君らはどうするんだ?
「あの、」
放課後の誰もいない保健室。
終わった書類をテーブルに放り投げて、煙草に手を伸ばした時。
ノックの音と共に聞こえた聞きなれない声。
「えっと?」
制服じゃない男の人はぺこりと頭を下げた。
「養護教諭の先生はまだ保健室にいらっしゃると聞いて伺ったんですが…」
「俺だけど、」
「あぁ、失礼しました。初めまして、東春秋です。ボーダーの」
あぁ、思ったより早かった。
いつか来るとは思っていたけど。
「ボーダーね」
「この学校の榎本不吹くんについてお伺いしたことがありまして」
まぁ予想通りだな。
ここでも、随分とボーダー隊員と関わったし情報が流れる可能性もあるとは思ってた。
「申し訳ないけど、生徒については教えられないよ」
「……貴方が、教えたんですか?彼に戦い方を」
「何言ってんだ、アンタ」
煙草を手にして、席を立つ。
開いた窓に凭れて、咥えた煙草に火をつける。
「高度な戦闘訓練を受けた隊員なんです。恐らくボーダー外部で」
「それが?俺と何の関係が?」
「それを教えたのが貴方だと思っているんです」
そりゃまた突飛な話だ、と呟きながら 燻る紫煙の先の確信を持った視線を見つめ返す。
「榎本隊員には、戦争経験者の後ろ盾がある」
「へぇ、そりゃまた大層な後ろ盾だ」
戦争経験者。
そう言ったのは、恐らく不吹だろう。
異界の人と戦争しようっていうんだから、恐らくその流れで俺が教えた情報でも使ったんだろう。
「ただ不思議だなァ」
「…何がですか、」
「強い兵士がいることの何が問題なんだ?」
兵士ではなく隊員です、と彼は俺の言葉を訂正した。
「悪い悪い。隊員が強いことが君らボーダーに何の不利益なんだ?教えたのが戦争経験者だから?人を殺してきたから?それとも、ボーダーの外に危険因子があることが問題か?」
「……そ、れは…」
「君らだって戦争してるんじゃないのか?少年少女を兵士にして、異界の人間と戦争してるんだろ?何が違う?」
俺からすりゃお前らも同じ戦争経験者だけど、と大きく息を吐き笑みを浮かべた。
警戒が目に浮かぶ彼を見ながら、これからどうしようかと煙草を持たない空いた手を白衣のポケットに入れ携帯灰皿を取り出す。
そういや、影浦が言ってたっけか。
感情を消して攻撃してくるのは、不吹とあの場にいた少年と東のおっさんくらいだと。
恐らく彼の事だろう。
普通の人に比べりゃ、ポーカーフェイスが上手いしな。
ボーダーの中じゃ相当な手練れだろう。
そんな男が動いているとなれば、それだけ事態が進んでいるんだろう。
「東くん、答えてくれるか?」
「…確かに、強い隊員がいることは我々にとっては良いことです。ですが、榎本の強さは…我々の手には負えない。もし本当に、戦争経験者に戦い方を戦いの思考を教わっていたのなら、」
「なるほど、一理ある。だけど、もし…本当に榎本がそうだったとして君らはどうするんだ?」
煙草を携帯灰皿に擦り付けて首を傾げる。
「榎本を殺すか?それとも、ただでさえあの邪魔な首輪のせいで普通の生活を送れない彼をボーダーという檻にぶち込むか?」
「邪魔な、首輪…」
「あれ、知らないのか?軛…君らのいう言葉だと黒トリガー…て、やつ?」
目を見開いた彼ににんまりと笑う俺の姿が映っていることだろう。
「二度目だ。東くん、答えてくれるか?もし、そうだとして…俺の不吹をどうする気だ?」
▽
一瞬だった。
目の前にあるのは保健室の床。
窓に凭れていたはずの彼が背中に乗り、両腕は背中で抑え込まれていた。
動きは見えなかった。
「ここへ来たことは、他に誰が知ってる?俺を探らせたのはボーダーの上層部か?」
「……やはり、貴方が」
「三度目だ。俺の言葉に答えろ」
ずん、と空気が重くなった気がした。
低く重たい地を這うような声に息が詰まる。
「……誰も、知らない。ここへ来たのも、独断です。ですが、貴方を疑っていることを知っている後輩が一人」
「そーか。そんなら、とりあえずお前さん一人殺せば事が終わるってことか」
首筋に触れた冷たいもの。
それが何かはわからなかったが、明らかに俺への殺意を含むものであることには間違いなかった。
「俺が、死ねば…少なからずここも貴方も疑われることになる。後輩は、優秀です」
「不吹を脅かすのなら、俺はアンタ一人殺すことも、ボーダーの人間全員を殺すことも厭わないよ」
