生きていてほしい、ただそれだけ
朝の職員会議を終えて保健室のドアを開けば、机に向かっている不吹の姿があった。
「おはよう、相楽先生」
「何やってんだ」
「課題」
ここのところいつもそうだ。
彼は、登校時刻に学校に来ている。
本来であればそれは当たり前なことだが、それがどういう意味を持つのか わからないはずがなかった。
「榎本」
名前を呼べば、彼は手を止めこちらを見た。
ここのところ目の下に居座っていた濃いクマは今日も健在だ。
「よく寝れたのか?昨日は」
「いつも通りかな」
彼はそう言って表情を緩めて、また課題に視線を落とした。
彼の向かいに腰を下ろし、自分の仕事道具を広げる。
医者と違い養護教諭というのは、保健だよりやらなんやらと書類を作ることが多い。
医者であったときは 患者のご機嫌を伺うことも怖がらせないように努めることもなかったが、高校生相手となればそうはいかず。
そろそろ一年を迎えるが慣れないな、と保健だよりの内容を思案した。
イラストを交え、レイアウトを考えていれば コンコンとノックの音。
失礼します、と入ってきたのはジャージ姿の男子学生2人だった。
「見てやってほしい、こいつの怪我を」
こいつ、と背中を押された方の男子学生は心底嫌そうに顔をしかめていた。
「大丈夫だっつってんだろ!?」
「大丈夫じゃない、カゲの大丈夫は」
「ここまで来たんだから、素直に手当てされてけよ。無駄足になるだろ」
基本的に不吹は保健室に来る生徒とは自分から関わりにはいかない。
彼らのことなど気づいてもいないかのように、課題に向き合う姿を一瞥してから カゲと呼ばれた男子生徒の元へ歩みよった。
連れの生徒がジャージを無理矢理捲らせると 広範囲に広がる出血。
「何したんだ?これ」
血を拭いながら問えば、サッカーゴールに破損があり そこで切ったのだと連れの方が教えくれた。
ぱっくりと切れてしまっているそこは、拭えど拭えど血が滲む。
縫うほどではないが、止血には時間がかかるだろうと考えながら治療を施していく。
「クラスと名前は?」
保健室の利用記録を書くために尋ねるも手当てを受けた本人は俺を睨みつけるばかりで、何か彼にしたことがあったかと首を傾げる。
「影浦雅人です。3年C組の」
「おお、ありがとう。すぐに血が滲むだろうから、また来いよ。影浦」
俺の言葉に彼は返事もせず、保健室を出て行く。
連れの生徒はぺこりと頭を下げて、その後を追った。
血を拭ったガーゼをゴミ箱に捨てようとして、手についた血。
見慣れた色と匂いが自分の傷だらけの手によく馴染んだ。
不吹はきっと、伊吹の死を自分のせいだと考えている。
そして 自分の手を汚したと考えている。
だから、行くのをやめたんだろう あの孤児院へ。
彼が手を汚したくない、と言う度に 彼はまだ慣れてないんだなと思っていた。
自分の手を汚したくない、自分の手で誰かを汚したくない、そんな感情はいつかなくなる。
人は慣れる生き物だ。
どんな恐怖も苦痛も重ねていけば当たり前のことになる。
俺が、そうだった。
人の命を奪うことも、仲間が死んでいくことも、気づけば当たり前だった。
血に濡れた手も、硝煙の香りも、噎せ返るような死も俺にとっては普通のことだった。
そうなってほしくはなかった。
だが、彼を引き止めていた孤児院が 無くなった。
そうなれば彼が慣れてしまうのも、時間の問題だろう。
「榎本、」
「ん?どうしたの、相楽先生」
お前は悪くないよ、とどれだけ俺が言ったところで 彼は彼自身を許すことはない。
どんなに理論立てて、彼が悪くないと証明してみせようが彼はアレらを自分の罪として背負うことをやめはしないだろう。
そうする方が楽だからだ。
自分を許すということは、案外難しいものなのだ。
紙にたった一滴でも絵の具を落とせば、元に戻すよりもその色に染め上げてしまう方が楽なのと一緒で。
「今日の夜、ボーダーあるか?」
「いや、ないよ。どうして?」
「久々に、手合わせしようか」
孤児院の子供たちを不吹は凄く大切にしていた。
だから彼が汚れなければ、子供たちのために生きることをやめなかっただろう。
だけど、その道が途絶えてしまったのなら別の道を選ぼう。
俺は別に、不吹に綺麗なままでいてほしいわけじゃない。
まぁ、綺麗でいるに越したことはなかったけど。
ただ生きていてほしいだけなんだ。
生きてさえいてくれれば、どんな罪を背負っていようがどれだけ汚れていようが俺にとっては些細なこと。
初めて会った時、こいつが良いと思ったんだ。
どれだけ汚れた俺でも、一度くらい願ったっていいだろ?
