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うん、と頷いてから彼の言葉は続かなかった。
不思議に思って振り返ってみれば、目を閉じて胸を上下させる彼の姿があった。

「…寝てる?」

そういや、飯も食べずに寝てもいないだろうって言ってたっけ。
ご飯出来るまでまだあるし、寝かせておくのが良いだろう。

何を作ろうかと悩んだが。
楽に出来るオムライスとスープに決めた。

「疲れてんのかな…」

悩んでるって、何があったんだろう。
なんだかんだ言って俺に相談してくれることはないし。

ケチャップライスを作りながら視線を部屋の方に向ける。

部屋に入ったときも思った。
余計なものがないシンプルな部屋。
生活に必要な最低限のものしかない。

この部屋に、彼の好きなものが見つからない。
俺の部屋にある野球関係のものや、倉持の部屋にあるゲーム。
そういう、趣味とか言われるものがこの部屋には見つからなかった。

「…どんな生活、してきたんだろう」

なまえさんの友達はどんな姿を見てきたんだろう。

ご飯を皿に盛り付けて、冷蔵庫から卵を拝借する。

冷蔵庫の中もジュースはなく、水とお茶だけ。
お菓子も見当たらない。

「欲が無さすぎるっていうか…これは、無関心すぎるだろ…」

出来上がったご飯をテーブルに運んで、眠っている彼に近づく。

「…隈、凄い…」

そっと指先でそこをなぞれば、長い睫が揺れた。

女子が好きそうな綺麗な顔。
だからこそ、彼は苦しんできた。

柔らかい色を見せる瞳は時折とても、冷たく悲しい色に変わる。

力になりたいと、思ってる。
彼の支えになれたら…と。
けど彼からすれば俺はきっと頼りないのだろう。

俺じゃなきゃダメだって、なまえさんの友達は言ってましたよ。
けどそんなはずない。
だって、俺は…

悩む貴方を、苦しむ貴方を、救う方法を持っていないのだから。

「なまえさん…俺は、」

どうすればいいですか?

弟として、なまえさんを好きになった1人の人間として。

「俺は、なまえさんに何を…してあげられるんですか…」
「んっ…一也、…?」

閉ざされていた瞳が俺の姿を映す。
パチパチと瞬きをして、彼はそっと俺の頬を撫でた。

「…泣きそうな、顔してる。どうしたの?」
「…なまえさん、」
「うん?」

俺は、なまえさんが好きなんすよ。
だから、力になりたいのに。
それを伝える勇気はない。

「…ご飯出来ましたよ」
「え?…あぁ、ごめん」

目を擦り体を起こす彼を見ながら胸が苦しくなった。

好きすぎて、苦しい。
頼って貰えないのが悲しい。
こんな感情、今まで抱いたことなかった。

「簡単なものですいません」
「あ、オムライス?」
「はい。卵、勝手に貰っちゃいました」

全然いいよ、と答えた彼はスプーンを手に取る。
いただきます、と小さく呟いてから我ながら上手くできたとろとろの卵のかかったそれを口に運んだ。

「どう、ですか?」
「美味しい…」

彼はそう言って微笑んだ。
柔らかい微笑みなのに、その頬に一筋の涙が伝う。

「…なまえさん…?」
「え?」
「何で、泣いて…」

彼はゆっくりと頬に触れて、目を瞬かせた。
目尻に溜まっていた涙がまた零れ落ちる。

「あ、れ…ごめん。何で、泣いてんだろ」

彼は困ったように笑って、その涙を拭った。

「なんで…」
「一也?」
「何でアンタはそうやって…そうやって、すぐに隠すんだよ」

俯いて吐き出した言葉。
彼はどんな顔をしているだろう。

「俺には何も、話してくれない。何も、相談してくれない」

俺だけじゃない。
あの友達だって、クリス先輩だってなまえさんを気にかけて、心配しているのに。

「一人で悩むことなんの意味があんですか。答えなんて出なくて、飯も食わずに寝もしないで…それに、そんなことに…なんの意味があんの」
「…一也、」
「俺が頼りになんねぇなら、いつも一緒にいる友達でもクリス先輩でも相談すればいいのに」

