「あ、お帰り。そろそろご飯できるぞ」
ドアを開けて、彼がいることにはもう慣れた。
アメリカに来てもう、1年が経つだろう。
英語にも慣れて、大学にも行き始めた。
リハビリもそろそろ1年になる。
全く水泳に触れない生活はやはり慣れないけど、確実に完治に向かっていることは身を持って感じていた。
「今日試合だったんだろ?わざわざ作んなくてもよかったのに」
「日課になってるし、別に平気」
「試合の方がどうだったんだ?」
キッチンにいる彼を見てそう問いかければ満面の笑みが返ってきた。
「もちろん、勝ったよ」
「スタメン?」
「フル出場」
初め、大学のバスケ部に入り日本人だからと馬鹿にされたらしいが1日でそれを黙らせたと学内でも話題になったのを今も鮮明に覚えている。
こっちの人に比べれば体は小さいが、それを上回る技術を彼は持っていた。
「怪我は?」
「ないよ」
練習中など、当たり負けして痣やら切り傷やら作ってくることは時々あるがそこまで大きな怪我がないことが俺としては何よりも安心することだった。
「そういや、御影。オーストラリアに渡ったみたいよ」
「へぇ…て、ことは凛と住むのか?」
「そうみたい」
アイツらも相変わらずのバカップルの様だ。
去年、凛がオーストラリアに発ったとき1度だけ凛からメールが来た。
返信はいらないと、書かれていてこれからの決意やら待っているという言葉が綴られていた。
だが、一番最後に御影から貰ったと言う指輪をはめた写真が載っていて盛大に笑ったのは憶えている。
「宗介、荷物置いて手洗って」
「あ、あぁ…」
自分の部屋に荷物を置いて、言われた通り手を洗う。
リビングに戻ろうとして彼の後ろ姿が見えて、足を止めた。
彼がいたから、今俺は自分の怪我に向き合えてる。
あの先生は優しい顔してリハビリは死ぬほど厳しいし、やめてぇと思うこともある。
けど、家に帰って大和を見るとまた頑張ろうと思えた。
「大和、」
「んー?」
振り返ろうとした彼に後ろから抱き着けば、どうした?と声が聞こえた。
水泳から離れているし、大和はまだまだ鍛えているせいで昔よりも俺の方が小さくなった気がする。
「…1年だな、そろそろ」
「そうだな」
「……ありがとな、ホント」
感謝の言葉は今まで幾度となく伝えたし、伝えられてきた。
コイツは馬鹿みたいに真っ直ぐ言葉を伝えてくるから、ついそれに応えてしまって後で恥ずかしくなることも少なくない。
「どうした、急に」
「別に、そう思っただけだ」
「…そっか」
彼から離れれば俺の顔を覗き込んで彼は微笑む。
昔とは違う、本当の彼が目の前にいた。
あの作り笑いは付き合い始めてから一度も目にしたことはなかった。
「なんだよ」
「別に、なんでもないよ」
大和は俺に触れるだけのキスをして、また前を向いた。
皿に盛りつけられる料理を見ながら、相変わらず美味そうなものばかり作るなと思った。
「よし、完成。あー、腹減った」
リビングのテーブルに料理を運んでテレビをつける。
「いただきます」
「はい、どーぞ」
ご飯を食べながら、そう言えば、と俺が話し始めれば彼が首を傾げた。
「リハビリのことだけど」
「うん?」
「4月から、少しずつだけど泳いでいいって」
え、マジで!!?と彼が椅子から立ち上がる。
「マジで。まぁ、最初からガッツリってわけにはいかねぇし。メニューは先生が決めるみたいだけどな」
「…そっか、よかった」
安心したように笑って、彼はまた椅子に座る。
「そういうことなら早く言えよ。ご飯豪華にしたのに」
「…試合の後にそんなことさえるわけねぇだろ」
「じゃあ、今度のオフに豪華なの作る」
とんかつ食いてェな、と呟けば彼は目を瞬かせてから笑った。
「日本食かー。母さん、米送ってきてくれたし。今度は日本食にするか」
「おう」
一緒に住み始めた時、彼が料理ができることに驚いたことを憶えている。
バスケ馬鹿だとしか思っていなかったから、家事をしっかりしてたのは結構意外だった。
彼のこと、ほとんど知らない状態で付き合いだしたのだなとその時改めて感じた。
相変わらずの自信家で真っ直ぐで、バスケに関しては本当に馬鹿で。
誰にでも当たり障りなく接するからいろんな人に好かれて、慕われる。
案外家庭的だし、弟がいたからか子供好きだし、怒ることは滅多にないし。
あぁ、けど1度だけ彼に怒られた。
あの凛たちと泳いだリレーの時に惨めだったか、と尋ねた俺に彼は多分初めて怒っていた。
それ以来、彼が怒る姿は見ていない。
「ん?なんだよ、そんな俺のこと見て」
「…別に。モテそうだなって」
「は?…何を急に。どんなにモテたって、俺は宗介にしか興味ねぇし関係ないだろ?」
彼はむっと唇をとがらせて、テレビの横を指差した。
アメリカに行くことを決めた日に誓いを書いたバスケットボールが飾られていて、俺はふっと口元を緩ませた。
「別に、浮気しそうとか言ってんじゃなくてさ。良い恋人だなって思っただけ」
「…そう、思ってもらえてんなら嬉しいね」
恋人らしいことあんましてやれてねぇし、と彼は視線を逸らして呟いた。
きっと、前の彼女のことが引っかかっているんだろう。
「…そういや、そうだな」
分かっていて、こうやって返すのはズルいかもしれないが彼の頭の中に前の女がいることは俺としてあまり好ましくない。
「あー…悪い」
「今日してくれりゃあ、別にいい」
「は?」
目を丸くした彼にカレンダーに視線を向ける。
「俺もお前も明日は2限からだし。試合後だから、お前のとこも明日の練習軽めだろ?俺も明日はリハビリないし…」
ここまで言ってわからないはずもなく、彼は額に手を当てて溜息をついた。
僅かに紅くなった耳と頬が見えて、俺は満足気に笑う。
「あー、もう。完全に遊ばれてねぇ?俺」
「別に遊んでねェよ。誘ってるだけ。どうすんだ?」
「…喜んで、お受けしたします」
あーもう、恥ずかしいと彼は赤くなった頬にパタパタと手で仰ぎ風を送る。
「お前、本当にこういうの苦手だよな」
「…しょうがねぇだろ。バスケばっかりで、そういうの全く興味なかったんだから」
「俺としては嬉しいけどな」
こんな恥ずかしがるくせに、するとなればカッコよくなるのはどうにかしてほしい。
ギャップありすぎんだろ、マジで。
「ゴムあったっけ?」
「あー…そういや、この間切れたっけ」
「後でコンビニ行ってくる」
こういう話恥ずかしがるくせになんで買うとき恥ずかしがらないのか不思議で仕方ない。
まぁ、そういうところも含めて全部好きだと思ってしまってる俺も結構ヤバいだろうな。
「てかさ、飯時にする話じゃねェよ」
「どうせ2人きりなんだし、いつだって変わらねぇだろ」
「まぁ、そう言われればそうなんだけど」
彼は俺を見て、笑った。
その目に映るのが俺だけだということが、何よりも心を満たすことを彼は知らない。
「明日俺立てればいいけど」
「手加減頑張りますよ、宗介さんのために」
「…期待しとく」
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