嘘吐きなお兄ちゃん
「おかえり、不吹」
壊されていなかった自宅へ帰れば煙草を吹かし、笑う彼の姿があった。
「ただいま、相楽」
「約束通り、生きて帰って来てくれて安心した」
「生きて帰って来れてよかったよ」
相楽の座るベッドにぼすん、と体を沈めればいつものように大きな手が頭を撫でた。
「お疲れ」
「ん…」
「大丈夫だったか?」
何が、とは彼は言わなかった。
「…人は殺してない」
「そうか」
「けど…手は使った」
頭を撫でていた手が止まり、首の裏にあるそれに触れた。
「使ったのか、お前」
「…使うしかなかった」
「お前…本当に馬鹿だな…」
救うためだ。
あの子たちの命を、三雲の命を…
救わなければ、いけなかった。
「大事な人まで死なせたくない。殺したくなかったんだ…」
「そうか…」
「けど使いたくもなかった」
使わずに救えれば良かった。
けど、ノーマルトリガーじゃ追いつかない。
「あ…」
「なんだ?」
「いや、トリガー忘れてきた…」
確か、屋上に捨ててきたんだったな。
「…飯、食うか?」
「いや、いらない。お腹すいてないし…昼代は、あとで渡すよ」
「あぁ」
もう、寝てもいい?と布団に顔を埋めて彼に言えばちゃんと布団の中に入ったらなと声が返ってきた。
どこか重たい体を動かし、布団に潜り込めばおやすみと優しい声が耳に届いた。
「…おやすみ、」
「生きて帰ってきてくれて、ありがとな」
彼の言葉に、返事をする前に俺の瞼は閉ざされた。
寝息をたてる不吹からそっと手を離して、灰皿に灰を落とす。
「生きて帰ってきただけ…マシだと思うべきか。それとも使っちまったことを嘆くべきか…」
綺麗に並べられた本棚を眺めながら、紫煙を吐き出す。
「人を殺していないなら、昔のコイツに戻ることはないだろうけど」
手を使わないと言い始めたのは人をこれ以上殺したくないから。
自分の両手を汚したくないからだった。
手を使っても人を殺していないなら、恐らく問題はない。
「別にあれも…不吹が責任を感じる必要なんて、ないのにな」
寝息が響く静かな部屋にバイブ音が流れる。
音は不吹の学ランから聞こえていて、学ランのポケットから携帯を取り出した。
画面には病院の名前が映しだされていた。
「はい」
『不吹君!?』
「すいません。不吹は今手が離せないんですが、何かありましたか」
不吹君にすぐに伝えて欲しいんですけど、と言った看護師の声はどこか焦りを含んでいた。
「はい、すぐに伝えます」
『伊吹さんが、いなくなりました』
煙草が指の隙間から落っこちた。
慌ててそれを拾い上げて、灰皿に擦り付ける。
伊吹がいなくなった?
おい、それってどういうことだ…?
アイツ、まさか…目を…
『さっきのネイバーの侵攻の時、目を離した隙にいなくなってたみたいで…今、私たちも探しているんですが…』
「すぐに不吹に伝えます。見つかったらまた、連絡お願いします」
『はい』
電話を切って、眠ったばかりの不吹の肩を揺らす。
「ん…」
「不吹。伊吹が病院から消えた」
眠たそうに瞬きを繰り返した目が見開かれて、彼はバッと体を起こした。
「…は?」
「伊吹が病院から消えたんだよ」
「消え、た…ちょっと待って。それって、アイツが…」
目を覚ましたのか、と不吹の声が震えた。
「…探してくる」
「俺も行くか?」
「…大丈夫」
すぐに見つかるから、と言って彼は携帯を片手に部屋から出て行った。
▽
目を伏せて、辺りを視渡す。
今日の侵攻の報告では民間人の死者は出ていない。
ならきっとまだ生きてる。
4年も眠っていた彼女が長距離を移動できるとも思えないし。
「…見つけた」
病院の服でフラフラと歩く少女の姿。
トリオン体に換装して、地面を蹴った。
壊れた建物を見ながら歩く彼女の後ろ、チリチリと黒いものが見える。
「あれって…」
黒い物を生み出しているのは以前三輪さんが倒していた小さなトリオン兵。
「ちょっと待て…あれって、ゲートか…?」
街に響いた警報。
間違いない、あれはゲートだ。
数刻前、侵攻が終わったはずなのに。
あの小さいのが瓦礫の下にでも隠れていたのかもしれない。
若しくは、違うところからの侵攻か…
どちらにせよ、急がないといけない。
伊吹の後ろ、ゲートが開き姿を現したトリオン兵。
彼女の足が止まり、視線が後ろに向いた。
目視で捉えることができた彼女の姿。
だが、トリオン兵も彼女の姿を捉えた。
ここから斬撃を飛ばすか?
