであんなこと話したんだろう。
俺は血の流れてくる手首を見ながら溜息をついた。

「幸せになれない…か」

自分で言っておいて、嫌な気分になった。
なれないとわかっているのになりたいと願って、幸せな人を羨み、そして結局無理だと諦める。
いつだってこの感情を繰り返すだけ。

「誰か助けてくれよ、」

この手を伸ばす相手なんて、誰もいない。
伸ばす勇気だって、俺にはない。
赤い血がゆっくりと指先に伝わり、落ちた。

「助けてなんて、今更何言ってんだよ…」

地面に赤い血が円を作り、ゆっくりと広がる。
ポタポタと後を追うように血が流れて広がっていく赤色に眉を寄せた。

「痛くない。大丈夫。…俺はまだ、」

ちゃんと笑える


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