この手が奪ってきた





「うわっ!?」
「…ノックをしろ、ノックを」

サボらせてもらおうと向かった保健室。
ドアを開けば シャツを脱いだ保険医がいて驚いた。

「何してんだよ」
「血で汚れたから着替えてるだけだ」

椅子にかけられた彼のシャツはたしかに血塗れ。
少し前 救急車のサイレンが聞こえていたのはそのせいか。
半裸で引き出しを開ける彼の背に、うなじから腰のあたりまで続く大きな傷跡。
そして、映画とかでよく見る銃創。

「…ヤクザかなんか?」
「は?」

シャツを着た彼が振り返る。
そこそこ歳がいってる割に綺麗に6つに割れた腹筋と背中同様目立つ傷跡。

「銃創っつーんだろ、そういうの」

胸にあるそれを指差して言えば「あぁ、」とさして興味なさそうに彼は自分の胸の傷跡を撫でた。

「今時銃なんてヤクザくらいしか…」
「日本はな」
「は?」

ワイシャツのボタンを留めながら彼は何を驚いてると首を傾げた。

「世界を見ろ。右も左も戦争真っ只中だぞ。銃もナイフも地雷も戦闘機もなんでもありだ」
「アンタがそこにいたと?」
「アンタじゃなくて、西尾相楽」

いつもの白衣を翻し、彼はこちらに歩み寄る。
思わず一歩後退りした俺を彼は目を細めて見つめた。
今ばかりは感情が読めねぇのが、怖いとさえ思う。

「見ちまったついでに教えてやるよ。前に言ったトップシークレットなことだ。口外すりゃ、命はねぇよ」

首に触れた冷たいもの。
ナイフ?なんだ、見えない。
それを見ようにも、彼から目を逸らす事が出来ない。

「俺は西尾相楽。民間軍事会社に所属した歴とした 軍人だ。軍医も掛け持った関係で、今はこうして養護教諭やってるわけだ」
「軍、人…」
「君らボーダーと違って、この身一つで戦地を生き抜いてきた。この手にかけた人数は、お前さんの想像を遥かに超えるだろうよ」

ニィ、と彼は笑う。

「影浦、お前さん 人を殺した事はあるか?」
「っ」

純粋すぎる殺意。
指先一つ動かなくなる。
これは、紛れも無い恐怖。
こんなの俺はボーダーですら、出会ったことはない。

「先生?何してるの」

息が詰まる。
呼吸のやり方を忘れてしまったみたいで。
そんな空気をぶち壊す 穏やかな声。
なのにその穏やかな声が「殺すの?」と目の前の男に尋ねた。

「それも悪かない。どうしようかな」
「…俺は何も言わないよ」

足音が俺の横を通り過ぎて、いつものように椅子に座る。
澄ましたその横顔が今は噛み付きたくなるくらい憎らしい。

「ま、ここで殺せば ボーダーとの戦争は避けられんだろ。やらねぇよ」

首から離れた冷たいもの。
それに恐る恐る視線を向ければ 手にしていたのはただのペンだった。

「生きてきた世界が違うんだよ、影浦」
「は、」
「潜り抜けた修羅場の数が違う。このペンをナイフにする事は俺にとっては造作もないってこった。それだけ、この手が奪ってきたんだよ」

なるほど、と納得する他ない。
軍人が育てた男 それが榎本不吹か。
死なない、なんて豪語するだけのことを彼に植え込んだ そういうことだろう。

「…何で、そんな人が養護教諭なんかやってんだよ」
「榎本がいるから」
「は?」

こいつがいたから退いたんだ、と彼はいつもの白衣を身に纏う。

「休暇中に、ガキだったこいつに出会った。心底、欲しくなったよ。だから、辞めた。こいつを育てようと思って」
「な、るほど…」
「先生、白衣も血付いてる」

まじか、と白衣の裾を彼は持ち上げる。
この2人は俺の思っているよりも深い関係ってわけか。

「なら、どうして。アンタはボーダーに来ない?アンタほどの経験があれば 現場はもう無理でも上には立てんだろ」
「興味ない。俺はこいつの生き死ににしか興味ねぇの。わかる?お前らがみんな死のうが、この街がなくなろうが 俺にとってはどーでもいい。この男が生きてさえいるなら それこそ街の一つや二つ 捨てたっていい」

おいおい、まじかよこの男。
深い関係なんて 言葉で表していいんか?
これ、ここまで来たら病気だろ。
榎本に 何がある?
榎本の何が 彼をここまでさせた?
視線を榎本に向ければ彼は表情一つ変えずにいる。
視線に気付いたのか目が合えば こてんと不思議そうに首を傾げた。

「…もういい。理解できねぇ」
「失い続ければわかるよ。何を犠牲にしても、どうしても守りたくなる 何か一つってもんがあるってさ」
「…勘弁してくれ」

榎本にとっては西尾相楽はどういう存在なのか。
わからないが、病的な執着を当たり前のように受け入れているし 相当こっちもやべぇか。

「で?お前何しに来た?また怪我か」
「違ぇ。気分悪ぃもん向けられたから 休みてぇ」
「そうか。そのベッド使っていいぞ」

血の付いた白衣を脱ぎ、彼は笑った。
考えるのをやめよう。
理解なんかできやしない。
彼らは 彼らの世界の中で完結してる。
よくもまぁ、こんな奴をボーダーに入れた。
…こんな奴を黒トリガーの遣い手として選んだよ。





「珍しいね。気に入ったの」

不吹がそう言って首を傾げる。
血の付いた白衣とシャツを洗いながら そう見えたか?と首を傾げれば彼は頷いた。

「ま、嫌いじゃねぇよ。勘がいい奴は話が早い」
「だとしても。軍人だったこと 話すとは思わなかった」
「そういや他人に話したことなかったな。知ってんのも会社の奴くらいか」

こくりと彼はまた頷く。
そう考えれば確かに俺は饒舌に 影浦に色々話したな。

「まぁ、お前が遠征とやらに行くとか聞いたからな。この世界を離れるってことだろ?」
「そうなのかな?」
「俺が知るわけないだろ」

そうか、この世界を離れるのかと彼は他人事のように言う。

「初めてだろ、俺から離れていくの。だからまぁ、牽制?こいつの後ろにはこんなヤベェ奴がいますよって」
「…相楽も来ればいい」
「は?」

俺のオペレーター 探してるんだと 本気か冗談か 彼は言う。

「冗談だろ」
「どうだろう」
「…デメリットの方が多い。お前の過去に 誰か踏み込む可能性がある」

そうかもね、と彼は他人事のように答えて 教科書のページを捲る。

「遅かれ早かれ、ボーダーは相楽に辿り着く。なら、その前に この入隊者が多い時期に紛れ込ませて入って貰った方がって思っただけ」
「一理あるかもしれないけど、組織に属せば動き方が変わる。やっぱりデメリットが多い」
「なら、いいよ。相楽はそのままでいて。死なないから、相楽に殺されるまで」

安心して待っててね、と彼は綺麗に笑ってみせる。
だから、俺はお前を手にかける気なんかありゃしない。
何度言っても、わかっちゃくれないけど。

「けど、オペレーターか」
「どうかした?」
「いや、何でもない」

そういう風に彼と関わるのも悪くないが。
オペレーターは誰よりも近く、そして誰よりも遠い。
画面越しに、もしくは通信機越しに 彼の苦しむ姿を指を咥えて見ていなければいけなくなるかもしれない。
それならやはり、自由に彼に干渉できる今がいいだろう。



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