凪
めんどくせぇと思いながらも保健室の戸を開けば、中にあの先生の姿はない。
代わりに、机に突っ伏して眠る男子生徒。
足音をさせないよう歩み寄れば、昨日ここにいたのと同じやつのようだ。
保健室を出た後、穂刈が言っていたのが正しければ 彼は榎本不吹という名前らしい。
この間の侵攻で急に現れたS級なのだとか。
彼を眺めていれば視界に入った 男にしては長い襟足の隙間から見える黒い何か。
「なんだこれ、」
それに手を伸ばそうとすれば背中にぐさりと刺さった殺意。
昨日、校庭で刺さったものと同じだ。
振り返れば いつからいたのか白衣に身を纏ったあの男が立っていた。
「へぇ、やっぱり勘のいい奴だな」
「…生徒に、なんつーもん向けてんだ。テメェ」
「榎本、やっと寝たところなんだ。起こさないでくれるか?」
刺さっていたものはすぐに消え、彼は治療用の長椅子を指差した。
「どうせ、化膿したんだろ?来いって言ったのに来ないから」
「…殺意向けといて、よく言うな」
「へぇ、殺意。殺気じゃなくて?」
彼の問いの意味がわからず眉を寄せれば彼は何が面白いのか笑った。
「殺気を感じるって奴は一定数いるが、殺意って言ったのは初めてだな。お前、何がわかるんだ?」
「何言ってんだ、お前」
「殺意と殺気は別物だろ。殺意は内に秘めたもんだ。それに気づいたんだろ?お前」
俺の心の中が見えんのか?と彼は首を傾げた。
似たようなもんだが、それに気づかれたことが腹立たしい。
「…なんでその質問に答えなきゃなんねぇんだ」
「まぁ、確かにその通りだ。ただ訂正させてもらうと別に、お前を殺す気はないよ。殺せるなぁとは、思ったけどな」
ほら、座れと無理矢理座らされた長椅子。
制服の裾を捲った彼は 俺が雑に巻いた包帯を丁寧に解いていく。
「そこまで酷くはなってないな」
俺の前にしゃがむ彼を見下ろす。
向けられた殺意以外、殆ど何も感じない。
その殺意も、恐らくわざと向けたんだろう。
こいつ、普通の養護教諭なのか?
そんなことを考えていれば見つけてしまった、俯いている彼のうなじから服に隠された背中にかけて見える傷跡。
それに自然と手が伸びていた。
あと少しで触れる、という時に俺の手を彼が掴む。
「勝手に触んなよ」
俺の手を掴んだ彼の手にも 沢山の傷跡。
全体的に全て古い傷跡のようにも見える。
「事故にでも巻き込まれたのか」
「違ぇよ」
手を離した彼は消毒液をつけたガーゼで俺の傷跡を拭っていく。
「だったら、どうやってこんな傷…」
「お前は俺に興味があるのか?昨日は随分と警戒してたようだが」
「…お前、普通じゃねぇからな」
昨日保健室に来た時もそうだ。
彼からは何も感じなかった。
だからこそ、不信感を抱いた。
なのに、校庭にいる自身に向けられた殺意。
「そーか」
彼はそれだけ言って、口を閉ざした。
綺麗な包帯が巻き直されるのを見つめていれば、彼は手を止める。
彼が振り返って手を伸ばした先、いつの間にか立っていた榎本が彼に鋏を差し出していた。
「っ!?」
足音も気配もなかった。
感情だって、刺さってない。
「起こしたか、榎本」
「いや、平気」
彼は俺に視線を向けてぺこりと頭を下げ、彼が先程まで座っていた椅子に戻っていく。
「ほれ、これで終わり。また帰りくらいに来いよ」
俺がやるよりも随分と綺麗に巻かれた包帯。
例も言わずに立ち上がれば 彼は何が面白いのかケラケラと笑った。
「まるで野良猫だな」
「は?」
「警戒心が強いが好奇心はあるってか?」
彼からは何も刺さらない。
まるで凪だ。
そして、榎本不吹も。
「お大事に」
彼はそう笑って、白衣をはためかせながら榎本に歩み寄った。
「顔色悪いから、とりあえずベッド行け。課題は粗方片付いてんだろ?」
「うん。…そうする」
「昨日も遅かったし、あんま無理すんなよ」
そんな彼らの会話を聞きながら 保健室の戸を閉める。
そしてまた背中に刺さった感情。
「…遊んでやがんな、あいつ」
東のおっさんや空閑も感情を消すのに長けてたが、それ以上だ。
そうなれば榎本不吹も 同等くらいは期待できるだろう。
「とりあえず、本部で捕まえてみるか」
▽
寺島さん、忙しいはずなのに仕事が早い。
今朝方連絡を入れておいたことを、まさかその日のうちに済ませてしまうとは思っていなかった。
使いにくいぞ、と彼は言っていたが俺にとっては色々試した上での完成形。
とりあえず、誰かを相手に試してみたい。
誰でもいいから人と戦いたい、と向かったランク戦室。
遠巻きに見られているのを感じながらもそれに気づかぬふりをしていれば、俺の行く手を遮るように立った男の人。
「よう。待ってたぜ」
視線を彼に向ければ 昨日今日もと保健室に来ていた3年生の影浦という人だった。
ボーダーの人だったのか、この人。
そういえば、穂刈さんと来てたっけ。
「榎本不吹だろ?」
「はい」
「俺とちょっと遊んでけよ」
黒い隊服に身を包んでいるところを見るとB級以上なのがわかる。
誰かと戦うために来ているわけだし、断る必要もなかった。
わかりました、と答えようとした時 俺の肩を誰かが引いた。
「おいコラ、カゲ。榎本いじめてんなよ」
「はぁ!?」
「何もされてねぇか?」
肩を引いたその人は俺の顔を覗き込む。
「荒船さん…」
「お疲れ。防衛任務、あれから入ってるか?問題なくできてるか?」
「はい、何度かやって。今の所、大きな問題はないです」
それなら良かった、と彼は笑い カゲと呼んで彼のことを見た。
「で?何で榎本に絡んでんだ?お前から絡むなんて珍しい」
「試してぇことがあるだけだ。別にいじめてねぇし」
試したいこととは、何だろうか。
カゲさんの視線がこちらに向けられて、俺で良ければと言えば彼は満足気に笑った。
「そうこねぇとな」
さっさとやるぞ、とブースに彼は歩みを進める。
「すいません、行ってきます」
「あぁ。カゲは強いぞ。まぁ、太刀川さんから3本取るような奴に言うことじゃねぇかもしれねぇが」
「いえ、あれはまぐれなので。心して戦います」
一礼して、ブースの中に入る。
武器はスコーピオンか、と彼の番号を押した。
転送された先。
相手の姿はない。
視てみればここらは随分と離れたところに転送されているようだった。
手に握られた銃は握り心地も悪くない。
くるりと回して銃を構えた。
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