11
昨日のことが夢のようだった。だって、そうだろう?
叶うなんて思ってなかったんだ。
好きになった相手は兄だ。
血の繋がりはなくとも、戸籍上彼は間違いなく俺の兄で。
叶うなんて、誰が思う?
「おはよう、御幸くん」
下駄箱の所で俺を待っていたのはなまえさんの友人だった。
「お、おはよう…ございます」
「昨日、どうだった?」
「え?」
言葉を躊躇う俺に彼は微笑んだ。
「…なまえをよろしく」
「え、あ…はい」
禁忌を犯す。
あの時の彼の言葉を思い出してあの、と声をかける。
「全部…知ってたんですか」
「何が?」
「なまえさんが、あの…」
御幸くんを好きだってこと?
彼はなんの躊躇いもなくそう口にして、俺は視線を下げてそれに頷いた。
「…知ってたというより気づいてた。なまえの御幸くんの対する接し方で。あと、俺となまえが一緒にいるときの御幸くんの目で御幸くんの感情も気づいてた」
だから、御幸くんに行かせたんだよ。
彼はそう言って、アイツをよろしくともう一度言った。
「面倒だよ、アイツ。自分のことを大切にできないから。一緒にいるとハラハラするし…。人との接触を極端に嫌うから友達も出来ないし」
「…よく、知ってるんですね。なまえさんのこと」
「まぁな。小学の時からの付き合いだし。…けど、俺は最初アイツのこと大嫌いだった」
え?と目を瞬かせれば彼は苦笑を溢す。
「浮いてたんだよ、アイツ。なんつーか、子供だらけの教室でアイツだけ大人だった」
「あぁ…」
「典型的な女子の好かれて男子に嫌われるタイプ。まぁ、話しかければ反応はするけど、すぐに終わらせようとするし」
家庭環境のこととか親から聞いてる奴も多くて。
いじめとまではいかないけど、からかう奴もいて。
それにもなんの反応も示さねぇの。
「まるで、自分に言われてるって気付いてない感じ」
思えばあの時から、自分が嫌いだったのかもな。
そう言って先輩はどこか悲しそうに笑う。
「俺がアイツに興味持ったのはさ。書かされた将来の夢って作文を無表情に破り捨てたから」
「え、」
「それだけじゃない。学校で描いた絵とか保護者宛のプリント、賞状…なんでもかんでも破いて公園のゴミ箱に捨ててくんだよ。俺の家、その公園の前にあってさ」
嫌いだったけどすげぇ、興味が沸いた。
思えばなまえのことなんて何も知らずに嫌いだって言ってたからさ、ちょっと知ってみようって思った。
俺は先輩の話をただ、聞いていた。
「話かけるようになったけど、アイツは最初から心開く気もなくて。意地になったんだよ。こいつに、友達だって言わせてやるって」
「それで、今まで?」
「そう。馬鹿な話だろ?けど、アイツのことを少しずつ知って…あ、こいつ放っておいたらヤバイって思った」
自分嫌いがどんどん酷くなって、飯とか睡眠とかまで蔑ろにし始めて。
「最近はまともに飯とか睡眠とか取ってくれるからいいんだけとな。中学までは母親と一緒に住んでたからそうもいかなかったみてぇ。今もなんかあるとそうなるからさ、気にかけてやって」
「はい。…先輩って、本当になまえさんのこと好きなんですね」
「好きってのはどうだろうな。ただ、失いたくないとは思ってる。だから、御幸くんがなまえの傍にいてくれることが本当に嬉しい」
優しい顔をして彼は笑った。
こんなに、自分を大切にしてくれる人がいるなんてなまえさんは恵まれてる。
彼はそれに気付いていながら、自分を蔑ろにし続けてきたのか。
「あ、なまえじゃん」
「え?」
先輩が指差す先、確かになまえさんがいた。
けどその隣には女の人。
「…付き合って早々これかよ」
「まぁ…モテますもんね。なまえさん」
「御幸くん、顔すげぇ不機嫌になってる。ほら、追いかけるぞ」
は?と目を見開けば彼は笑った。
「気になんだろ?」
「…まぁ」
「怒りゃしねぇよ」
校舎裏に呼び出されたなまえさんから見えないように校舎内で息を潜め、少しだけ開いた窓から彼らの声を耳を澄ます。
「私、ずっとみょうじ君のこと好きだったの。付き合ってください」
「ごめん」
「彼女、今いないよね?お試しでもいいから」
しつこそうな人だな、と思いながらそれを聞いていた。
「恋人、いるけど」
「え?嘘、そんな話…あ、もしかして告白振るために嘘ついてるとか?」
「そんな面倒な嘘つかない。俺、アイツ以外好きになる気ないから。アイツがいれば他には何も要らない」
ちょ、なまえさん!?
