インハイを目前に控え、こんなことをするなんて思ってもいなかった。
目の前に座っている彼女を見て、小さく息を吐き出した。

「どうしたの、大和」
「…今まで、ごめん」
「え?」

いや、インハイ前だからかもしれない。

「今までさ、ずっとお前から逃げてきた。思い出したくないんだよ、あの事故のこと」

彼女の顔が少し強張った。

「けど、ちゃんと向き合うから」

カランとグラスの中の氷が音をたてた。

「憶えてるか、中3のとき。お前に別れ話をしたこと」
「…聞きたくない」
「聞いてくれ、ちゃんと」

唇を噛んで俯いた彼女に俺は言葉を続けた。

「中3のとき全中で優勝することがバスケ部のみんなの夢だった。俺も、一緒にその夢を抱いてたしあのメンバーなら絶対に叶えられると思ってた。みんなも、そう思ってた」

だから、今まで以上に練習に打ち込んだ。
付き合ってたお前のことも放っておいて、ただバスケにのめり込んだ。

「お前の友達から、お前が寂しいって言ってること聞いたことあったんだ」
「え…」
「けど、それが分かった上でお前は俺と付き合ってた。けどさ…段々申し訳なさが募っていった」

連絡の頻度は週に1回に減って、2週間に1回に減って。
会うことも、めっきり減っていった。

「俺はお前のこと嫌いになったとか、そういうのじゃなくて…ただ、お前のことを気にかけてやれない自分が気に入らなくなったんだ」
「じゃあ、なんで別れようって言ったの…」
「俺は、器用な人間じゃない。バスケ一筋で生きてきて、お前と付き合うっていうのもやっぱ慣れないことばっかりだった。寂しい思いはさせたくなかったけど、やっぱり俺の中でバスケって凄く大きいものだったしさ。」

あの日、あの事故の日。
お前に伝えられていない言葉がある。

俺の言葉に彼女はやっと視線を上げた。

「お前、途中で走って行っちゃって…その後俺は車に撥ねられて結局言わずにいた言葉。あの時、あの話には…まだ続きがあった」

交わった視線に少しだけ手が震えた。
あの事故のことが鮮明に蘇ってきて、小さく息を吐き出す。

「別れようって、言っただろ?あの時」
「…うん」
「お前と別れるって言ったのは、嘘じゃない。あの日は別れるつもりでお前を呼び出した」

別れて欲しい

俺が彼女に初めてそう伝えた時、大きな瞳はより一層大きく見開かれてみるみるうちに涙が滲んできた。

「バスケに集中したいから。俺は、全中でアイツらと優勝したいから別れて欲しい」
「…そこまでは、聞いた」
「うん。全中は俺達の最後の大会で、今まで以上にそっちに集中する。お前をずっと放っておきたくはなかった。…だから、大会が終わったらお前を迎えに行くから。俺と別れて、やっぱり他の人が良いって思ったならそれでも構わない。けど、もし大会が終わってからも俺を好きでいてくれるならもう1回ちゃんと付き合おう」

あのときみたいに彼女の目は見開かれた。

「嘘、」
「俺はあの時…ちゃんとお前のこと好きだったよ。バスケをしてる俺を応援してくれてたし我儘も言わずにずっと待っててくれた。お前だったから、バスケをしながら付き合えてたと思う」

高校に入ったらきっとまたお前に寂しい思いをさせるってことも分かってた。
だから、それも分かった上で俺から離れてもう一度考えて欲しかった。

「もっとお前を幸せにしてやれるやつは沢山いる。お前のために時間を作って寂しい思いなんてさせない奴がきっと他にいる。俺の彼女って位置から離れてちゃんとそう言う奴らを見て欲しいと思ってた。それでもまだ俺が良いって思ってくれるなら…」

俺はお前とちゃんと付き合う気でいた。
俺なりに、お前を幸せにしてやろうって思ってた。

今更こんなこと話すのはズルいと思う。
あの時ちゃんと話してやるべきだった。

あの時俺の別れ話を聞いて逃げ出した彼女を、俺は追いかけた。
彼女の腕を掴んで、ちゃんと最後まで聞いてくれって言おうと思った。
けど、腕は振りほどかれて突き放すように体を押された。

バランスを崩した体は、道路に投げ出された。

「けど、事故の後からお前は変わった。お前はバスケを嫌いになった。……そうさせてしまったのが俺だってこともわかってた」
「大和…」
「頑なにお前は俺と別れることを拒んだ。けどあの事故以来俺はお前を好きではいられなくなった」

