夜の体育館。
隣に寝転ぶ瀬尾の指の先でボールがくるくると回る。
「ホント……情けない」
彼の声は僅かに震えていた。
寝転ぶ彼の方を見れば視線が交わって、彼は微笑む。
だがいつもと違って泣きそうな微笑みで、声と表情が噛み合っていなかった。
その表寿を見て御影が言った仮説がどこか現実味を帯びた気がした。
「それでも、ちゃんと勝ったんだろ」
「俺の力じゃないよ。迷惑かけてばっかりだったし」
「交代させられたのかよ」
いや、と彼は言葉を濁す。
調子が悪かったと言っても全部出ていたのだろう。
コイツは妙に自分を悪く言う気がある。
「だったら、情けなくなんかねぇだろ」
「……山崎って優しいよな」
瀬尾はそう言って、こちらに寝返りを打った。
髪に顔が隠れて、回していたボールは彼の腕に抱かれている。
髪の隙間から少しだけ見える目は閉ざされていて、出会って数か月の彼だったがらしくないと思った。
大丈夫だとどんな時も笑っていたくせに、弱みを見せられたようでむずがゆく感じる。
彼の携帯を置いて、そっと彼の髪に手を伸ばす。
微かに肩を揺らしたが、傷ついて帰ってきた時のように手を払おうとはしなかった。
「息苦しい」
瀬尾はそう小さく呟いた。
なんで、と尋ねれば彼はごめんと呟く。
質問に答えてねぇだろと思ったが口には出せなかった。
丸められたその背中が震えているように見えたからだ。
「……お疲れ」
なんで俺がコイツのこと慰めてんだろう、と思わずにはいられなかった。
親しくないわけではないが、極端に親しいわけでもなく。
怪我をさせた奴を知っているが何があったのかを知っているわけではない。
それでも、放っておけなかった。
御影にあんな風に言ったのも、やはり俺自身気になっていたからだ。
納得がいかない、理解が出来ない。
どうして傷つきながらもその女の恋人でいることを選んでいるのか。
幸せになりたいなら、どうしてなろうとしないのか。
瀬尾大和と言う男を理解できないのが、何故か凄く腹立たしいのだ。
まぁ、御影にあんな風に言った理由をもう一つ上げるとすればアイツが妙に追い詰められた顔をしていたからだ。
兄を失った過去があるからか、他の理由からかはわからないが怯えているようにも見えた。
あんな顔をしていればきっと凛が心配するだろうし、あのまま放っておいたら瀬尾だけじゃなくアイツもおかしくなりそうだと思った。
まぁ凛が選んだだけのことはあって本当に優しい奴なのだろうけど、強い奴ではない気がした。
「…なんか、変な気分だな」
「なにが?」
「山崎と2人でこんなことしてんの」
そりゃ俺のセリフだと言えば彼はそうだな、と笑った。
「けどなんでだろうな…」
「なんだよ」
「お前の隣は酷く居心地がいい」
髪に隠れていた閉ざされた瞳がこちらを見上げて、ふっと笑った。
いつも見ていた笑顔とはどこか違っていて。
細められた瞳から目が逸らせなかった。
何だよその顔。
お前、そんな表情出来るのかよ。
「……息苦しいんじゃなかったのか」
我ながら捻くれたことを言った気がする。
俺の言葉に目を瞬かせた瀬尾はうん、と頷いた。
「息苦しいよ。けど、居心地がいいのも本当だ」
「…意味わかんねェ」
「……お前は、優しいから」
彼の瞳はまた髪で隠れた。
そんな時だった。
瀬尾がいるのとは反対側の俺の横に置いていた彼の携帯が鳴った。
浮かび上がった名前は女のもので、多分例の彼女だ。
12時をあと少しで過ぎる、そんな時間の着信だった。
てか、もうこんな時間かよ…
「出ないのか」
「……いい」
音をたてて暴れる携帯を見つめていればプツリ、と着信が切れて動きを止める。
「いいのか?」
「寝てたってことにする」
「…そうか」
女の方はまだ諦めていないらしく、また携帯が暴れ始める。
「……これ何回くらいかかってくんの?」
「その日による。けど、1回ってことはない」
彼の声が苛立ちを含み、低くなった。
数回の着信の後、ぽよんと間抜けな音が響く。
画面にはラインのメッセージが浮かぶ。
―寝てるの?
