青白い手に色鮮やかな花束を
例の戦闘の次の日。
俺は案の定、ベッドから起き上がることもできなかった。
身体を捩れば痛む脇腹に溜息をつき、枕元にあった絶対安静という少し雑な置き手紙を見て溜息をつく。
「忍田さんには電話しておかないとか…」
手の届く範囲にあった携帯を掴み彼の番号へと電話をかける。
数回のコール音の後、聞こえた彼の声は酷く焦っていた。
『大丈夫か!!?』
「あーはい、なんとか」
『怪我は?結局生身でA級5人を相手にしただろう?』
はい、と答えてズキズキと痛む脇腹を撫でる。
「逃げようと思ったんですけど、逃げられなくて。窓から飛び降りたりしたせいで、体のあちこち痛いですけど。大きな傷は手と脇腹くらいなので」
『大丈夫なのか、それ…。しかも窓から飛び降りるなんて、何を考えてる!?』
「それしかなかったんですよ。怪我は全部治療して貰いましたし。手の平はぱっくりいっちゃってるみたいなので、長引きそうですけど。かすり傷と打撲が殆どなので、すぐに良くなりますよ」
電話の向こうで溜息が聞こえた。
完全に呆れられたようだ。
『今回は私にも責任があるが…もう少しどうにかならなかったのか?』
「残念ながらどうにも。使いたくなかったので」
『…そうか。当分の間は無理はせずに怪我を治すことに専念しろ。入隊までそんなに時間がない』
「わかりました」
それで、と話を変えて気になっていたことを尋ねる。
「空閑遊真の黒トリガーはどうなりました?」
『迅の持つ黒トリガーを本部に差し出すことを条件に、彼の黒トリガー保持とボーダーへの入隊が認められたよ』
「本部というよりは本部司令のところに、ですよね」
そうとも言う、と彼は答えた。
勢力的にはやはり本部司令の派閥が一番強力になるのか。
玉狛支部は変わらず黒トリガーは1つ。
結局、本部支司令の派閥が優位にあるわけか。
『彼らはボーダーに入隊し、A級を目指すそうだ。一応君の同期として入ることになるだろうな』
「了解です」
『それじゃあ、お大事に』
電話を切って包帯を巻いた掌を数回握る。
その度に痛むのに眉を寄せた。
「これ、治るのかな…」
薬が効いて来たのか、少しだが痛みの引いてきた体。
ゆっくりと体を起こして、時計を見ればまだ昼前だった。
この家の家主は今頃学校の保健室か、屋上で煙草を吸っているだろう。
絶対安静と書かれているし、横になっていようとしたが頭の中に真っ白な時の止まった部屋が浮かび動きを止める。
「…そうか、今日は行けてないのか…」
ここの家主が帰って来るまでに帰ってくれば、きっとバレないだろう。
俺はゆるり、と立ち上がりストックしてある自分の服に着替え、家を出た。
▽
学校を早退し、防衛任務の為に本部へ向かう途中。
忘れ物をした陽介を待ちながら他校の2人を待っていればどこか聞き覚えのある声が聞こえ、視線をそちらに向ける。
「あれ、怪我してるの?」
「軽く捻ってしまって。いつも通り、花をお願いします」
「お大事にね。ちょっと待ってて」
小さな花屋だった。
その店先に榎本の姿があった。
彼の手には包帯が巻かれ、顔色はいつも以上に悪い気がする。
「榎本」
「あれ、三輪さん?」
そちらに歩みを向け、彼の名前を呼べば彼はゆっくりとこちらを振り返った。
俺の姿を見つけ目を丸くした彼は小さく会釈をした。
「どうしてここに?」
「それは俺のセリフだ。お前学校は?」
「少し体調不良で」
青白い顔でそう言った彼には、どう見ても健康そうには見えなかった。
いつも保健室にいるし、体が弱いのか?
