練習後、体育館に行けば彼がコートの真ん中に立っていた。
彼の手にはボールがあって、視線はリングに向けられている。

「瀬尾」
「…あれ、来たんだ」

瀬尾は視線をこちらに向けて微笑んだ。

「今日は、来ないと思ってた」
「お前に言っておくことがあって、来た」
「何?」

首を傾げた彼と視線が交わる。

「俺は、お前を助けたい」
「…何、言ってんの」

彼は僅かに目を見開いた。

「俺は、そうしてぇと思った」
「頼んでねぇよ、そんなこと」

体育館に響く彼の声は震えていた。

興味なかったはずなのに。
俺は凛がいればそれでよかったはずなのに。
いつから、彼の存在が俺の中で大きくなった?
放っておくことほど簡単なことはない。
けど、お前を放っておくって言う選択肢は俺の中にはもうなかった。

「俺はお前にバスケをやめて欲しくない」

バスケが出来る体があるんだろ?
人を上回る才能があるんだろ?
バスケをもう一度するために、必死でリハビリしたんだろ?
今までの努力はどうなる。
今までの積み重ねは、お前への期待や信頼は?

「俺は平気だって言ってるだろ」

俺は夢を失った。
でも、小さな夢だけどそれを見つけてここに来て。
きっと、俺はもう泳げなくなる。
最後の小さな夢を叶えて、俺の水泳人生は終わりを告げる。
出来ることなら、終わらせたくない。
終わって欲しくない。
もっと大きな舞台で、凛と肩を並べて泳ぎたい。
けど、それはもうできない。
じゃあ、お前は?

「お前の夢はなんだ」
「は?」
「絶対に叶えたい夢は、お前にはないのか?」

瀬尾は俺から視線を逸らす。

「別に、」
「プロ、目指さないのかよ」
「だから、俺はバスケをやめるって言ったろ」

彼の言葉に俺は舌打ちをした。

「お前にとって、バスケって何だよ!!そんな簡単にやめられるもんなのかよ!!?」

今日の移動教室の時と同じように胸倉を掴めば彼の手からボールが落ちた。

「そんな簡単に捨てられるもんなら、どうしてもっと早くに捨てなかった。何でリハビリまでしてコートに戻ったんだよ!!」

瀬尾は肩を揺らして、小さな声で何かを呟いた。

「なんだよ」
「黙れって」

お前には関係ねぇだろ。

瀬尾はそう言って顔を背け、手を握りしめた。

「バスケが出来なくなって、悔しかったんじゃないのか!?空っぽになったんじゃねェのか!?」

俺は、そうだったよ。
水泳が出来なくなって空っぽになった。
世界の色が消えて、水泳がない世界はこんなに退屈だったのかって知った。

「だから、必死になってここに戻ってきたんだろ!!?」
「黙れって言ってんだろ!!!」

瀬尾が声を荒げて、俺を睨み付けた。

「お前に何がわかる?お前は俺の何を知ってる?」

俺の胸倉を掴み、彼は俺を引き寄せた。
至近距離で交わる視線。
彼の瞳には確かな怒りが宿っていた。

「何も失ったことなんかねぇくせに、分かったような口きいてんじゃねェよ」

わかるよ。
お前は俺に良く似てる。
似てるけど、お前はまだ続けられるんだ。
まだ道は閉ざされてないんだ。
それをどうして自分で閉ざそうとしてるんだ。
そんなの、おかしいだろ。
どうして、進めるお前が道を閉ざして進みたい俺には道がなくなるんだ。
そんなの納得いかない。

「お前にはバスケをするための体がある。他を圧倒できる才能が、力がある。負けたくねぇって努力する根性だってある。そんなお前が何を失ったんだよ!!全部取り戻したんだろ!?取り戻せたんだろ!!!?!」

お前はまだ戦えるんだろ!!

叫ぶようにそう言って、彼の額に力任せに自分の額をぶつけた。

「逃げんじゃねェよ」

一瞬だけ、彼の瞳が揺れたのが見えた。
けど瀬尾はすぐに俺を睨み付けた。

「お前には、関係ねぇだろ」

またそれかよ。
関係ねぇって、なんだよ。

胸倉を掴んでいた彼の手が緩み、つられて俺も手を離す。

「…バスケ、好きなんだろ?やめたくねぇんだろ?助けて欲しいんだろ?」

だったら、助けてって言えよ。
俺はその手を拒まない。

俺の言葉に彼は笑った。
今にも泣いてしまいそうな顔で笑った。
違うだろ。
今、どうして笑うんだよ。

「頼んでねェよ。余計なお世話だ」

彼はそう吐き捨てて俺の横を通り過ぎて倉庫の方へ歩いて行く。

「何に遠慮してんだよ」

彼は振り返らない。
足を止めない。

「何を怖がってんだよ」

彼は倉庫のドアに手をかけた。

「どうして幸せになること諦めてんだよ!!!」

彼の肩が揺れて、でも振り返らずに彼は出て行った。

「幸せになりてぇんじゃねぇのかよ…」

どうして諦めたって顔してんだよ。
諦めるには早すぎるだろ。
別れる方法だって、他に何かあるかもしれないのにどうして無理だって決めつけてんだよ。
どうして、幸せになれないって決めつけたんだよ。

「……気に入らない」





体育館から出た俺は人の来ない暗い体育館裏で足を止めた。

アイツの言葉がぐるぐると頭の中で再生される。

「バスケを、嫌いになれるわけないだろ」

やめたくないに決まってる。
助けて貰えるなら、助けて欲しいよ。
幸せに、なれるものなら…俺だって普通の幸せが欲しいよ。
恋人なんて、いなくてもいい。
ただ思う存分バスケを続けられるなら俺はそれほど幸せなことはない。

けど、どうしろって言うんだよ。
助けてくれって手を伸ばして、お前が掴んだとして。
お前まで巻き込まれたら、どうするんだよ。
お前だって夢があるんだろ?
怪我なんてさせたくない。
俺のせいで、夢を潰したくなんてない。

「俺はもう、繰り返したくない。もう誰かの夢を、壊したくないんだよ」

初めから決まってたことだ。
高校で、バスケをやめる。
この3年間に全てを賭けて、戦うって。

壁に背をあてて俺はそこにしゃがみ込んだ。

わかってる。
こんなのはただの言い訳で、ただ俺が逃げてるだけで。
ちゃんと向き合えばいいんだってこと、わかってる。
わかってるけど、俺にその勇気はない。
アイツの前に立つと、鮮明に蘇ってくる記憶。
言葉を紡ぐことさえ、上手くできなくなる。
アイツは俺にとって恐怖でしかないんだ。

「…俺が、ただ弱いだけなんだよ」

だから、悪い。
ちゃんと俺に向かい合おうとしてくれたこと、ただ純粋に嬉しいと思った。

「けど、ごめん…」

俺はそれを受け入れられない。


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