08
今まで、恋愛はしてこなかった。
野球一筋だったのもあるし、付き合うってことが一体どういうことなのかもわかってなかったから。
可愛いなって思ってもどきどきするとか、そういう純さんが押し付けてくる少女漫画の主人公みたいな感情を抱いたことがなかった。

なのに、彼は違う。
背景に花とかは流石に見えないけど、キラキラして見えるし。
話すだけで、触れられるだけで、どきどきして心臓が壊れそうになる。

頭のなか、彼のことばかりで寝るに寝れないし。

ふぁ、と欠伸を溢して眠いなと内心呟きながら朝練を終えて、寮へと引き返す。

初めての恋というものを体験して。
浮かんできたのは優しい顔つきになった父の姿だった。
父も俺みたいにどきどきして、大切に思って、付き合い結婚したのだろうか。

「あー…らしくなさすぎるだろこれ」

首を横に振ってさっさと制服に着替え、寮を出れば丁度倉持も部屋から出てきたところだった。

「……お前さ」
「ん?」
「今日、おかしいだろ」

え、何が?と目を瞬かせて首を傾げる。

「体調悪いとか怪我してるとか、悩みあるとか…なんかあんだろうなって」
「はっはっは、俺が?あり得ねぇだろ」

コイツ、変なとこ鋭いよな…

いつも通り笑ってそう、言葉を返せば疑いの目を向けてから溜め息をついた。

「まぁ、お前が素直に言うとは思ってねぇよ。…自分の限界わかんねぇほど馬鹿じゃないだろ?程々にしろよ」

彼はそう、俺に言い残してさっさと学校へ向かっていく。
その背中を見つめて、自分の頬に触れた。

「そんなわかりやすいか?昨日の今日だぞ?」

遅刻するわけにもいかず、自分も学校へと向かえば下駄箱で彼の姿を見つけた。

「なまえさん」
「おはよ、一也」
「おはようございます」

彼の手がいつもみたいに頭を撫でた。

「あれ、少し顔色悪いか?」
「え?」
「んー…隈できてるし」

頭を撫でていた手が頬に触れて、親指が目の下を撫でる。

「夜に呼び出したのが悪かったかー…ごめんな」
「え、いやいやいや。俺元気ですよ。それに夜っていってもいつもあの時間は練習とかしてるし」

まぁ確かに、寝不足ではあるけど。
そんなに酷いのか?

「そうか?…なんかあったら連絡しろよ?」
「はい」
「まぁ、無理はするなよ」

彼は優しい微笑みを見せて、俺の頬から手を離した。
それが少しだけ残念だなって思った。

「じゃ、またな」

朝から会えるとか今日は運が良いかもしれない。
彼が好きだとわかってしまえば、彼との様々なことが胸を熱くさせ、鼓動を速くさせる。
これが恋なんだって思う反面、彼は好きにはなっていけない相手なのだと脳内で声が聞こえる。

そう、わかってる。
彼は兄なのだ。
血は繋がっていなくても、戸籍上彼は俺の兄だ。
男で兄で、こんな叶うはずない初恋。

「そういや…初恋って叶わねぇんだっけ…」

今の関係を壊さないように。
彼を失わないように。
決して、足を踏み外してはいけない。

兄弟という終わりのない、無条件に大切にされる立ち位置にいられることが運が良かったのだとそう思うことに決めて。
この感情は俺の奥底にひた隠して、化石にしてしまいたかった。
けどそれはとてつもなく難しいことだ。
彼を見ただけで、話しただけで、触れられただけで。
俺の想いは決壊寸前だった。

「ずるいよな、ホント。カッコよくて優しくて…」

非の打ち所なんて、どこにもないようなそんな人。
彼に惚れた時点で俺の恋愛は詰んでる。


授業が始まって、視線を窓の外に向ければ瞬きする間に彼の姿を見つけてしまった。
惚れるってすげぇな、とどこか他人事のように思いながら彼を見つめる。
なまえさんは夏目前だというのにジャージを羽織り、しゃがんでよく一緒にいる先輩と話していた。

3年生は走り高跳びが今の種目のようで、準備されたそれを指差して彼はなにかを先輩に言った。
それを聞いた先輩がふっと口元を緩める。

仲良いんだな、と呟いて自分のなかに生まれたドロリとした感情に慌ててぐっと押し込める。
なまえさんの友達の先輩に嫉妬するとか、俺マジで重症じゃね?