「そんなこと、できるはずがない」
本当に?と頭上から笑う声が落ちてくる。
「考えてみなかったか?こんな男が戦争を何故経験してるのか。何故そんな奴が日本で、公立高校の養護教諭なんかできるのか」
それは俺も考えていた。
彼はどう見ても30代。
彼が生まれてから日本で戦争なんか起きていない。
だから、彼が近界民である可能性があった。
もしそうだったらそれを斡旋した人が三門市にいることになる。
「傭兵には雇い主がいる。俺の雇い主ってやつは金さえ払えば、どんな戦争だってやってくれる」
「傭、兵…?」
「他に何があんだよ」
近界民じゃ、という俺の言葉また頭の上から笑いが落ちてきた。
さっきよりも愉快そうに、腕を押さえつける手にも震えが伝わる。
「なるほど。ヤクザって言われるよりは的を射てるかもな。だが、残念ながらハズレ」
傭兵。
そんな考えには至らなかった。
日本が戦争をしていないだけで外国ではまだ、戦争がある。
彼はそこに、いたというのだろう。
「ボーダーを潰すくらいの戦争なら依頼できるくらいに金はある」
「人の命をなんだと思っているんですか」
「さぁ?俺にとっては不吹以外の人なんて鼻かんだティッシュよりも価値がないからなぁ」
影浦の言葉の意味が分かった気がした。
この人は異常だ。
「榎本にとっても、そうだと?」
「そうだよ。不吹は俺の為ならきっと、君ら全員を殺せるし捨てられる」
「そんなこと、」
あるんだよ、と彼は言った。
榎本が人と距離を持っているのは、彼にとってこの男以外等しく無価値だからだというのか?
「ただまぁ…俺は別に不吹を縛り付けたいわけじゃない。アンタらボーダーが不吹を脅かすことがないなら、今のままボーダーにいてもいいと思ってるし。勿論、あの趣味の悪い首輪は気に入らんけどなぁ」
「…… 榎本をどうこうするつもりは、最初からありません。ただ、貴方が…問題なんです」
腕を押さえつけていた手が離れ、体に圧し掛かっていた重さが消える。
ゆっくり、体を起こし振り返れば彼の手にはシルバーのボールペンが握られていた。
あの首に押し当てられた殺意の塊のような凶器が、ボールペンとはな。
恐らく生身でやりあっても勝てはしないし、トリオン体でも厳しいだろう。
「貴方は近界民の疑惑を掛けられやすい。俺が、そうであったように。…それだけじゃなく、貴方の存在が…」
「ボーダーの脅威だと?」
服をはたきながら彼を見ればやはりその顔に笑みを浮かべていた。
榎本が戦う時と同じ、表情だと思った。
「それに、榎本は…危うすぎる。繋ぎ止める存在が、必要なんです」
「なるほどねぇ。俺という危険因子を、アイツを繋ぎ止める鎖としてボーダーの中においてしまおうってこと?まぁ、監視もできて一石二鳥だもんな」
意外と話が通じるのでは、と思ったのも束の間。
彼は却下だ、と一言で吐き捨てた。
「言ったろ、傭兵は雇い主がいる。残念ながら専属契約でね」
「そんな、」
「て、のは冗談だけど。俺はボーダーってのが気に入らないんだよ。未来ある少年少女を兵隊にして大人が胡坐かいてる組織は心底気に入らない」
「それには、理由が…」
理由があれば、マスコミにも餌として投げ出せるのかと彼は笑顔を消して首を傾げた。
その言葉が三雲のことだとはすぐにわかった。
「戦場に立てない理由があるなら、代わりに矢面に立て。それが上の人間のやるべきことじゃないか?お前らは手に余る存在になれば、不吹を捨てる」
「そんなこと!」
「しないって?じゃあ、あの少年はどうして一人であそこで戦っていた?」
何も言い返せなかった。
「俺もアイツも確かに危険だろうね。だけど、動く理由は明確だ」
「…お互いを脅かされなければ…て、ことですよね」
「正解。そういうことだから、お引き取り願えるかな」
今はこれ以上の話し合いはできそうもなかった。
完全に俺から視線を外した彼は再び煙草に火をつけた。
「……また来ます」
「は?」
目を丸くした彼がこちらを見た。
「今日は不躾に申し訳ありません。また、日を改めて伺います」
「いや、来なくていい。てか来るな。俺の答えは変わんねぇよ」
「それでも。まだ、聞きたいことは沢山あるんです」
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