命の価値
放課後の保健室。
また現れた男は人をイラつかせる笑みを浮かべる。
「こんにちは」
「部外者は出ていってくれ」
「そう言わないでくださいよ」
差し出されたコーヒー。
学校の近くにあるコーヒーチェーンの物のようだ。
「…安い賄賂だな」
「西尾さんのお好きなものが何なのか、知らないので」
不吹がいつも座る椅子に彼は腰掛けた。
「榎本は?」
「任務だ。お前も知ってることをわざわざ聞くな」
「さすがに全てのシフトを把握しているわけじゃないですよ」
だとしても不吹がいないのを狙っているのは間違いない。
張り付いた笑みがやはり気に入らない。
「で、何の用だ。俺はお前さんと違って暇じゃない」
「考え直していただけたかな、と」
「俺の考えは変わらないよ」
影浦には話したが、不吹には何も伝えていない。
勿論話すつもりもねぇけど。
「西尾さんは、ボーダーがお嫌いですか?」
「まぁ好きじゃねぇな。前にも言った通り、子供を守らねぇ大人は嫌いだ」
「…あの時はイレギュラーだっただけですよ」
どうかな、と答えれば彼は眉を寄せた。
「不吹は積極的にお前らと関わるようになってから、一度死にかけてる」
「死にかけ…?」
「全身打撲に裂傷。脇腹にはなんか刺さってるし、手のひらはぱっくり。そんな状態で帰ってきた」
お前らと関係ない可能性もあるけど、と一言断りを入れ顔を歪めた彼に微笑みかけた。
「ちょうどアイツにボーダーの連中が関わりだしたタイミングと合致する。再入隊だなんだ、と言ってた頃だったかな」
「榎本は、それを…?」
「なぁんも。大丈夫だの一点張りだったよ。だから、未だに原因不明」
今更あの時の事を責め立てるつもりもない。
けれど、それが悪い印象を俺に持たせたことも間違いない。
不吹に目的を与えた人が、不吹を守ってくれるとはどうしても思えないのだ。
そんなことを考えていればバンッとすごい勢いでドアが開いた。
そこにいたのは顔面蒼白の生徒だった。
不吹のところによく顔を出すようになった、確か出水という名前の。
「どうした、お前…?」
「出水?」
「なんで東さんがここに……?て、違う!今の!!今、話してたの…」
どうした、と尋ねれば出水は「本当ですか」と声を震わせた。
「今話してた、怪我… 榎本が怪我して、帰ってきたって…」
「本当だよ。脇腹にはまだ、怪我の痕が残ってる」
「………っ、」
出水は凄い勢いで踵を返し、走っていく足音が遠退いていく。
「……一体何が、」
「わかんねぇ?アイツがやったんだろ」
「え?」
もしくはアイツが知ってるか、と言えば東は眉を顰めそんなはずないと言った。
「どうだかね」
「事実そんな報告はなかったですし、」
「そりゃ、一般人怪我させたことを公表はしないだろ。君らの組織じゃね」
▽
「榎本!!!」
米屋先輩と模擬戦を終えた俺にすごい勢いで駆け寄ってきた出水先輩は俺の両肩を掴んだ。
「嘘だよな!?」
「な、なにが…ですか…?」
「換装解いてくれ。いいから、早く!!」
言われた通り換装を解けば、凄い勢いで制服を捲られた。
「ちょ、弾バカ…?セクハラだろ、それは…」
脇腹にある傷を見て、彼は眉を潜めた。
「あ、の…?」
「なんで!普通の顔して俺たちと接せられてんだよ!!?」
「何がですか…?」
意味が分からない。
なんの話がしたいのか。
ただ、出水先輩の顔は何かを悔いているようだった。
「あの日、飛び降りたのはお前だろ!?この腹の傷も、あの時のだろ!!?」
「あの時…?あぁ、……それがどうしたんですか?」
「は?」
俺の返事に彼は驚いた顔をしていた。
「何を驚いているんですか」
「何って、」
「もう終わったことでしょ?あれは」
服を直して、「そんなこと話に来たんですか?」と首を傾げた。
「そんなことじゃねぇだろ。お前、あの時死にかけたんだぞ!?」
「だからなんですか?敵対してたじゃないですか」
「敵対してたからなんだよ」
詰め寄ってくる彼を無視して、よくわからないって顔してる米屋先輩に「もう一回、戦闘しません?」と声をかけた。
「いや、いいけど。それより弾バカが…」