授業なんか気にも止めず、彼のことを眺めていれば数人の人がやったあと彼の番が回って来た。
体を伸ばしながら助走のスタート位置に立った彼が、ふと顔を上げた。

パチリ、と交わった視線。
彼は目を瞬かせてから彼は何かを呟いた。

「い、て、て…?あ、見てて…か。」

前にやっていた人より高くされた棒。
彼は数回その場でジャンプしてから走り出した。

ふわり

地面を蹴った彼の体は軽々と宙を舞い、高くされた棒を余裕で飛び越えた。
大きなマットに体を沈めた彼はこちらを見て、ブイサインをこちらに向ける。
ニッと白い歯を見せた子供みたいな笑顔に、ぎゅっと心臓を掴まれたような感覚がした。

「…スポーツまで出来んのかよ」

そりゃモテるよな。
なまえさんが好意を受け入れない人だから、当分は彼女なんて出来ないだろうけど。
いつか、彼女ができて結婚とかになったら俺はそれを祝福出来るのだろうか。

「ははっ、絶対無理だ」





「あー、失敗しなくてよかった」

友人の隣に戻ってそんなことを呟けば彼は不思議そうに首を傾げた。

「一也が見てたんだよ」
「この間の後輩か?御幸一也だろ?…本当に、仲良いんだな」
「まぁうん、四六時中考えてられるくらいにはなー」

そう言って、頬を緩めれば彼は驚いたように目を瞬かせた。

「それは、少し行き過ぎじゃね?」
「あ、やっぱ?俺もそうかなーって思ったけど」

可愛くて仕方ない。
頭を撫でたとき少し目を細めるのとか、この両腕にすっぽり収まってしまう大きいのに小さな体。
昨日の夜から頭の中は一也一色だ。

「一也みたいの女の子と付き合いたい」
「……そいつと、じゃなくてか?」
「え?」

目を瞬かせる俺を彼は真剣な目で見ていた。

「男だぞ?アイツ」
「御幸くんを好きにならない理由はそれだけ?」
「それだけって…」

一也は男で、弟で…
つーか、いや…だって。
俺が好意なんで抱くはずない。
ずっと恋愛とか嫌ってきたのに、俺が…一也を?

「最初からお前にしては近すぎるとは思ってた」
「ちょ、待て待て待て。別にそういう好きって訳じゃねぇって」

一也には勝手に話してしまうことを後で謝っておこう。

「お前には言ってなかったけど。一也とはさ、この間親が再婚したから兄弟になったんだよ。だから家族愛だろ」
「家族愛…か。母親にさえ、向けたことなかったのにな」

ガンッと頭を殴られたような衝撃が走った。
ちょっと待て、今のどういう…?

「向けたことないって…何言ってんの?」
「なまえが母親に向ける感情は愛情なんかじゃない。同情だろ」

そんなはずない。
大切に思ってたし、迷惑をかけないように色んなものを捨ててきた。

「可哀想だったんじゃねぇの?母親が」

過去の男の残した物を捨てられずに、毎日泣いて。
自分を捨てた男のために、涙を流す母親が…俺は、好きじゃなかった。

母親の胸にある捨てられない好意と、贈り主がいなくなった好意は母親を押し潰す重しとなって。
前にも後ろにも進めなくなった母親が…可哀想で、それと同じくらい愚かに思っていた。

「ちょっと、待てよ。じゃあ、これは何だ?」

俺の心のなかに生まれた一也を大切に思う、愛しく思うこの感情は?
家族愛じゃなきゃ、一体なんだって言うんだよ。

「…だから、好きなんじゃないのか?その御幸くんが」
「だって、弟だぞ?」
「だから?」

血、繋がってねぇじゃんと彼は言って、呆れたように溜め息をついた。

「何、なまえってさ…常識とか世間体気にしねぇんじゃなかったっけ?」
「は?」
「お前が自分で言ったんだろ、好きなら、周りなんて関係ねぇだろって。忘れたのかよ」

友人はケラケラと笑ったが、すぐにその笑い声が消える。

「お前が人からの好意を嫌いになることについては仕方ねぇなって思うけど。嫌いだからって、お前が誰のことも好きにならねぇわけじゃないだろ。相手が弟だろうが、男だろうがお前が初めて抱いた好意だろ」
「色々突っ込みたいことあるけど。お前、何でそんな冷静なわけ?下手したら自分の友達がゲイな挙げ句、近親相姦だぞ?」
「友達(男)が弟に恋したときの対処法って調べたい位には焦ってる。けど、御幸くんのことは好きだろうなって思ってた」

結構前から打ち明けられたときのために覚悟決めてたよと彼は苦笑を溢した。

「弟なのはマジで想定外だけど、血は繋がっていないしまあ…いんじゃね?」
「いや、良くねぇよ。覚悟決めたって何でお前が覚悟決めてんの。俺が頭追い付いてねぇのに…」

つーか、好きなのか?
俺が、一也を?

「…あー…よし、やめた」
「は?」
「この話終わり。一旦落ち着いてから一人で考える」

多分、つーか絶対だけど。
これ適当に流されて決めていいことじゃない。

「…考え過ぎるなよ」
「考え過ぎるくらいが丁度いいだろ。俺が俺自身のことを考えるなんて超レアだぜ?」
「そうだな。けど、そうさせてるのは御幸くんだ。…最初から答えなんて出てるようなもんだろ」

友人はそう吐き捨てて、列に戻っていく。
その背中から、一也の姿の見える教室に視線を向けた。
頬杖をついてこちらを見つめていた一也が柔らかく頬を緩める。

「…好き、か…俺が、一也を…」

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