なんでそうやって。
全部自分の中に押し込めちゃうの。

「なんで…っ」





一也の肩が震えてる。

泣いてる?
嫌だな。
一也の涙は見たくない。

「一也、泣かないで」
「っ泣いてない」

彼を抱き締めて、頭を撫でれば彼は体を固くした。

「ごめんね、心配してくれてありがとう」
「そんな言葉が聞きたいんじゃない」
「…確かに、俺はあんまり相談ってものはしない。相談って、結局最後に決めるのは俺だろ?それじゃあ困るんだよ」

俺の人生の選択を引き受けてくれる人なんていない。

「今まで母親を理由に自分で決めることをしてこなかった。何かを欲しないのも母親のせいにしてるけど結局俺がそう思えないだけ。好意が嫌いだってのも原因を母親に押し付けて、俺が人と関わらないための理由を作ってる」
「え、なまえさん…」
「ねぇ、一也。いや、一也だけじゃない。皆に俺はどう見える?母親のために我慢した良い子?過去のトラウマのせいで人を好きになれない可哀想な子?」

視線を上げた彼の瞳に映る俺は薄く微笑みを浮かべていた。

「違うよ。俺は自分の人生を全て他人に押し付けようとしてるただ、最低な人間」

彼から腕を離してベッドに腰掛ける。

「俺はね、俺が嫌いなんだよ。だから、この人生に興味ない。何かを欲しいとか何かをしたいとか、何かになりたいとか。そういうの…もうないんだよ」

母親のせいだけじゃない。
俺が、俺を嫌いになった瞬間から本当になくなったんだ。
俺はそれを母親の影に隠した。

「一人で悩んでも確かに答えは出ないよ。けど、相談しても答えは出ない。俺は俺のために何かを決めることができないから」
「俺は、なまえさんが自分のことどう思ってたって…俺には、関係ないです」

一也は俯いたままベッドに腰掛ける俺に抱きついて、ぐらりと傾いた体がベッドに沈む。

「たとえ、なまえさんが自分のこと嫌いでも俺が好きでいます。ねぇ、だから…そんな風に自分を悪く言わないでください」

あぁ、やっぱり。
この子は、違う。
今まで出会った誰よりも。

「…ごめん一也、1つだけ嘘ついた」
「え、?」
「今までの人生で1度だけ、欲しいと思ったものがある。たとえ、世界を捨てたって手に入れたいって思ったものがある」

俺の上に乗っている一也の頬を撫で、自分の方を向かせて。

「お前だよ」

目を見開いた彼に微笑んで、その瞳を手で覆い隠した。

「今日、考えてたのはそのこと。初めて抱いた感情をどうしようか考えてた。一也は男だし、弟だし…あっちゃいけない感情なのはすぐにわかったよ。けど、ごめんな?」

瞳を隠した彼にそっと、唇を重ねる。

「初めて欲しいと思ったものを我慢できるほど俺は大人じゃないんだ」

彼の瞳から手を離せば、見開かれた瞳に涙が浮かんでいた。

「俺は、お前が欲しい」
「あ、の…それって…」
「一也のことが、好きってこと」

その瞳から、涙が溢れ出した。
涙が綺麗だと思ったのは初めてだった。
自分を捨てた男のために毎晩流す母の涙は、いつだって愚かに見えていたから。

「ねぇ、一也。俺が俺を好きになれない分、俺を好きでいて。兄としてで構わないから。一也に好かれてる俺なら、少しは俺も好きになれるから」
「兄じゃないと、ダメですか…?」
「え?」

1人の人として貴方を好きじゃ、ダメですか。

彼のその言葉の目を見開いた。
一也は震える手が俺の首に巻き付き、顔を肩に押し付ける。

「好きなんです。なまえさんのこと。兄としてじゃなくて…そういう、恋愛的な意味で」
「…一也が、俺のこと…好き?」
「好きです。どんななまえさんでも、」

今更嫌いになんてなれないです、と彼は言った。
柔らかな、優しい声で。

「…ありがとう」
「俺が、なまえさんを好きでいます。貴方の人生も全て。だから、どうか…否定しないでください」
「……うん」

顔を上げた一也はそっと、唇を重ねて涙で濡れた頬を赤く染め微笑んだ。

「俺の全てをかけて、貴方を愛したい。これから先、ずっと」
「…俺も、一也を愛していたい」

恥ずかしそうに、でも嬉しそうに君は笑って。
その笑顔に心臓が今までで一番早く鼓動を刻んだ。

一也を抱き締めて、ありがとうともう1度だけ呟いた。

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