外の寒さが嘘みたいに思えるほど熱気に包まれた体育館で行われたWC決勝。
そこにはもちろん彼、瀬尾大和が立っていた。
沢山の歓声を浴びながら、始まった試合。
接戦だったが、最後に勝利を収めたのは鮫柄だった。
テレビ放送がされているらしく、キャプテンの彼はコートでインタビューをされていた。

『いまだに進路のことについての発表がないようですが、今後のことは何か考えてますか?』

そんな質問に対して、彼は視線を俺の方に向けて笑った。

「アメリカに行きます」
『え?』
「本場でバスケをしたいって思ってます。来年の9月から、向こうの大学に行けるようにこれから受験勉強です」

そんな彼の発言はどうやら、とても驚かれたらしく。
月バスにはデカデカと彼の記事が載っていた。

「…スゲェことになってんな、この記事」
「言うなって。あー、こんなデカい記事になるつもりなかったのに」

月バスを閉じて彼は額に手を当て、溜息をついた。
そんな彼の向こう、窓の外に映る景色を指差せば大和は視線をそちらに向けた。

「うわ、スゲェ…」

眼下に広がるのはアメリカのどこかも分からぬ都市。

「…まさか、本当に来ることになるとはな」
「ん?あと数ヶ月もすりゃここに住むことになるだろ?」
「そうだけど。お前って結構気楽だな」

言葉も通じない知らない土地に行く。
多少なりとも不安があってもおかしくないのに、彼は変わらず笑っていた。

「宗介がいて、バスケがあるならなんとかなんだろ。困ったときは先生もいるし」
「…そうだな」

飛行機を降りて、荷物を持って空港に降り立つ。
案内表示も聞こえる会話も全て英語で。
幼い凛はこういう環境に1人で飛び込んだのか、と思った。

「大和君」

聞こえた声に大和が視線を動かして、笑顔を見せた。

「先生!!行くぞ、宗介」
「ちょ、おい!!?」

手を握った彼が俺を引っ張り誰かに駆け寄る。
その相手に視線を向ければ優しげな男が立っていた。

「お久しぶりです」
「あぁ、元気そうで何よりだよ。君が、山崎宗介君かな?」
「はい。お世話になります」

会釈をしてそう、伝えれば彼はよろしくと言って笑った。

「先生、見た目優しいけどリハビリに関しては鬼畜だから。これ、俺と御影の共通認識」
「やる前にそういうこと言うなよ…」
「覚悟と揺るがぬ意志があるなら大丈夫だよ」

じゃあ、行こうかと歩き出した彼の後を追いかける。

車に乗って向かった先はあのパンフレットの表紙に載っていた建物だった。
中に入れば見るからにバラバラな国籍の人々の姿が見受けられる。

「ここはアメリカでも有名なリハビリ専門施設でね。各国からアスリートが集まってる」
「…そんなとこに、俺みたいな高校生が来ていいんですか?」
「歳は関係ないんだ。中学生で単身ここに来ている子もいる。年齢やプロアマは関係ない。リハビリに耐えるだけの心があることが大事だよ。ここではね」

個室に案内されて、彼は封筒を片手に戻ってくる。

「じゃあ、色々手続きをするんだけど」
「はい」
「大和君はどうする?中を見ていても構わないけど」

大和は首を傾げて俺を見た。

「時間かかるだろうし、行ってこいよ」
「…じゃあ、お言葉に甘えて」
「迷子になんなよ」

俺の言葉に彼は笑って、部屋から出て行った。

「本当に来るとは思っていなかったよ」
「え?」
「一度、やめる決断をしたと大和君に聞いていたからね。もう1度戻ってくることを決めるのはそんなに簡単なことじゃない」

テーブルに置かれた英語で綴られた紙。
その隣に日本語訳が置かれた。

「…そうですけど。アイツと、大和と居たら…止まってらんねェなって」
「彼は、不思議な子だよね。入院してきてバスケはもう出来ないだろう、って伝えたら彼は安心したように笑ったらしい」
「え?」

それを見た医師は驚いてたよ。
普通、スポーツをやっている子はそれが出来なくなると聞くと酷く不安定になる。
泣き喚いたり、暴れたりするのが普通なんだよ。

彼はそう言って、苦笑を零した。

「その時彼を担当していた看護士が一度だけ聞いたことがあるんだ」
「聞いたことがあるって何をですか?」
「どうして笑ったの?って。そしたら彼、なんて答えたと思う?」

そんな話は大和から聞いていない。
バスケをやめるつもりだったとは、聞いていたけど。

「…夢が壊れる音を聞いたんだって」
「夢が壊れる音…」
「その音をもう二度と聞きたくないから、もうバスケはやらないって答えたらしいよ。けど、結局彼はバスケに戻ってこんなところまで来ることを決めた。君と一緒にね」

彼はああ見えて、繊細でね。
誰にも打ち明けない内側の感情がある。
君をここに連れて来たこと、彼のことだから今だって凄く悩んでいるよ。

先生の言葉を聞きながら、俺は眉を寄せる。

大和が悩む?
あんな、お気楽そうに笑ってたのに?