いや、そんなことしたら伊吹まできっと殺してしまう。
ならノーマルトリガーのシールドを…
そう思って、換装を解こうとして気づいた。
「…ノーマルトリガー…」
あれは、屋上に捨ててきた。
このトリガーに守るための機能なんて何一つない。
間に合うか、正直わからないが出来る限りの力で強く地面を蹴った。
俺の手に握られた大きな鎌がトリオン兵を破壊したのとほぼ同時に、トリオン兵の手が彼女の体を貫いた。
飛び散った鮮血と重たい音をたてて崩れたトリオン兵。
「…こういうことかよ、迅さん」
トリガーを持っておくべきだと、彼は言った。
彼女が死ぬかもしれないと。
確かに、俺がノーマルトリガーを手にしていたらきっと彼女は助けられただろう。
換装を解いて、地面に倒れた彼女に歩み寄る。
俺と同じ色の瞳が俺を映した。
「だ、れ…」
「何で、目を覚ましたんだ?何で、こんなとこまで来たんだ」
「おきてって、お母さんが…いったの」
良い子だからおやすみ、母親がトリガーになる前に彼女に言った言葉を思い出した。
「伊吹ね、やくそくやぶっちゃったの…だからね、ごめんなさいしないといけなくてね」
「あぁ」
「けど、かえりかたわからなくて。でも、部屋からでたらね…すこしだけおもいだしたの」
元々体が弱く、病院に通っていたことは眠りについた彼女を病院に入れてから看護師から聞いた。
幼いながらも、記憶していたのかもしれない。
病院からの帰り道を。
この、もう誰もいない家への帰り道を。
人ひとりいない住宅街。
彼女の倒れた場所は、彼女の家の前だった。
「だから、かえろうって。それでね、お父さんとお母さんにおねがいするの」
「何を?」
「ゆうえんちにつれていってって。たんじょうびプレゼントいらないから、わがままもいわない。やくそくもちゃんとまもるから。だからいっしょうにいこうって。お兄ちゃんもいっしょに」
弱々しく、彼女は笑った。
「やくそくやぶってね、あけちゃいけないドアあけたの。そしたらね、すごくおこられちゃった。けど、そのときしったの。伊吹にはお兄ちゃんがいるって」
呼吸が少しずつ浅くなってきた。
傷口からの血は止まらない。
彼女はそれに気付いていないのか、鈴を転がすような声で言葉を紡いでいく。
彼女の横に膝をついて、自分によく似た顔を持つ彼女の頬に触れた。
「どう、したの?なきそうなかお」
「…伊吹、」
「いたいのいたいのとんでけ!」
小さな手が、きっと彼女と同じ年の子供よりも小さな手が俺の額を軽く撫でて笑った。
「…ごめんな」
「え?」
「………ごめんな、伊吹」
あの両親と同じ血が流れていなければよかったのに。
俺の妹になんて生まれてこなければよかったのに。
お前を愛してやれる、兄だったらよかったのに。
「お父さんとお母さんが、待ってるよ」
「え?」
「遊園地、みんなで行っておいで」
流れ出る血が制服に染みこんでいく。
力なく落ちた彼女の手が血溜まりに落ちて、ぴちゃっと頬に撥ねた。
妙に生暖かいそれが、頬を伝っていく。
「目が覚めたら、家族で…」
「おこらない、かな?」
「怒らないよ、きっと。ごめんなさいって、ちゃんと言えたら許してくれる」
ちゃんと言えるだろ?と笑顔を作れば彼女は頷いた。
「ちゃんと、いえるよ。ごめんなさいって」
「じゃあ、大丈夫。目が覚めたら、ちゃんと両親に言うんだよ」
「うん」
彼女の瞳が虚ろになっていく。
流れ過ぎた血が制服を重くしていって、頬から真っ赤な雫が血溜まりに落ちた。
