朝早い電車に乗り、会場に向かった。
見慣れない景色が窓の外を流れ、小さく息を吐いた。

山崎はどうして俺を呼んだんだろうか。
全国大会ではなく地方大会に。
そういえば、彼の泳ぎを見るのは2度目だった。
あの時でさえ適当に応援よろしく、なんて言ってたのに今日はどうして応援が必要ないんだろうか…

会場に着いて観客席に足を踏み入れる。
いろんな学校の応援が入り混じり、歓声が飛び交っていた。

「IHと結構雰囲気似てるな…」

周りを見渡せばスカウトマンらしき人も沢山いる。

スタート台の前に並んだ人の中に見覚えのある彼を見つけた。
背中に傷を背負い、それでも前を真っ直ぐ見据える御影。
スタートの合図で水に飛び込む、
ぐんぐんと差が開き、周りの人がおぉと声を上げた。


「やっぱり別格だな、御影朱希…」
「さっきのフリーの1500mもずば抜けてたしな…」
「世界記録保持者は伊達じゃねェか…」

世界記録…?
彼は、そんなところにまで行っていたのか…
あの怪我を背負い、兄の心臓を胸に抱き、2人分の命は…きっと俺には分からないほど重いだろう。

「スゲェな…」

1番でゴールした彼に歓声が沸く。

「これで2年ってことは来年が楽しみだよな」
「スカウトは今年から目、つけてんだろ」
「オリンピックの候補にも入ってるって聞いたぞ?」

オリンピック…
あの時のアイツからは考えられないな。
泣きじゃくって、どうして自分を生かしたんだと喚いて全てに絶望していた彼はもうそこにはいない。
彼の目には、輝かしい未来が映ってるんだろう。

「山崎が出るのまでは…少しだけ時間があるか…」

観客席から出て、更衣室の方へ向かう。
関係者立ち入り禁止、という立札の前で待っていれば御影の姿が見えた。

「御影、」
「大和さん!?え、なんでここに…」
「山崎に誘われてさ。さっきの個人メドレーって言うのか?見たよ、凄かった」

驚いていた彼だったがすぐに笑顔を見せる。

「ありがとうございます。まぁ、記録は更新できなかったんですけど…」
「世界記録持ってんだろ?さっき周りの人が騒いでてびっくりした」
「ニュースとかにもなってんで、知ってると思ってたんすけど…」

テレビ観ないからな、と苦笑すれば彼はクスクスと笑っていた。

「あの頃とは、もう全然違うな」
「…はい。俺、兄さんの分も泳ぎたいんです。それに、凛とか俺の学校のみんなともっと大きな舞台で一緒に泳ぎたいなって。それで、俺みたいに水泳を諦めようとしてる人の目標って言うか…支えになれたらいいなって」

照れくさそうに彼は頬を掻いた。

「まぁ、まずは全国行って…オリンピックが目先の目標ですかね」
「そっか…頑張れよ」
「はい。大和さんは、あの…この間の、」

あれは気にしなくていいよ、と言えば彼は眉を寄せた。

「俺じゃ、力になれないですか?」

御影は真っ直ぐと俺を見つめた。
迷いのない、綺麗な目に俺はどんなふうに映っているんだろうか。

「そういうんじゃないよ」
「だったら…」
「御影が幸せな姿を見せてくれるだけで、俺は満足だから」

俺の言葉に彼は何か言おうとしたが口を閉ざし、眉のしわを深くした。
何か言いたげなその表情はどこか山崎を思い出させた。
メドレーリレーの召集のアナウンスが流れて、じゃあまたなと彼に背を向ける。

「大和さん!!」
「ん?」
「大和さんは、幸せになれないんですか?」

彼の言葉に何も答えずに俺は笑った。
ひらひらと手を振って、観客席の方に向かう。
視界の端に映る彼は悔しそうに眉を寄せていた。





観客席の一番後ろからプールを眺めていれば少しして、選手がぞろぞろと会場に入ってきた。
その中に山崎の姿を見つけた。

「山崎…」

松岡と御子柴、そして以前一度会ったことのある少年と共に彼がその場にいた。
だが、目に映ったそれは驚くべきものだった。

「え、」

紫色に変色した肩。
見間違えでは、ないだろう。

いつからだ?
いつから、肩を痛めていた?

彼と過ごした時間を思い出して、気にかかることがあった。
プリントを拾ったとき眉を寄せ、違和感ありげに肩を回していた。

その肩で泳げるのか?
なぁ、山崎…
全国大会ではなく、地方大会に俺を呼んだのは…なんでだ?
これが最後なんて、そんなわけないよな…?

ゆっくりと、一番前の手すりの方へ歩を進める。

どうして、俺をここに呼んだ?
どうして、どうしてだよ…

「山崎…」

微かに震える手で手すりを掴む。
レースが始まって、歓声がこの会場を埋め尽くす。
けど、その声はどこか遠くに聞こえた。

わからないことだらけだった。

プールに飛び込んだ山崎を見ながら首を横に振る。

「なんで、だよ…」

凄い速さで泳いでいく彼の体が突然がくっと、沈む。
バランスが崩れ、水泡が水面で弾けた。

どうして、あのとき言い返さなかったんだよ。
何も知らねェ、何も失ってねぇお前に何がわかるんだって、思ってた。
けど、わかってねぇのは俺もだ…
俺は、お前のことなんて何も知らずにあんなことを言って。
俺はきっと、お前を傷つけた。

松岡が山崎の名前を叫び、沈みかけた彼の体がまた水面に浮かび上がる。
1番か2番で次に繋いだ彼は苦しげに肩で息をしながら松岡の名前を叫んだ。

俺はずるずるとそこにしゃがみ込んで胸の辺りのシャツを握りしめる。

「なんで、」

自分のことじゃないのに、息が苦しかった。

なんで、お前は…

「そんなになってまで、泳いでんだよ」

わからない。
何もわからなかった。
山崎が何を考えてるのか、今の姿を俺に見せてどうしたかったのか。

どんな覚悟を背負い、どんな思いで彼はそこに立った?
どんな意味を込めて、俺をここに呼んだ?
逃げ続ける俺に、お前は一体何を伝えたかったんだ…?
わかりたいのに、なんにもわからなくて。
ただ、ただ…どうしようもなく泣きたくなった。





泣きそうな凛から視線を観客席に向ける。
彼の姿を探して、視線を動かすがどこにも彼の姿はない。

「宗介?」
「……いねぇ、か…」

お前には見ていて欲しかった。
俺の最後の泳ぎを。
俺のちっぽけだけど、大切な夢を叶える瞬間を。

「瀬尾か?」
「え?…なんで、」
「…見てたぞ、さっきまで」

入場した時に見えた、と凛は言って視線を観客席に向けた。

「あの辺にいたけど。…なんか、あんだろ?行ってこいよ」
「いや、けど…」
「競技はこれで最後だ。このあとはホテルに戻るだけだし…。そうだな。夜の点呼までに帰ってくればいい」

俺の背中を叩いて彼は笑った。

「大事なんだろ、アイツが」

彼の言葉に頷いて、俺は更衣室に急いで戻っていく。
後ろから呆れたような凛の溜息が聞こえた。

なぁ、瀬尾。
お前に俺はどう映った?
未来が閉ざされる俺の姿は、未来を閉ざそうとするお前にどう映った?


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