「…彼に、証明してあげてね。ここに来たことは間違ってなかったって。何年後でも、何十年後でも構わない。彼はそれまでずっと、待っていてくれるから」
「…最初から、そのつもりです」
「そうか。なら、安心だ」





正直言えば、宗介がアメリカに行くことを決めてくれるとは思っていなかった。
水泳を諦めたくない気持ちがあることはわかっていたけど、アメリカ行きを決めるのは俺が思う以上に大きな決断だったはずだ。

長い廊下の先、リハビリをしているフロアが広がる。
テレビで観たことあるような人もいるが、俺よりも確実に小さな子もいる。

俺の選択は間違っていなかったのか。
宗介をまた苦しめてしまうことになるんじゃないのか。
考えても答えなんて、出なかった。
それをアイツに聞くことも、出来なかった。

「間違ってなかったのかな…」

その答えはきっと、今は出ないんだと思う。
これから先。
何年も先に、その答えが出る。
その時、俺もアイツも後悔しなければいいのだけれど。

リハビリをしているフロアに背を向けて、階段を上がる。
屋上へ続くドアを開けば、心地よい風が頬を撫でた。
フェンスに近づけば遠くまで街並みが見える。

近くの公園にストリートのバスケットコートが見えて。
その向こうに先生が言っていた大学らしきものが見えた。

「スゲェ…」

自分のアメリカ行きをチームメイトは頑張れって、笑顔で背中を押してくれた。
部長なんて電話で泣いてたし。
家族も頑張れって、言ってくれて。
幼い弟は泣きそうな顔して、兄ちゃんがテレビに出るの待ってるよと言ってくれた。

多くの人に迷惑をかけて、この3年間を過ごした。
今度は、迷惑をかけてしまった人全員に恩返しをしなければいけない。
夢を叶えた姿を、見せることが俺に出来る唯一の恩返しだと思っている。

「…ここで、頑張るからな」

日本人でNBAを目指すことの難しさはわかっている。
ハッキリ言って、不可能だと言う人もいるかもしれない。
井の中の蛙大海を知らず、と言う言葉もある通り日本で優れているからと言って海外でやって行けるとは限らない。
けど、俺は前に進まなくてはならない。
世話になった人、全員のために。
だから、この夢はどんなことがあっても壊れない夢にしよう。

まぁここでバスケをする為には英語を勉強しなくちゃならないんだけど。
そこが一番の問題な気がしてならない。

屋上でぼんやりしていれば、俺を呼ぶ彼の声が後ろから聞こえた。

「宗介。終わったのか?」
「あぁ」
「先生、下の車で待ってるから。住むところ見に行くぞ」

彼の言葉に頷いて、彼の方に歩いて行けば真剣な眼差しが俺を射抜いた。

「宗介?」
「そういやさ、言ったことなかったよな。俺の夢」
「え?あぁ…確かに、言われてみれば」

宗介は静かに息を吐いて、口を開いた。

「子供のころから、夢だったんだ。オリンピックに出ることが」
「…出るだけ?そこは金メダルって言っておこうよ」
「は?」

大和はクスクスと笑って俺の手を掴み歩き出した。

「やっぱり、出るからには1番じゃなきゃダメだろ?」
「…お前の夢も出るだけじゃねぇか」
「え?じゃあ、MVPを獲るを追加で」

一番難しい夢で構わない。
何度挫折したって構わない。
その夢が壊れないほど強い夢であればいい。

「どんな夢だって、きっと叶うよ。努力をやめない限り叶わないものなんてない。諦めない限り、何だって出来る。歩けなくなったら、止まったっていい。振り返ったっていい。ただ、もう閉ざすのはやめよう。勝手に終わらせるのはやめよう」

後悔しなければいい、じゃない。
後悔させないんだ、俺が。

「お前が信じられないなら、俺が信じてる。お前はオリンピックに出て金メダルを獲る。だから、ここで…一緒に前に進もう」
「馬鹿だろ、ホント」
「馬鹿の方が強いかもよ?」

宗介は呆れたように笑った。

「…もう、夢が壊れる音なんてお前には聞かせねぇよ」
「え?」

彼の言葉に俺は目を瞬かせた。

「俺の夢もお前の夢も絶対に叶う。そうだろ?」
「…そうだな」

数年後、数十年後の俺はきっと笑ってる。
この時の選択は何も間違ってないと。
そんな気がした。
今はただ、進めばいい。

「さーて、先生待たせると悪いし急いでいくか」
「あぁ」


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