俺にとってバスケがすべてだった。
あの仲間と全中で優勝することが俺の、俺達の目標で…夢だった。
その夢を、壊してしまった。
叶えられたはずの夢が、来るはずだった未来が音をたてて崩れ落ちた。

「お前が告白してきたとき、なんて言ったか覚えてるか?」
「……バスケをしてる、大和が好き…」
「うん。俺もバスケの応援をしてくれるお前が好きだった。悩んだときに何も言わずに傍にいて、上手くいったときは自分のことみたいに喜んでくれて。休みの日だって、飽きずに応援に来てくれる…そんなお前が好きだった」

だから、バスケを拒むお前を俺は好きになれなかった。

また俯いた彼女に俺は言葉を続ける。

「だから、別れようって伝えた。何度も、何度も…けど、お前はそれを拒んで俺からバスケを奪うことばかりするようになった」
「だって、だって大和がっ!!大和が、バスケをしてなければ…私が大和の1番になれた」

バスケしてる時だけ、大和は子供みたいに笑う。
それを私に向けてくれたことなんて一度もなかった。
それが、悔しくて…

震える彼女の声。
ポタポタと落ちる涙を拭おうと、伸ばそうとした手は彼女に触れる前に止まる。
優しくしては、いけない。
それじゃあ何の意味もないんだ。

「お前は気付いてたか?俺が落ち込む姿を見せるのも、悩みを相談するのも、弱みを見せるのも…お前にだけだった」
「え、嘘…だって、大和には沢山仲間がいて…」
「俺、キャプテンだったろ。仲間に弱みなんて、見せなかった。見せれなかった。けど、お前は俺の彼女だった。だから、お前の隣では…全部隠さずにいたつもりだ」

お前は俺の特別だった。
あの時は言葉にせずとも伝わっていると思っていた。
いや、事故前までは確かに伝わっていたはずなんだ。

「……なぁ、もうやめにしよう」

もう、あのときみたいにお前を好きにはなれない。

「あの事故のことも、今までお前が俺にしてきたことも全部…なかったことにはならないけど、もう忘れよう。お前が変わってしまった責任は俺にもあるから」
「大和、私は…」
「全部忘れる。お前を責める気もない。だから…だからさ、もうやめにしよう」

涙で濡れた瞳が俺を映した。

「嫌…私は大和が、」
「ごめん。もっと早く向き合うべきだった。逃げずにちゃんと話をするべきだった。けど、あの事故を思い出したくなかった。夢を壊したことを、思い出したくなかった。あの事故が故意じゃないことも分かってた。けど、変わってしまったお前が同じことをしないとは限らないって思ってた」

高校3年間、バスケを続ける為。
入院した俺の元に見舞いに来てくれたバスケ部の仲間とのお約束を守るために。
俺はバスケを失うわけにはいかなかった。
卒業したら、全て諦めるつもりだった。
子供の頃抱いた、中学の仲間と見た夢とは違う本当の夢を諦めるつもりだった。
お前を変えてしまったことの罪を背負って、お前を付き合っていくつもりだった。
けど、ダメなんだ。

あんな光景を見てしまった。
夢を叶える彼の姿に、魅せられてしまった。
諦めないでくれと、彼が言った。
俺の夢が叶う瞬間を見たいと、彼が言った。
あの頃のお前にみたいに、俺を応援してくれる彼に出会ってしまった、

「もう、逃げていられないんだ。ちゃんと、向き合うって決めたんだ。だから全てをお前に話そうって、そう決めた」

今まで目を見て、伝えられなかった。
目を逸らして、逃げて、向き合うことをやめてきた。
けど諦めることは、もうやめる。

はっきりと、彼女に伝えた言葉。
涙で濡れた瞳にまた大きな雫が浮かんだ。





七瀬に言いたいことがあって、岩鳶に行った帰り。
当てもなくフラフラと街中を歩きながら学校に向かっていた。
そんなとき、見つけた喫茶店。
窓ガラスの向こう、瀬尾と泣いている女が座っていた。

「…アイツ、何して…」

多分あれが瀬尾に彼女だろう。
また会ってるってことは、俺の考えはどうやら上手くいかなかったらしい。

「また、別の方法考えるか…」

2人から視線を逸らし、サポーターをつけている肩を撫でた。

「アイツの夢って、なんだろう…」


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