「三輪さんは?」
「これから防衛任務でな。陽介たちを待っている」
「陽介…?」
首を傾げた彼にどう説明しようかと考えていれば、タイミング良く後ろから走ってきた陽介が俺の肩を叩いた。
「こいつだ」
「あぁ、三輪隊の人か」
「あれ?何、俺の話?」
そんなところだ、と答えれば続けざまに声が聞こえる。
「遅れました」
「悪い、遅れた」
少し離れたところにいる2人は俺たちを見て。
章平だけが何かに怯えたように肩を揺らした。
「章平?」
章平の隣にいた透が不思議そうに彼の名前を呼ぶ。
「んー…まさか、こんなところで会うとは思ってなかったです」
そう言って、榎本は困ったように眉を寄せた。
「知り合いか?」
「知り合いというよりは…例の男の子を守るときに1度顔を合わせてて…」
あの時か…
そう言えばスナイパー2人を連れてきたのは迅と榎本だった。
俺はこの目でちゃんとは見ていないが。
「それで、何でこんなに怖がられてんだ?」
「あー…何の挨拶もなしに顔に蹴りを叩き込んだからですかねー」
苦笑しながら彼がそう言って俺は眉を寄せた。
1度蹴りを受けかけたことがある身としては、わからなくはない。
周りの気配を察することに長けているスナイパーでも気づけないほど彼は音もなく蹴りの動作に入るということになるだろう。
「そんな痛かったのか?」
「トリオン体だから痛くなかったですけど…」
「そういやそうか。痛くなかったにしては…怖がりすぎだろ」
陽介の問い掛けに章平は視線を榎本に向けた。
榎本は困ったように眉を下げる。
「貴方のライフルを向けたこと、ですか?」
「そんなことまでしたのか?」
「言うこと聞いてもらわないといけなかったんで、多少の脅しはご愛敬じゃないですか?」
俺には彼を傷付ける術がなかったんですから。
さらっと言った彼のその言葉。
聞き流してしまいそうになったその言葉に透が首を傾げた。
「今のはどういう意味だ?」
「え?傷付ける術がなかってやつですか?」
「それ」
榎本は俺はボーダー隊員じゃなかったので、と当たり前のように言った。
そうだ、彼はボーダー隊員に戻れると言われてもそれを拒んだ。
「迅からトリガーを受け取ってなかったのか?」
「受け取ることには受け取りましたけど、家に置いていきましたよ」
「ちょ、ちょっと待ってください!!」
ずっと黙っていた章平が動揺を隠しきれない表情で彼に詰め寄った。
「もしあの時、俺が後ろから撃ってたらどうしてたんですか!?」
「最悪、死んだんじゃないですか?」
そう言って榎本は微笑んだ。
「っ!!な、なんで…そんな危ないこと…」
「撃ちたければ撃て、とは言いましたけど。貴方は撃たなかった。いや、撃てなかった」
榎本は目を細めて、優しい笑顔を見せる。
それが異常なほど彼の言葉に似つかわしくなくて。
「言いましたよね、あの時。戦う意思のない者にとって戦う術は塵程の価値もないって。貴方はあの時、戦おうと思ってなかった。思えなかった。…違いますか?」
俺達の中では確かに怖がりな章平だが、そんな簡単に戦うことを諦めるか?
普段は何だかんだ言って、俺達の後ろを守ってくれてる奴だ。
「出来ましたよ。て、あら?お友達?」
花屋から出てきた店員は俺達を見て目を瞬かせる。
「いえ、ちょっとした知り合いです。いつも、ありがとうございます」
色鮮やかな花束を受け取り、彼は慣れた様子でお金を払った。
「それじゃあ、また明日もお待ちしてます」
「はい、ありがとうございます」
彼は小さく頭を下げ、こちらに視線を戻した。
「すいません、俺はもうこれで失礼しますね」
彼は笑顔を消していつも通りの表情で言った。
「お見舞いか?」
彼の花束を指差し、そう尋ねれば彼は少し言葉を躊躇った。
「そんな、所です」
そう答えた彼はまた小さく頭を下げて、ボーダーの基地とは反対の方へと歩いて行った。
そんな彼を見て、章平は肩の力を抜く。
「大丈夫か?」
「はい、なんとか…」
「…戦意喪失するほど、あいつは怖かったか?」
俺の問い掛けに彼は頷いた。
「人ともネイバーとも違う、独特なプレッシャーみたいなものがあって…。どうやっても勝てると思えなかったんです」
「そんなのあったか?」
首を傾げた陽介に俺は彼の離れて行く背中に視線を向ける。
どこか覚束ない足取りと、青白い手に似合わぬ色鮮やかな花束。
いつも、と言っても数えるほどしか彼とは会っていないがいつもより危うさを感じた。
だが、章平のいう独特なプレッシャーというのはわからなくはなかった。
保健室で彼に後ろから押し倒されたときも蹴りをいれようとされたときも。
気付けなかったのに気付けば凄く異様な感じがした。
警戒心や敵意だけではなく、殺意のようなそんな肌を刺す独特な空気。
殺意と名付けるのが一番正しい気がするが、それよりももっと危険な気がした。
「…普段はないな」
何らかのスイッチが入ったとき、彼は豹変する。
纏う雰囲気も表情も。
もし、その状態で戦ったなら…彼はどうなるのだろうか。
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