09
「御幸くんっている?」

俺の教室に来て、そう言って俺を呼んだのはなまえさんとよく一緒にいる先輩だった。

「います、けど…」
「あ、そんな警戒しないで。ちょっと頼みがあって来たんだよ」

彼はニコリ、と笑顔を浮かべ廊下の窓に背中を預けた。

「なまえが今日、休みでさ」
「え?」
「部活終わった後にでも様子見てきてくれね?」

なまえさんが休み?
昨日はあんな元気そうだったのに。

「あの、なんで…俺なんですか」
「お見舞い行く、ってメールしたら絶対来るなって言われてさ。まぁ、これはいつものことなんだけど」
「え、じゃあ…俺もダメじゃないですか?」

御幸くんは特別だからと彼は地図を記したメモを俺の手に握らせた。

「いつもは来るなって言われても様子見に行って、玄関で突き返されちゃうんだけどな。アイツ、多分今飯も食ってないし、寝てもいないと思うから」

飯食わせて、ベッドに押し込んできてくれない?と彼は困ったように笑った。

「体調悪いのに、寝てないんですか」
「あー、体調は悪くないと思う。なんつーか、精神的な方?…昨日、俺が余計なこと言ったから多分悩んでるんじゃねぇかなって」
「余計なことって…」

なまえのこと頼むわ、と彼は少しだけ悲しそうだった。

「俺じゃ、アイツのことどうにも出来ねぇんだよ。これでも小学から一緒で、多分お互いに親友だと思ってんだけど」
「親友…」
「ん、けどさ…結局友達以外の何者でもないんだよ。だから、俺にはどうしても触れられないとこがある。俺にはどうにかしてやれないことが沢山ある」

それが俺はずっと悔しくて、何も出来ない自分が嫌いだった。
彼は窓の外に視線を向けて、自嘲するように笑った。

「けど、御幸くんならなんとかしてやれると思うんだよ」
「なんで、俺なんですか…だって、俺はまだ出会って2か月も経ってなくて…先輩の方がずっと親しくて…俺なんて、」
「時間じゃねぇんだよ。お前は俺が今まで積み重ねてきた時間を飛び越えて、アイツの隣に立ってんだ。何が理由かとかお前の何がそうさせたのかとかぶっちゃけ俺が知りてぇ」

けど、お前じゃなきゃいけねぇってことは嫌というほどわかってる。

彼の言葉を頭の中で繰り返す。
俺じゃなきゃいけないって、何で?
弟だから?

「今まで…なまえの世界には自分とそれ以外しかいなかった」
「え?」
「家族も友達も、嫌いな奴も…アイツにとってすれば一括りだった。けど、お前だけは違う。家族だからとか、んなもんアイツには関係ねぇ」

この人、俺が考えてることわかんの?

けど…それなら俺がなんだっていうんだよ。
家族って括りを取っ払ったら俺は、あの人の何になる?
友達にも、先輩後輩にも俺はきっとなれない。
じゃあ、俺達は?

「まぁ、あんま御幸くん困らせるとなまえに怒られるからやめとくわ」
「え、ちょ…あの、まだ全然頭追い付いてないんですけど」
「まぁ、その辺はアイツに聞いて。…あ!あとさ、料理できたりするか?」

突然変えられた話に、困惑しながら頷く。

「じゃあアイツになんか作ってやってくんね?誰かの手料理なんてもう何年も食ってないだろうから」
「…わかりました」
「アイツのこと、ホントよろしく頼むわ。俺の大事な友達なんだ。苦しむとこと悩むとこも何も出来ずにずっと見てきたから、少しでもアイツの心が休まるところができるなら…」

