「本当にすいませんっ大和さん」
「いいっていいって。俺が好きにやってるんだからさ」
「でも大和さんの練習の邪魔して…」

邪魔なんかじゃないよ、と頭を撫でてやれば彼は笑った。

「御子柴も柴犬って感じだけどさ、お前も犬っぽいよな」
「え、御子柴とセット!?嫌っす」
「いつも一緒にいる時点でセットだろ。お前は黒い柴犬かな」

むすっとした後輩に冗談だよ、と笑って背中を叩く。

「ほら、もう戻って風呂行ってこい」
「はい。ありがとうございました」

一礼して体育館から出て行く後輩を見送って体育館の施錠をする。
鍵を返してから体育館に戻って来て、籠にしまったボールを手に取った。

くるり、とボールを手の中で一度回してリングに向かってシュートを打てばリングに当たらずにリングをくぐった。

「よし、」

痛みはもうない。
巻いていた包帯を解いてまだ残る傷痕を撫でる。
これならきっと、戦える。

それからシュート練を続けていればガラッとドアの開く音がした。

「げ、バレた!?……て、山崎」
「悪いな、驚かせたか?」

びっくりした、と伝えればふっと笑ってこちらに歩いてきた。

「今何時だと思ってんだよ」
「そっちこそ」
「俺は後輩にちょっとアドバイスしてたらこんな時間になってたんだよ」

こっちもそんな感じだよ、と言えば彼は首を傾げた。

「ほら、お前のとこの御子柴とよく一緒にいる1年。頼まれて練習の相手したたんだよ」
「あぁ…あいつか。で、お前はこれから自主練?」
「まぁ、そんなとこ」

籠から取ったボールをリングに向かって打てば音を立てずにリングをくぐる。

「調子、もういいのか?」
「まぁ、特に問題はないよ。傷ももう痛まない」
「そうか、よかったな」

山崎はこの間と同じようにステージに腰かける。

「どうした?」
「いや、折角だから見て行こうと思って」
「ずっとシュート打ってるだけだぞ?」

いいよ、それでもと彼が言った。
まぁいいならいいんだけど…

さっきと同じようにシュート練を始めれば山崎は何を言うわけでもなくジュースを飲みながらそれを眺めていた。

「…楽しそうだな、お前」

籠の中身がなくなった頃、彼は小さな声でそう呟いた。

「そう?」
「いつも、そんな顔してりゃあいいのに」

拾おうとしたボールが手から滑り落ち床にぶつかる。
バウンドを繰り返して転がっていくボールを視界の端に入れて、彼に視線を向ける。

「………今、なんて言った?」
「だから、いつもそんな風に笑ってりゃいいのにって、言ってんだよ」
「いつもと変わらないだろ」

お前、気付いてないのか?