俺は 大切な奴に 榎本不吹に 看取ってほしいと思ったんだ。
だから俺は彼がどんな姿であろうと、生かすと決めた。
「どうしたの?急に。珍しいね」
「たまにはいいだろ?」
今まで、彼には自分を守り生き残る術しか教えてこなかった。
人を殺したと 自分を責めてる彼には 必要ないと思っていたから。
けどこれからは必要になるだろう、人を殺し生き残る術が。
「俺も少し体が鈍ってきてる気がして。ちょっと運動付き合えよ」
「俺としては有難いからいいけどね」
ボーダーがどういうことをやってるのかは知らない。
街に現れる兵器みたいなのを只管倒すだけならいいが、自我のなさそうなあれらはきっと自我を持った奴らが操ってる。
結局、人の敵は人でしかない。
だからいつかはボーダーでも必要になるだろう、人を殺すということが。
「場所はどうするの?」
「いつものとこ借りる」
携帯片手に保健室から校庭の方へ出る。
校庭では先程、保健室に来ていた影浦という少年がベンチに座って体育を見学しているのが見えた。
久しぶりじゃないかと言った電話の向こうの彼に 場所を借りたい旨を伝えれば あの子供か?と彼は笑った。
初めて不吹と手合わせした時から彼に場所を借りていたから、彼は不吹をよく知っていた。
お前を超える才能があるよといつも言うのを否定しながらも俺はわかっていた。
「教えるよ、全部な」
俺の言葉に電話の向こうの彼は心底愉快そうに笑った。
早くから契約しておこうかな、と本気か冗談かわからぬことを彼は言う。
「ボーダー所属だ。諦めろよ」
『おいおい、よっぽど私のとこの方がいい所じゃないか?君も経験済みだろ?』
「人を殺す場所に良いもの悪いもないな。異国の人を殺すか、異界の人を殺すかの違いだ。大差ない」
クツクツと電話の向こうの彼は笑う。
『お前が現役引退して、子供を育て始めた時には笑ったがありゃ近いうちにお前を超えるだろうな。いい仕事したよ、』
「お前んとこに入れる気はないからな」
『ボーダーと契約結んで、借り受ける手もあるだろう?まぁやらんがね』
とりあえず解除キーを送っておくから、いつものとこ使えと彼は言って電話を切った。
ふっと笑って手で作った銃を背を向けた影浦に向ける。
「この距離なら、まだ外さねぇな」
彼を殺し、校庭にいる学生全員を殺すのに5分も要らないな。
愛用していた銃があれば。
素手でやれ、と言われても 10分はかからない。
そんなことを考えていれば背を向けていたはずの影浦が凄い勢いでこちらを振り返った。
キッと睨みつけるその目を、俺は知っていた。
「なるほど。勘のいい子供なんだな」
手で作った銃を下ろし彼に背を向け、保健室に入る。
「場所、借りれた。仕事終わったら迎えに行くから家にいろよ」
「うん、わかった」
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