彼はそこで口を閉ざした。

「あの、」
「…アイツの為なら、禁忌を犯したって構わない」
「え?」

彼はニコリ、と笑顔を見せた。

「じゃあよろしくな。御幸くん」
「あ、はい…」

彼の背中を見送りながら首を傾げる。

「…禁忌を犯すって…」

どういうこと?
つーか、あの人…

「本当に、大切なんだな…なまえさんのこと…」

チリッと胸を焦がした痛みに気づかないふりをして手のひらに乗せられた簡易な地図を見つめた。





ベッドに腰掛けて小さく、息を吐く。
体の力を抜いて後ろに倒れ、額に自分の腕を乗せた。

「久々に…すげぇ悩んだ…」

朝にアイツに休むってメールしてから…どれくらい経ったんだ?
携帯…机の上だしまぁ、いいや。

目を閉じれば、静かな部屋には俺の呼吸音だけが聞こえていた。

ピンポーン

静かな部屋に響いたチャイム。
どうせ、アイツが来たんだろう。
ゆっくり体を起こして玄関のドアを開ける。

「絶対来んなってメール送っ…て、あれ…?」
「えっと…すいません…。やっぱ、迷惑っすよね」

ドアの向こう。
いたのは、俺が考えていた彼ではなかった。

「一也…?」
「こんばんは。なまえさんの友達に今日休みだって聞いて…様子見に、来たんですけど…」
「え…あー…そういうことか」

悪い、アイツだと思ったと中途半端に開けたドアを彼が入れるように開く。

「何もねぇけど、どうぞ」
「え、いや…迷惑ならすぐ帰りますよ」
「何で一也が来て、迷惑だって思うんだよ」

一也は目を瞬かせてから、少し照れくさそうに笑って玄関を潜った。

「あの、夕飯…食べましたか?」
「夕飯?…え、もうそんな時間?」
「え?」

机の上の携帯の画面を着けてみれば確かにもう8時だ。

「あーホントだ。確かに、腹減ってきたかも…」

なんか食い物あったかな、と呟けば買ってきましたと一也が手に持っていた袋を少しだけ揺らした。

「え?あ、悪い」
「いえ、台所借ります。好き嫌いありますか?」
「あ、おう。好き嫌いは別にねぇな……ん?…え、一也が作ってくれんの?」

これでも料理は得意なんですよ、と彼が自慢げに笑う。
その表情さえ、可愛くて仕方なかった。
座っててください、と言われて素直にその言葉に従いベッドに腰かける。

「楽しみだなー、一也の手料理。今度、お礼するからな」
「兄弟なのに何でお礼なんてするんですか?」

以前俺の言った言葉を彼が言って、してやったりといった顔で台所に立った彼がこちらを振り返った。

「そーでした」
「なまえさんが元気になってくれればいいっすよ」
「元気だけどな」

悩んでるって聞きましたよ、と一也は俺に背を向け料理を始めた。

アイツ、そんなことまで話したのかよ…
つーか本人に話すことじゃなくね?

「…悩んでる、ね…」

確かに悩んでたけど。
答えはもう出ている。

「進路のことですか?」
「あー、それもあんだよな。進路調査まだ出してない」
「それもってことは、他にあるんすね」

まぁな、と答えて彼の背中を見つめる。

誰かが飯作ってる姿見るの、いつぶりだろう。
母さん料理あんまり上手くなくて、小さい頃から俺が作ってたよな…

せめて、少しでも楽できるように。
可哀想な母親にこれ以上、心労を重ねさせない為に。
あのとき俺は、子供のくせして一丁前に同情していたんだ。
それを、家族愛だと信じて疑わなかった。
そりゃ、そうだ。
それは俺にとって知らない、未知の感情だったんだから。

ぼすん、と体をベッドに沈め心地よい包丁の規則的な音を聞きながら目を閉じる。

「前も、言いましたけど。俺で良ければ話聞きますよ」
「うん」

彼に出会って、また未知の感情と出会った。
これは家族愛なんかじゃない。
これは、恋情だ。

一也は紛れもなく男だ。
一也は目に入れても痛くないくらい可愛い弟だ。
一也は俺の何よりも大事な家族だ。

けど、そんなのどうでもいい。
そんなことより、この感情が俺の中を支配していく。

男だから、弟だから、家族だから。
そんなのどうでもいい。
関係ない。

彼は俺にとってただ一人、手に入れたいと思った人。
俺の大嫌いな好意を抱いてしまった人。
初めて、恋をした人。

常識も世間体も興味ない。
法律も禁忌も、犯したって構わない。

ただ、彼が…御幸一也という男が好きだ。
それが、俺の出した答えだった。

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