「……あの時、出水先輩たちは空閑と敵対してたんですよね?それを同じですよ。俺は出水先輩たちとは別派閥だった。殺される覚悟があって、俺はあそこにいた。それだけの話です。今は、出水先輩も空閑と仲良いんでしょ?それと俺の、何が違うんですか」
「そ、れは…」
この傷跡にも見慣れていた。
あの日の事なんて、思い出すこともほとんどなかった。
謝罪が欲しいと思ったこともない。
目的が相反するなら、衝突は免れない。
武器を持っていようと、いなかろうと。
ただそれだけの話だ。
「そういえば……いつだったか、出水先輩に言われましたよね。俺が持ってるナイフを見てそんな危ないもん持つなって」
「え?」
「危ないって、わかってるだけマシだと思いませんか?トリガーだって、使い方次第で簡単に人を殺せる」
いつか言おうと思ってたの思い出しました、と言い残しブースに歩を進める。
米屋先輩は心配そうに出水先輩の方を振り返ったが、すぐに俺を追いかけてきた。
▽
最悪だ。
何も、言い返せなかった。
「出水、」
「あ、東さん…」
保健室にいたはずの東さんが心配そうに顔を覗き込む。
大丈夫か、と肩に触れた手に泣きそうになった。
「すいません…」
「榎本の怪我のこと、何か知ってるのか?」
「空閑がボーダーに入る前、対空閑の任務があったんです。その時、榎本が俺たちの戦況を監視してました」
監視?と東さんは首を傾げた。
いつからいたのか、何を目的に見ていたのかはわからない。
けれど高台で、顔を隠していたのだから恐らく誰かに命令されて俺たちを見ていた。
何かあった時のために手を貸す予定だった、玉狛の人かと思ったけど。
「そこで、戦闘が終わってから見つけて。俺と佐鳥、三輪で追いかけて…。追い詰めはしたんですが、廃ビルから飛び降りられて逃げられたんです。落下地点には確かに大量の血痕が残ってました」
「ビルから飛び降りて…」
「上層部に報告はしてますけど、トリオン反応はなし。近隣の防犯カメラにもそれらしい人は映らず…近隣の病院にも該当しそうな人がいなくてそのまま…」
治療をした人は予想がつく、と東さんは言った。
恐らくあの保健室の先生だろう。
「あの人は元々医療従事者らしいから…恐らくな」
「そう、なんすね…」
「けど、誰の命令で…」
玉狛の人だと思っていた。
けれど、トリガーを使わなかったからずっと気になっていた。
あれが、榎本だったなら何故あそこにいた?
榎本がそこまでして、空閑を助ける理由がない。
1度迅さんと三輪隊を退けていることは知ってるし、迅さんとも空閑とも顔見知りのようだけど親しいようには見えない。
そこが繋がっているならわざわざ本部長派閥の隊員になんてならないはずだ。
「… 榎本はなんて?」
「もう終わったことだって」
「… 榎本らしい考え方だな」
そんな簡単な話か?普通。
てか、おかしいんだよアイツ。
ランク戦見てた時だってそうだ。
「アイツって、なんなんですか?普通じゃないですよね」
「…そうだな」
「ランク戦一緒に見た時、三雲隊のこと見てなんて言ったと思います?“チームメイトを人質にすれば三雲は手を出せない”ですよ!??」
あの時のアイツの考え方が間違っているとは言わない。
事実、人質に取られてどちらかを選べと言われないとも限らない。
だとしてもだ。
何で、そんな最悪ばかり考える?
戦争しに行くって、確かにそうだけど。
「自分ならただ一人を除けば全て犠牲にできるとか言うし…なんつーか、自分の命の価値が軽すぎっつーか」
「それ、榎本が言ったのか?」
「そうですよ。ただ一人、大事な人がいるって。その人の為なら死ねるって。なんで、そんな軽々しく命を捨てられるのかわかんねぇ…殺されかけたことを何で、あんな風になかったことにできるのかわからねぇ……」
出会った頃から変わったやつだとは思っていたけど、あれは変わってるなんて話じゃない。
異常だ。
「あんな奴、遠征に連れて行って大丈夫なんすか……?俺は正直、アイツが怖いですよ」
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