暗くなった体育館。
床にはボールが1つ、転がっている
俺はステージに寝転んで目を閉じた。
「疲れたー…」
一日2試合は正直言ってキツイ。
主力を温存するとは言っても主将である俺は2試合丸々試合に出た。
結果で言えば随分な点差をつけて2試合とも勝ったわけだけど俺自身について言えば満足のいくプレーではなかった。
包帯を巻いたままの手首を撫でて眉を寄せる。
次の試合までには何とか調子を戻さなければきっとどこかで足元をすくわれる。
部屋に戻るのも億劫で、このまま寝てしまいたい。
欠伸を零して、腕を目の上に乗せた。
体育館の空気が好きだ。
蒸し風呂みたいなのはいただけないが、この空間が好きだった。
ずっとここでバスケをしていられればいいのに。
いつも、そんなことばかりを考えていた。
眠気に逆らわず意識を手放そうとしたとき、静かな体育館に低いバイブ音が響いた。
ポケットに入れていた携帯を取り出して、閉じていた目を開け画面に視線を向ける。
画面に浮かんでいたのはいつもの名前ではなかった。
「もしもし」
『大和。今日はお疲れ』
電話の向こうから聞こえてきた去年の主将の声に頬を緩める。
「マジでお疲れっすよ」
『2試合全部出てたもんな』
「見ててくれたんすか?」
まぁな、と彼が答えて俺はありがとうございますと返事をする。
『まぁ、今年も期待できそうでよかったよ』
「期待しといてくださいよ。先輩が築いてきたもの、ちゃんと繋げるんで」
『頼もしい後輩だな』
電話の向こう、彼の笑い声が酷く懐かしかった。
そういや、電話した理由なんだけどと彼の声が少し低くなる。
真剣な話をすると、なんとなく分かった。
『お前、どっか調子悪いのか?』
「…なんでっすか?全然元気ですよ」
『そうか?なんか、珍しくシュート荒れてたろ』
手首に巻いた包帯が視界に入り、眉を寄せる。
『…あんま、無理すんなよ』
「はい」
『なんかあったら、俺話聞いてやるしさ。仲間信じて、ベンチに下がることも部長として間違ったことじゃねェよ』
相変わらず、鋭い人だ。
山崎は電話しているところに出くわしたからバレた彼女のことを、この人はいつの間にか気づいていた。
「あざっす」
『ま、今日はゆっくり休めよ。じゃあな』
「はい。また」
電話を切って携帯を床に置く。
先輩は俺を助けようとしてくれた。
話を聞くと何度も言ってくれた。
それでも、俺は助けを求めて手を伸ばすことはなかったし話すこともなかった。
いや、できなかったのかもしれない。
去年のことを思いだしていた、そんな時だった。
体育館の外から口論が聞こえてきたのだ。
最初は気にしないでいたけど、その声はどこか聞き覚えのあるものだった。
寝転んでいた体を起こして、そっとドアの方に近づく。
気付かれないようにドアを開けてその声の方を見ればやっぱり山崎がいた。
遠ざかる背中は松岡のもののようだ。
溜息をつき、首を横に振った彼はその場にしゃがみ込む。
鋭く細められた瞳が何かを睨んでいた。
怒りのようなものが映る彼の横顔が暗闇の中の微かな光に照らされて目が逸らせなかった。
初めて見た表情だった。
普段の気だるげな感じでも、子供っぽい表情でも、俺を心配してる表情でもない。
俺の知らない彼の表情。
虫の音に交ざって、自分の鼓動の音が聞こえた気がした。
いつもより速く、バスケをしているときのような感覚だ。
どれくらいの長さかわからない。
見つめていた俺の視線に気づいたのか彼はこちらを見て目を瞬かせた。
「瀬尾?」
俺の名前を呼んだ彼はいつもの山崎に戻っていた。
心音が消え、虫の音と彼の声が鼓膜を揺らす。
「よう」
「…お前、そんなとこで何してんの」
「あー…」
何をしている、と言われると困る。
少し考えてから1人反省会?と首を傾げながら言った。
「なんだそれ」
彼は少しだけ笑ってゆっくりと腰を上げる。
服の砂を払いながら彼はこちらに近づいてきた。
「負けたのかよ」
「まさか。2試合とも勝った」
「…そっか」
お前は?と言えば一応地方大会に進むと答える。
だがそう答えた彼の表情はやっぱり、さっきと同じだった。
「こんな時間に体育館開けてていいのかよ」
「鍵は返してあるから平気」
「このドアどうすんの?」
中から施錠するけど、と言えば彼は首を傾げた。
「どうやって出んの?」
「抜け道があんだよ」
「あぁ…そういうことか」
靴を脱いだ彼が体育館に入ってくる。
夜だとこんななんだな、と呟く彼に昼間と変わらないだろと俺は笑った。
先生に見つからないようにドアを閉めれば少しだけ暗くなった体育館の中、彼はステージに腰かけた。
「携帯、お前の?」
「あぁ」
「……ふぅん」
俺の携帯を持って彼は目をスッと細める。
「なんで?」
「いや、別に」
床に転がしたままだったボールを拾って、くるりと手の中で回す。
視線をゴールに向けてそれをいつものように打てばリングに当たってから、それをくぐった。
やっぱりダメか。
手首をこねながら床に転がったボールを拾えばステージに腰かけていた彼がじっと俺を見ていた。
「調子悪いのか、やっぱり」
「まぁな。普段はリングには当たらない」
山崎は眉を寄せて言葉を続ける。
「今日の試合も調子悪かったのか」
静かな体育館に響く彼の声は何故か、自分を貫く刀のように思えた。
言葉が鋭いとか、そういうことではなくて。
避けられない、避け方がわからない真っ直ぐな言葉なのだ。
部の仲間だったら上手く繕い笑えるはずなのに、彼の前ではどうもそういうことが出来なかった。
「まぁな…」
「……そうか」
「去年の部長が見に来てくれたけどシュートが荒れてたって言われた」
先程の電話の内容を思い出しながらそう呟いて。
ボールを持ったまま彼の隣に腰かけた。
「荒れてるって、さっきみたいにリングに当たるってことか」
「まぁ、うん。そういうこと。軌道と動作とか他にも色々あるだろうけど」
膝の上に乗せたボールを指の上に移動させて、くるくると回す。
「…大事な場面で、何度か外した。他の奴が拾ってくれたから良かったけどな…」
手首が痛いから、なんて言い訳はしていられない。
どんな痛みがあろうと、繋ぐために俺はコートに立たなければならないし。
立つからには中途半端なプレーはできない。
部員の代表として、部長として試合に出るからには無様な姿だけは見せられない。
見せてはいけなかったのに…
なんて無様なプレーをしたのだろうか。
思い出せば思い出すほど、悔しくて仕方がなかった。
今までだって満足のいく試合なんてしたことはない。
どれだけの点差がある勝利だって完璧なプレーなんて出来たことはない。
あれがダメ、これがダメと反省点は山のようにあった。
けど今回はダメなところしかない気がする。
「情けねぇな…」
部長として。代表としてコートに立つものとして。
情けなくて仕方なかった。
ごろん、とステージに横になり眼前で回るボールを見つめてもう一度口を開く。
「ホント……情けない」
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