IH決勝。
体育館は観客で溢れ、水泳の全国大会とはどこか違う熱気に包まれていた。
コートに選手が入ってくれば耳を劈くような歓声が沸き上がる。

「鮫柄――ッ!!」
「狙えよ、優勝!!」
「頑張れよ、瀬尾!!」

コートの中、歓声を浴びる彼は心底楽しそうに笑っていた。

ユニフォームに身を包む彼はチームメイトに声をかけて、子供みたいな笑顔を見せる。
初めて見た。
彼が、瀬尾大和本人なのだとそう…思った。

試合開始のホイッスルが鳴って、ゲームがスタートした。

瞬きをする暇さえない。
1秒1秒、景色が変わる。
瀬尾にボールが渡り、歓声が大きくなった。

1人2人と相手を抜き、体勢を崩されながらも放ったボールはリングをくぐった。
先制点に鮫柄サイドが沸いた。

第1Qは鮫柄の一歩リードで終わった。
飲み物を買ってから、もう一度体育館に戻れば先ほどまで俺がいた場所に女が立っていた。
席を奪われたわけでもないし、別にいいかとその女から目を逸らそうとしてあれ?と思った。

「あの女…」

あの横顔、見覚えがあった。
たった1度だけ、見ただけだ。
けど多分…見間違いではない。

「…なぁ、」
「え?」

どうしてお前がこんな所にいる?
お前に、アイツの決勝を観る資格があるのか?

「お前、瀬尾の彼女だろ?」

彼女は目を見開いて、視線を逸らした。

「あ、の…大和の友達…?」
「あぁ」

その女は不安そうに瞳を揺らしてから、小さく息を吐いた。

「彼女じゃない…」
「は?」
「私は、大和の…元彼女だよ」

その声は震えていて、歓声に飲み込まれてしまいそうなほど弱々しかった。

「元?…は?別れたのか?瀬尾が?」
「…うん」

不安そうなその瞳はコートに向けられて、瀬尾の姿を瞳に映すとすぐに目を伏せた。

「IHの前に…呼び出されて…別れて欲しいって」

もしかして、あの時…瀬尾が彼女と話してたのって…
それなら、携帯を持ち歩かなくなったことも納得がいく。
けどどうして?
瀬尾を傷つけてまでも付き合い続けていたこの女が、この女に怯えて諦めていた瀬尾が…
どうして別れた?

「今まで、別れさせなかったくせに…どうして、今更別れた?」
「…全部、知ってるの?」
「全部では、ないけど知ってる。お前が瀬尾に何をしていたのかってことはな」

彼女はそっか、と言ってまた小さく息を吐いた。

「自分がしてきたことがどれだけ最低かってことはわかってるんだ」

そう言って、コートの中を走り回る瀬尾に視線を向けた。

「大和のことが好きだった。本当に。バスケをしてる大和を見て、一目惚れした。あんなに楽しそうにバスケする人…私初めて見たんだ」

バッグを持つ彼女の手に力が入った。
俺の方を見ずに、彼女は言葉を吐き出す。

「彼を失いたくなかった。どんなに放っておかれたって構わない。恋人らしいことが出来なくても構わない。ただ、彼の恋人でいたかった。けど、初めて…別れ話をされた時バスケに集中したいからって言われて…目の前が真っ暗になった」

続きを聞きたくなくて逃げだした。
追いかけてきてくれた彼を、私は…

彼女はそこで、口を閉ざす。
小さな肩が震えて、顔を俯かせた。

「私が彼の夢を奪ったこと、わかってた。気づいてた。そんな私を彼が好いていなかったこともわかってた。私を見ると、叶わなかった夢を思い出してしまうことも、夢を壊してしまった罪悪感と向き合わないといけなくなることも…全部わかってたの」
「お前、わかってて…なんで、」
「わかってても、受け入れたくなかった。認めたくなかった。私は、彼を失いたくなかった。……大和は、私と向き合うことをやめた。私から目を逸らして、過去からも罪からも目を逸らすようになった」

そんな彼を見て、思ったんだ。
彼女は視線をこちらに向けた。

「このまま…大和が目を逸らし続けたら…終わらないんじゃないかなって。彼の弱みに付け込んでいれば彼を失わないんじゃないかなって。…けど、それじゃあ大和の1番にはなれない。だから、」
「アイツからバスケを奪おうとした…?」
「そう。…大和からバスケがなくなれば私が1番になれる。私を想ってくれていなくてもバスケがなくなれば私を見てくれるかもしれないって…思ってた」

彼女の瞳に映るのは罪悪感と、それでも消えぬ彼への想いだった。
きっと、彼女も必死だった。
失いたくないと、縋り続けたんだ…瀬尾の罪悪感に。

「けど、やっぱり私は大和が好きだからさ…骨を折るとか、そんなことまでできなくて。本当に小さな邪魔ばかりをした。それが…尚更嫌われることになるってこともわかってたんだけどね。他に、どうすることもできなかった」