「…良い子だから、おやすみ…伊吹、」
「おや、すみ…」
虚ろな瞳が瞼に隠されて、小さな呼吸音がそっと消えた。
病院にいた時と同じで彼女は眠っているようだった。
けど、今度はもう目覚めることはない。
「……ごめんな、伊吹。嘘吐きなお兄ちゃんで」
体に刺さったトリオン兵の手を切り落としてから抜き取る。
吹き出した血が顔を汚し、制服に跳ねた。
「馬鹿だな…死んでほしいって言ってたはずなのに」
頬に伝うのは涙か彼女の血か。
彼女のお腹に開いた穴。
それと同じように自分にも穴が開いたような気分だった。
血に濡れた手で彼女の頬を撫でる。
温もりが少しずつ、消えていく。
「……愛して、やれなくて…ごめんな」
「おいっ!!」
1つの足音が自分の後ろに聞こえた。
「これは…」
振り返れば見開かれた目。
「すぐに医療班を呼ぶ」
「…必要ないです。もう、死んでますから」
死んだ。
…そうだ、彼女は死んだ。
俺はノーマルトリガーを捨てたから、救えなかった。
いや、これでよかったんだ。
これが…よかった。
彼女を救うべきでは、なかったんだ。
決めていたことじゃないか、目覚めたら殺すと。
両親のいないこの世界で、彼女は生きられない。
血に濡れた手で携帯を取り出して、病院に電話をかける。
焦った声が伊吹の行方が消えたことを伝えた。
「伊吹は見つかりました。…けど、残念ながら…」
電話の向こう息を飲む声が聞こえた。
そりゃそうか…
「今から、そっちに連れて行きます。その後のことは、お願いしてもいいですか」
準備をしておきます、と看護師が震えた声で言って俺は電話を切った。
「すいません、そういうことなので。亡骸は持って行かせて貰います」
彼女の冷たくなってきた亡骸を抱えて、少しふらついた足で立ち上がる。
「すいません、お名前…聞いてもいいですか?」
「東だ」
「…東さん。B級の榎本と言います。忍田本部長にお伝え願えますか?」
榎本、と彼は少し驚いたように俺の名前を呼んだ。
「伊吹は、死んだ。と」
「…わかった」
「お願いします」
血を吸った制服が重たい。
ぴちゃぴちゃと血が地面に痕を残して行く。
「…トリガー起動」
小さく口にした言葉に綺麗な体が換装される。
人ひとりの重みを腕に抱き、俺は病院に向かった。
病院にかけつけた相楽は何も言わずに俺を抱きしめた。
換装を解いたせいで血濡れた体だというのに、躊躇いなんてなかった。
いつもの煙草の匂いが体を包み込み、俺は小さく息を吐き出す。
「死んだよ」
「あぁ」
「殺しちゃった」
迅さんに未来を教えて貰っていたのに、俺はトリガーを手放した。
「…お前が、殺したわけじゃない」
「うん、知ってる。けど俺が殺したんだ」
俺を離した相楽は眉を下げ、俺の頬を撫でた。
乾いた血がぱらぱらと床に落ちる。
「家に帰るぞ。風呂入れ」
「ん、」
「葬儀の手配して…墓は、一緒でいいんだろ」
うん、と頷いて病室から出てきた医師に視線を向ける。
「申し訳ありませんでした…こちらのミスで、」
「いえ、気になさらないでください。あの侵攻の中で他の患者さんに怪我がなくてよかった。4年間お世話になりました」
霊安室に運ばれていく伊吹の亡骸を見送り、俺は相楽の服を引いた。
「帰ろう」
「あぁ」
病院から出る途中、見えた三雲修というネームプレート。
だが、足は止まらなかった。
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