―無視してる?
―本当は見てるんじゃないの?
―誰と居るの?
―浮気?
短い文が何通も何通も届く。
内容はハッキリ言って、病気なんじゃないかと思ってしまうようなものだった。
なんつーか、あれだ。ヤンデレ?
ラインも途中で来なくなり、画面は暗くなる。
静かになった体育館に俺達の呼吸の音だけが響いていた。
何か声をかけようにも、何も言葉が出てこなかった。
彼はゆっくりと体を起こして、ステージから降りる。
「そろそろ戻ろうか」
ずっと腕に抱いていたボールはまだ、彼の両腕の中にある。
「……そうだな」
彼の携帯を差し出せば両手に持ったバスケットボールと携帯を交互に見つめて、どこか自嘲するように笑った。
今日は、コイツの知らない表情をよく見る。
『ボールに触れてるときだけ違う表情だったら?』
御影の声が頭の中で流れた気がした。
「そのボール、お前の?」
「あぁ、俺の」
「…そうか」
ボールを片手で持って、俺の手から携帯を受け取る。
どこか乱暴にそれをポケットに押し込み彼はドアの方に歩いて行った。
ガチャン、と鍵を閉める音がした。
「で、どうやって出るんだ?」
「こっち」
彼が歩いて行った先は体育倉庫。
そういえば外からも入れる仕組みだったな、と思いながら彼の後ろをついて行く。
倉庫のドアを開けて外に出れば電気の光がまぶしくて目を細める。
倉庫のドアノブを回せば鍵が閉まる音がした。
「どういう仕組み?」
「俺もよくわかんない。けど、反対に回すと鍵が開いて、もう1度そっちに回すと閉まる」
「…それ、壊れてんじゃね?」
そうとも言う、と彼は笑った。
「つーか、教えていいのかよ。俺に」
「いいんじゃね?どうせ、いつも俺がいるし」
「…あっそ」
こんな時間まで付き合わせて悪いな、と彼は言ってボールを指の上でクルクル回しながら歩いて行く。
その隣に並んで、別にと答えれば目を伏せて微笑んだ。
「なぁ」
「ん?」
「お前がバスケしてるとこ、見てみてぇ」
俺の言葉に彼は首を傾げる。
「何でまた急に」
「なんか、気になっただけ」
瀬尾はいつもみたいに微笑んで、大事そうに抱えていたボールをふわりと投げた。
彼の顔より高く上がったボールはまた彼の手に戻る。
「見に来れば?試合とか、練習とか」
「時間被ってんだろ」
「あぁ、確かに」
機会があればいつでも来いよ、と彼は言った。
「情けねぇプレーは、もうしないから」
「…手首痛いのにか?」
「痛くても、だ。傷口が塞がるのなんて待ってらんないしな」
暗くなった寮の階段を上り、俺の部屋の前で彼は足を止める。
「じゃ、また明日」
「あぁ」
「……ありがとな、今日は」
彼はそう言って微笑んだ。
いつものとは違う。
体育館で彼が見せた笑顔だった。
細められた瞳と、弧を描いた口。
多分これが彼の本当の微笑みなのではないかと、思った。
「……おやすみ」
彼は視線を逸らし、一番奥にある彼の部屋へと歩き始める。
窓から差し込む僅かな光に照らされる彼の背中は彼の後輩や仲間達が慕う立派なものだった。
なのに、どこか寂しそうで弱々しくて今にも消えてしまいそうにも見えた。
そんな彼の背を俺はただぼんやりと見つめていた。
我に返って部屋に入れば眠っていた凛が目を覚まして視線を俺に向ける。
「やっと、帰ってきたのかよ」
「悪い、起こしたか」
「別、に…」
今にも眠ってしまいそうな凛は不思議そうに首を傾げた。
「どうか、したのか…?」
「え?」
「なんか、泣きそうな顔してる」
凛の言葉に自分の頬に手を伸ばす。
「そうか?」
「あぁ…」
凛はそう答えてまた眠りにつく。
泣きそうな顔…
自分の頬を撫でて首を傾げた。
「泣きそうなのは俺じゃなくて、アイツだろ」
俺の呟きは誰に届くわけでもなく消えた。
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