バスケ部が鮫柄に帰ってきて、また変わらぬ日常が始まった。
いや、変わったことはいくつかある。
俺が瀬尾と付き合い始めたこと。
それから、部活の世代交代だ。
正式な世代交代は冬に行われるらしいが、受験にシフトを変える3年は徐々にプールから姿を消していく。
推薦で進路が決まっている奴らは何も変わらず、プールで泳ぎ続けていた。
「…そういや、アイツ…進路どうすんだろ…」
凛はオーストラリアに行くことを決めた。
瀬尾は、どうするのだろうか。
いつもと変わらず夜の体育館に灯りはついていない。
ガラッとドアを開けて中に入ればシュート練習をしていた彼がこちらを見て微笑んだ。
「よう」
「祝賀会したばっかなのに、もう練習かよ」
「体、動かしてないと落ち着かねぇからさ」
彼はそう言ってボールを指の上で回しながらステージに腰かける。
彼の隣をポンポンと彼の手が叩いて、俺はそこに腰かけた。
「バスケ部も世代交代か?」
「俺達はウィンターカップまで残るよ。本当はここで身を引くつもりだったんだけどな。止められた」
「また、バスケ漬けか」
まぁ、世代交代しててもそうだったよと彼は笑った。
「そっちは?」
「正式には冬にだって。けど、受験組の3年はこの時期からいなくなる」
「…そっか」
ボールを置いた彼は後ろに寝転んで、早いなと呟いた。
「何が?」
「もう、終わるんだな」
「…そうだな」
高校3年間って案外短かったと彼は笑う。
「この3年間でバスケやめて、適当に地元の大学行く気だったからさ…今更ながら、進路に困ってる」
「推薦、来てんだろ?」
「来てるけど…」
此方側に体の向きを変えた彼の目に迷いが見えた。
少し長めに目を閉じた彼は迷いの消えた目で俺を見た。
「山崎は?どうすんの、これから」
「俺?俺は地元の大学行って、家の手伝いするつもりだけど」
「…水泳、もうやんねぇの?」
あぁ、と頷いて彼の髪を撫でる。
以前彼に触れた時はこんな関係になるとは思ってもいなかったな、なんて思った。
「……本当に、それでいいのか」
「なんだよ、急に。俺はこれでいいんだよ」
彼の頭を撫でていた俺の手を彼が握りしめて、息が詰まる。
「瀬尾?」
「…本当に?」
身体を起こして瀬尾は俺の目をじっと見つめた。
「今まで、逃げてた俺が言えることじゃねぇけど…本当にいいのか?」
「だから、いいって…」
「空っぽになったって、言ってただろ。お前の世界は、まだ真っ暗なんじゃないのか?」
お前が俺の光になるんだろ?
俺の言葉に彼は眉を寄せた。
「お前の、光になりたいよ。けど…きっと、水泳の代わりには俺はなれないよ」
握りしめられた手が離れて彼は俺を抱きしめた。
「どういう意味だよ、それ」
「…待ってて、」
「は?」
耳元で彼の声が聞こえる。
彼の腕はぎゅっと俺を抱きしめた。
「今度は俺が…お前の未来を開いてみせる。お前が、そうしてくれように」
「お前、何言って…」
腕を緩めた彼は俺と視線を合わせて、ふっと笑った。
「俺は、お前の道を照らす光でありたい」
意味が解らなくて首を傾げる俺に瀬尾はただ、笑うだけだった。
水泳。
やめたいわけじゃない。
オリンピックでって、夢を完全に捨てられたわけじゃない。
けど、俺はお前の未来に賭けたんだ…全て。
だから…これでいい。
これで、間違ってないんだ。
彼の温もりに触れながら、俺はそう心の中で呟いた。
▽
お前の未来までの道を、俺が照らそう。
未来への扉を開ける手伝いも、俺がしよう。
けど、そこを進むのは山崎だ。
俺もお前が照らしてくれた道を通って。
開いた未来の扉を潜り抜けて、先に進むよ。
この両足で。
「お前って時々わけわかんねぇ」
「今はわかんなくていいんだって。すぐに、わかるから」
至近距離で視線を合わせ、クスクスと笑えば彼は視線を逸らす。
「つーか、近いし」
「え?あぁ…つい、」
俺は苦笑して、彼から離れようとした。
それが少し名残惜しく感じていれば俺の肩に山崎が顔を埋める。
「…山崎?」
「別に、嫌だとは言ってねぇだろ」
俺は何も言わずに、山崎の背に回した腕に力を入れた。
山崎と別れ、自室に戻った俺は引き出しの中身を出して、あるものを探していた。
「えっと…確か、この辺に…んー…あ、あった」
少し色あせたパンフレット。
それを開けば1枚の名刺が挟まっていた。
「…3年ぶり、くらいだよな…」
携帯でそれに書かれた番号に電話をかける。
『もしもし』
「もしもし。あの、お久しぶりです。数年前にお世話になった瀬尾大和です。憶えてますか?」
『大和君!?あぁ、憶えているよ。元気かい?』
お陰さまで、と言葉を返しベッドに腰掛ける。
『それにしても、突然どうした?』
「先生に相談がありまして…」
『相談?』
山崎からすれば、これはただのお節介になるだろう。
けどきっと、まだ諦めたくないはずなんだ。
言葉ではいくらでも言い繕えることを俺は知ってるから。
山崎は俺に似ていると思う。
何処が、と言われると困るけどなんとなく彼は俺と同じなんだ。
だから、俺が山崎だったら…やめたくないって思ってる。
「はい」
『構わないよ、話してみてくれ』
「ありがとうございます」
先生は俺の話を静かに聞いていてくれた。
『君がバスケ以外のことで必死になるのは、少し意外だね』
「そうですか?」
『リハビリを頑張ったのも、バスケの為だったからね。…うん、さっきの話だけど今すぐにというのは少し難しい』
そうですか、と返し小さく息を吐く。
『でも、来年の4月からならなんとかなるよ』
「え?本当ですか!?」
『あぁ。その頃に受け持ちが1つ空くはずだ。けど…まずは相手の子とちゃんと話し合っておいで』
答えが出るまで、待っているよと先生が言った。
「ありがとうございます!!」
『その子の気持ちが固まったなら、生活に関する準備の手伝いはしてあげられるだろうし』
「はい、ありがとうございます。…また、連絡します」
電話を切ろうとした俺の名前を先生が呼んだ。
『バスケは、続けているのかな?』
「はい。高校のバスケ部で部長をやって、IHで優勝したんですよ」
『…そうか。よく、頑張ったんだね』
先生のお陰です、と言えば彼は笑った。
『君が頑張ったからだよ』
「…本当に、その節はお世話になりました。…知ってますか?あの時一緒だった御影朱希も水泳の世界記録を持っているんですよ」
『朱希君のことはニュースで見たよ。君も彼も乗り越えてくれたようで安心したよ』
嬉しい話だと彼は言った。
『これからも頑張ってと、伝えてくれるかい?』
「はい、伝えておきます」
『大和君も、頑張って。それじゃあ、また連絡が来るのを待ってるよ』
電話を切って、ベッドに沈む。
「…あとは、山崎か…」
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