「山崎、ちょっといいか?」

部屋にノックの音が響いて顔を出したのは瀬尾だった。
話しをしていた凛も目を丸くして俺を見る。

「あ、悪い。なんか大事な話してたか?」
「いや、別に。行ってこいよ、宗介」
「え、あぁ…」

立ち上がって彼の後を追いかける。
何処に向かっているのかと思えば、彼の部屋だった。

「瀬尾?」
「座って」

彼に促され、ベッドに腰掛ける。
彼の真剣な瞳に首を傾げた。

「…なぁ、山崎」
「なんだ?」

瀬尾は俺に背中を向ける。
彼の手は机の上の何かを撫でた。

「…俺と、アメリカに行こう」
「は?」

今、なんて言った?
俺とアメリカに行こう?
アメリカ?

「おまっ、何言って…」
「バスケを続けるって決めた時から、ずっと悩んでた。進路のこと」
「悩んでんのはわかってたけど…何で、アメリカ?てか、俺とって…」

瀬尾は大きく息を吐いてからこちらを見た。

「俺、アメリカの大学に行こうと思ってる」
「は?アメリカの、大学?」
「WCに出るから今年の入学は間に合わねェから、来年の9月から」

その瞳に迷いはなかった。

「そう、か。お前なら、きっと大丈夫だろ。やっていける。俺はこっちからお前のこと応戦して」
「違う、ダメなんだよそれじゃ」
「は?」

瀬尾はお前がいなくちゃ意味がないんだと言った。

「何言って…」
「…勝手だってこと、わかってる。けど、俺はやっぱりもう一度水泳をしてるお前を見たいって思ってる」
「それ、今関係ねぇだろ」

関係あるんだよ、と言った瀬尾が机の上から何かを取って俺に差し出した。

「これ…」
「アメリカのリハビリ専門の施設だ」
「は?」

話しについていけない。
リハビリ施設?
しかもアメリカの?

「俺と御影が世話になった先生が今ここで働いてる」
「え?」
「4月から、受け持ちに1人分空きが出来るって。お前に…お前にその気があるなら担当してくれるって」

差し出されたパンフレットを受け取って、その表紙を見つめる。

「リハビリの期間は100%、水泳から離れることになる。治ってからも通院は必要になるし、水泳も1からやらないといけない。けど…お前にそこからでも上がっていく気持ちがあるなら、何だって不可能じゃないって」
「っ!!」
「優しいリハビリじゃない。それは、俺が身を持って経験してきた。逃げたくなるし、やめたくなるし、もういいよって思うこともあるけど。この人について行けばきっと、また…未来が見れる」

今すぐに答えは聞かない。

瀬尾の言葉に顔を上げた。

「…我儘だけど、俺はお前の隣で頑張っていたい。だから、お前がこの話を受けてくれるならアメリカの大学に行く。受けないなら、俺は日本の大学に行く」
「ちょっと待て。お前は俺のことなんて気にしないでアメリカに行けばいいだろ!?そっちの方が絶対に近道だ」
「夢への近道はない。日本からだろうが、アメリカからだろうが俺は絶対にNBAに行く。これは決定事項だ。バスケはどこでもできるけど、お前のいる場所は1つしかない」

彼はそう言って笑った。

「これは俺の我儘で、お節介だ。けど…ごめん」
「瀬尾…」
「譲りたくないんだ」

真っ直ぐ向けられた言葉。
目を逸らすことは出来なかった。

「…考えてみて欲しい。…時間は、まだあるから」
「なんで、お前…こんなことまでしてんだよ」
「なんでって、お前のこと好きだからだろ。それに、お前がしてくれたことのお返しをしたいだけだから」

俺はお前の道を照らす光でありたい。

彼の言葉の意味が分かった気がした。
道は、彼が照らす。
それを進むか進まないか決めるのも俺で、もし進むなら俺の足で進むんだ。

「…未来が閉じたからなんだよ」
「瀬尾、」
「俺だってあの事故で未来は閉じた。きっと御影だってそうだ。けど、閉じたからなんだ。閉ざされたからなんだ。そんなもん、ぶち壊しちまえ」