大和は私の小さな邪魔を何も言わずに受け入れ続けた。
悲しみも怒りも憎悪も、何も見せずにただ罰を受けるみたいに受け入れ続けた。

「罪悪感は募っていったよ。けど、それを上回るくらいにそれを眩ませるくらいに彼への想いが膨れていった」

彼女はコートに視線を戻す。
シュートを決めた瀬尾がチームメイトとハイタッチをして、笑顔を見せる。

「けどね、この間あの事故以来初めて…彼から連絡があった」
「え?」
「話があるって。喫茶店に呼び出されて…彼が全て話してくれた」

泣きそうな横顔。
そう言えば、俺が喫茶店にいる瀬尾を見た時も彼女は泣いていた。

「今更、知りたくないことばかりだった。けど、大和が真っ直ぐ私を見てたから。目を逸らさずに話してくれたから…聞かないわけにはいかなかった」
「それで、」
「…うん。別れようって、言われた。あの最初の別れ話以来…初めて目を見てちゃんと向き合って言われた。もうダメだってわかってたけど、どうにか彼の弱みに付け込もうと必死になってる私がいて…けど、ダメだった」

彼女は自嘲するように笑った。

「あんなに必死に一番になろうとした。彼の大切なものを奪ってまで、一番になろうとしたのに…なれなかった。なのに、誰かもわからぬ人に…それを奪われた」

それって、どういう意味だ?
1番を奪われた?
バスケじゃなくて、人に?

「諦めないでって、大和が夢を叶える瞬間が見たいって…そう、言ってくれる人に出会ったって。…その人のことが気づいたら好きになってたんだって。その人の支えになりたいんだって…大和、そう言って凄く愛おしそうな顔をした」

ちょっと待て。
なんだよ、それ。
それって…

「そんな大和、初めて見たの。私はいつだってバスケの次だったのに。その人は大和にとってバスケよりも大切な存在になってた。大和がそう言ったわけじゃないけど、きっとそう。私がバスケを奪うのに必死になってる間に、その人は大和の1番を奪ってた」

もう縋りつくことも出来なかった。
あぁ終わったんだって…もうダメなんだって分かった。
だから、別れたの。
別れるしか、なかったの。

彼女の頬に涙が伝った。

「私だって大和の1番になりたかった…けど、私じゃダメだった。そりゃ、そうだよね。私が奪ったんだもん。大和の夢も、未来も全部…私が奪ったんだ。バスケをしている彼だから好きになったのに、それを奪おうとするなんてホント馬鹿な女だった」

その涙は止まることはなく、頬を濡らし雫となって落ちていく。

「…今日の試合ね…大和が、誘ってくれたの」
「え?」
「ケジメをつける、試合なんだって。壊してしまった夢の代償を払う、大事な試合なんだって。…この試合が終わったらまた、前に進めるんだって…そう言ってた」

そんな試合、私に見せてどうするんだろうね。
濡れた頬を拭いながら彼女は瀬尾のことを見つめていた。

「…最後まで、見ようと思ってたんだけどね。やっぱり、無理そう」

彼女はそう言って俺の方を見た。
涙の痕の残る頬と、涙で濡れる瞳はまだ瀬尾が好きだと訴えている。

「こんなこと、話すつもりなかったんだけどね…誰かに話したいとも、思ってた。ごめんなさい、こんなこと聞かせて」
「いや、聞いたのは俺だし…」
「大和に、伝えておいてくれない?」

彼女は目元を手の甲で拭って微笑んだ。

「やっぱり、バスケをしてる大和が一番カッコいいって」
「…わかった」
「迷惑かもしれないけど、応援してるって…そう、伝えて」

彼女は瀬尾に背を向けた。

「ごめん、もう1個だけ…伝えてもらってもいい?」
「何だ?」
「幸せになって」

頬に一筋の涙が伝った。

第2Q終了のホイッスルが聞こえ、彼女の背中が見えなくなった。
同点に並ばれた点数を見ながら俺は壁に背中を預けて、温くなったコーラのプルタブを開けた。

「…なぁ、…」

彼は飲み物を飲みながら汗を拭う。
チームメイトと何かを話して笑顔を浮かべる。

「少しだけ、期待してもいいか?自惚れてもいいか?…なぁ、瀬尾」

お前が、俺を…

喉を通った温いコーラ。
俺はゆっくりと首を横に振った。

「…今は、そんなこと考えてる場合じゃねェか。この目で…ちゃんと見ておかないといけないよな」

俺の夢を叶える瞬間をお前が見ていてくれたように。


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