首を傾げた山崎。
頭の中で嫌な声が再生された。

大和、気付いてないの?
…私の前では、そんな顔見せてくれないのに
どうしてバスケやってるときだけ…

「…違う」
「え?」

そんなにバスケが大事なの?
バスケがある限り、1番にはなれないの?
バスケがなくなれば、私が…

「違うって言ってんだろ!!」

体育館に響いた声に山崎が目を丸くした。

「ぁ、悪い………なんでもねぇわ」
「…なんでもねぇことないだろ」

眉を寄せた山崎から目を逸らせば、思い出したくない痛みを体が思い出して俺はそこに蹲る。

「ちょ、おい!?大丈夫かよ」

ステージから降りてきた山崎が俺の顔を覗き込む。

「瀬尾?」
「…悪い、平気だから」

頭の中に映像が流れ込んでくる。
最近は思い出すことなんてなかったのに。

耳を劈くブレーキの音。
聞こえた悲鳴。
身体に走った激痛と、赤く染まった空。

ぎゅっと目を閉じて耳を塞いでも声が流れ込んでくる。

救急車を呼んで!!  どうして飛び出した!?  
 意識はある? 一緒にいた女の子が何か事情を…

遠くに、救急車の音が聞こえた。

ぐっと我慢していた息を吐き出してゆっくりと目を開く。

「悪い…」

俺の顔を覗き込む山崎のジャージを掴む。

「大丈夫、だ」
「…そんな顔して何が大丈夫なんだよ」
「本当に、平気だって」

彼のジャージから手を離して笑えば山崎は眉を寄せた。
立ち上がってボールを再び集めようとすれば体育館に低いバイブ音が流れた。

「っ!!!」

なんつータイミングでかけてきてるんだよ…

「瀬尾、」

ステージの上にある携帯に視線を向けた山崎は無言でそれに近づいて行く。

「放って、おけばいいから」
「……それで、一体なんの解決になるんだよ」
「え…?」

電源を切ったのか電話が途切れる。
こちらを見つめる山崎の瞳に俺は一歩後ずさった。

「なんで別れねぇの?」
「なんでって…」
「好きじゃないのに付き合ってる意味ってなんだよ。バスケが満足にできなくなるような怪我させられてんのに、何に遠慮してんだよ」

お前は、バスケが大事じゃないのか?

彼の言葉はやっぱり突き刺さる。
逃げ道が、いつも見つからない。
なんて答えればいい?
なんて答えれば。いつもみたいにやり過ごせる?
なんて答えれば…

「そんな中途半端でバスケやろうなんて、無理に決まってんだよ!!無茶すりゃいいってもんじゃねぇだろ!?」
「っ…わかって、る」
「わかってねぇ」

彼はこちらに携帯を投げてきて、それを咄嗟にキャッチする。

「本気でバスケがやりてェなら、どうしてそれを捨てない?わかってんだろ、そいつがいる限りお前は…」
「捨て、られるなら…苦労しない」

なんで、こんなこと喋ってんだろ…俺。
言葉が勝手にあふれ出してくる、そんな感覚だった。

「何度だって、別れようとしたに決まってんだろ!?」

バスケが好きだった。
昔からずっと、バスケが好きで好きで仕方なくて。
それ以外、本当に何もいらないと思ってた。
それ以外何も求めない方が良いって、もうわかってる。

「別れたいって何度だって言った。それでも…ダメなんだよ」

俺の別れ話の返事はいつだって嫌だって言葉と、バスケを邪魔する痛みだった。
中3のときのようなことはもう、絶対に繰り返してはいけない。
繰り返したくはない。

「……もう、いいんだって」
「何がいいんだよ」
「もう、どうしようもないんだよ」

手遅れだ。
手遅れなんだよ、もう。

「俺は…アイツと付き合っていなくちゃいけない」
「なんで?おかしいだろ、そんなの」
「……今、バスケを続けるために…仕方ねェんだよ」

山崎ははぁ?と首を傾げた。

「死んだら、バスケなんてできないだろ」
「話が大きくなりすぎてんだろ、死ぬってなんだよ」
「そのまんまの意味だよ」

なんで俺こんなことまで山崎に話してるんだろう。
前の部長にだって隠し続けてきたのに…
コイツには、どうしてこんなすんなりと言葉が出てくるんだろう…

「瀬尾…?」
「……1度死にかけてる。アイツとの別れ話で」
「は?」

もう気分乗らないから、帰ろうぜと言って俺は彼から視線を逸らした。
床に転がるボールを集めていれば山崎は俺の肩を掴む。

「どういう意味だよ、今の」

彼の手を肩から退けて俺は笑った。

「気にしなくていいよ。全部、忘れてくれ」
「は?あんなの聞いて全部忘れるなんて無理に決まってんだろ」
「……山崎はやっぱり優しいな」

お前なら、俺を助けてくれるんじゃないかって。
お前になら俺を救えるんじゃないかって、そう思ってしまう。
助けてくれと、彼に伸ばしそうになった手をぎゅっと握りしめて俺は笑った。
大丈夫、まだ笑える。

「けど、平気だから。サンキュ…山崎」

彼の目から逃れるように俺は視線を逸らした。


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