彼はそう言って笑った。

「逃げ続けてた俺にだって出来たんだ。逃げずに向き合うお前に出来ねェはずがねぇ」

まぁ、カッコつけて言えるような立場じゃないけどなと彼は苦笑を零す。

「…話は、そんだけ。わざわざ部屋まで連れてきて悪い」
「別に」

そのパンフレットを開けばハッキリ言って読めない英文が連なる。

「これ、なんて書いてあんの?」
「説明文は俺も読めない」

瀬尾はそう言って俺の隣に自然な動作で腰かける。
俺の見ていたパンフレットを数ページ捲って、多分料金についてのページが開かれる。

「ここだけは説明聞いといた。決めるにしても、お金の問題はあるだろうし」

学生のアスリートも多くて、とそのページに視線を落としながら説明をする彼の声を聞きながら視線を伏せる瀬尾を見つめる。
意識してないと恋人であることを忘れてしまうくらい、彼は以前と変わらず俺に接している。
抱き締められたのも、あれが2度目だ。
1度目はまず付き合ってもいなかったし…

好きだと言ってくれた彼の言葉は疑っているわけじゃない。
けど、本当に男の俺と付き合っていいのかと思わないわけじゃない。
俺のことをここまで考えてくれて、一緒に居られることを幸せだと感じる反面、不安も生まれる。

「それで…て、聞いてるか?」

顔を上げた彼と至近距離で視線が交わる。
数回瞬きをした彼だったがふっと口元を緩めた。
ボールを操る彼の大きな手が頬に触れて、彼が目を閉じた。

一瞬。
唇が触れて、離れる。

「…瀬尾、」
「あ…ごめん、急に」

瀬尾は俺から距離を取って、枕を胸に抱いてそこに顔を押し付ける。

「あー…真面目な話してる間はこんなこと、するつもりなかったのに…」

髪の隙間から、赤く染まった耳が見えて俺は小さく笑った。
パンフレットを横に置いて、彼に近づく。

馬鹿な奴だと思う。
こんな可愛げのない男と付き合わずとも、女なんて好きに選べるだろうに。
肩が使えなくなった俺なんかを好きになって、水泳をやめようとする俺に道を作ろうとして。
俺の心の中を読んでんじゃないのかってくらい、タイミングよく俺にキスをして。

「瀬尾、」
「何?て、ちょ!!?」

枕から少しだけ顔を上げ視線をこちらに向けた彼に抱き着いて、彼と共にベッドに沈む。
重いだろうな、なんて思ったけど腰に彼の手が回ったからその考えをかき消す。

「…山崎?」
「ありがとな」

すぐに、この話を受けれなかったことが申し訳なかった。
どこかで躊躇う俺がいた。
失うことの怖さを知ったせいで、手にすることも怖くなってる。
ちゃんと考えて、応えるから…少し、待っててくれ。

「なぁ、山崎」
「…なんだよ。重いなら退くけど」
「いや、別に重くはないんだけどさ。ベッドでこれはヤバくねぇ?」

彼の言葉に冷静になった頭で考えて、自分が何をしているのか気付く。
慌てて離れようとした俺の体を腰に回した手で引き寄せて、彼は笑った。

「…やべぇって言うなら、離せよ」
「え、嫌に決まってんじゃん」

僅かに体を起こした彼がまた俺の唇を塞いで、キスをしたままベッドに頭を沈める。

「っ、」
「山崎」
「…なんだよ」

至近距離にある彼の瞳がどこか楽しげに細められる。

「宗介」
「っあー、もう…お前なんなんだよ」
「…さっき松岡が呼んでていいなーって思っただけ」

突然呼ばれた名前。
顔が熱くなって、彼の肩に押し付ける。

「大和、」
「うん」

本当にありがとう。
お前に出会ってよかったって、思ってるのはお前だけじゃない。
伝えようと思ったけど、言葉には出来なかった。

「もう少しこのままでいていい?」
「…勝手にしろ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」


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