思わず声が出そうになって口を押さえれば、隣にいる先輩が肩を揺らして笑っていた。
「他の子達にも言っといてくれる?手紙とかお菓子とかもう受け取る気はないって。告白も迷惑だから」
「え、ちょ…みょうじ君!?」
「悪いけど、アイツ以外に愛される俺とか考えるだけで虫酸が走る」
なまえさんの言葉に女の人は涙声で何か文句を言い残して走り去っていく。
「先輩、笑いすぎ…」
「だって、御幸くん顔真っ赤なんだもん」
「いや、だって…」
あんなの、聞いたら誰だってこうなるだろ。
熱くなった頬に手を当て、小さく息を吐き出せばガラッと窓が開いた。
「何してんの?」
「なんだよ、バレてんのか」
「なんでバレないと思った?見えてる」
先輩と話した彼は一也、と俺の名前を呼んだ。
甘い優しい声に熱くなった顔のまま、そちらを見れば彼は手招きをした。
「あ、の…すいません、勝手に覗いて…」
「別にそれはいいよ。見られて困るようなことないし」
いつものように頭を撫でて彼は微笑む。
「おはよう、一也。昨日のご飯、美味しかったよ」
彼はそう言って俺の熱くなった頬に口付けた。
「ちょ、なまえさん!?ここ学校…!?」
「こいつしかいないからいいよ」
「少しは感謝しろっての、なまえ」
感謝してるよ、となまえさんは先輩に笑いかけた。
「小学のときから、感謝してる。ありがとな」
「あーくそ、お前のそういうとこやっぱむかつく」
「知ってる。じゃ、またな。一也も、また後で」
ひらひらと手を振った彼に先輩は溜め息をついた。
「…アイツのあんな楽しそうな顔初めて見たかも」
そう呟いた先輩の横顔はどこか、嬉しそうだった。
▽
「今日は機嫌が良いんだな」
教室でクリスがそう言ってふっと笑った。
「御幸も機嫌が良かったが、何かあったのか?」
「ん、まぁ…いろいろ」
「…そうか。あまり、御幸を悩ませるなよ」
わかってるよ、と答えれば彼は何も言わずノートを差し出した。
「なにこれ?」
「昨日の授業のノートだ。どうせ、借りる相手はいないだろ?」
「どうせ、ってのは余計な。けどサンキュ、助かるよ」
ノートを写そうと鞄から筆箱を取り出そうとしたとき、見えたのは例の進路調査表だった。
「どうした?」
「いや…職員室行かないといけないの忘れてたなーって」
「ノートは今日は使わない。返すのは今じゃなくていい」
サンキュ、と彼に言葉を返しそのプリントを持って教室を出た。
一也の書いた文字は消してしまったが、その代わりに白紙に埋め尽くされた未来。
俺が描いた未来じゃないけど、彼が俺のために創ってくれた未来だ。
「先生、これ」
「あぁ…書けたのか?」
「まぁ、一応」
そう言って手渡せば先生は一通り目を通してから頷いた。
「この大学ならみょうじの学力でならいけるだろ」
「ありがとうございます」
アイツとまた同じ学校なんだな、と先生は苦笑を溢す。
「アイツってまさか…」
「あぁ、成宮だよ」
「アイツが俺の学力で行けるとこってピックアップしてくれたんです。そこから選んだんですけど…」
ちゃっかり、アイツの志望校入れたのかよ…
まぁ、いいけど。
「物事の中心は自分に出来るようになったか?」
「それは無理ですね。けど、俺を一番に考えてくれる人を中心にしていこうと思ってます」
目を瞬かせた先生に俺は微笑みを浮かべる。
「それじゃあ、失礼します」
「あ、あぁ…?」
俺を中心にすることは出来ない。
結局俺は俺が嫌いだから。
けど、俺を一番に考えてくれる一也のためにこれからは生きていく。
教室に戻ればドアの所の友人が立っていた。
「なまえー、教科書貸して」
「おいこら、お前。なんで、お前の志望校まで一緒にピックアップしてんだよ」
「あ、もしかして被った?被ると思ってたけど」
彼はけらけらと笑ってまた4年間よろしく、と言った。
「一応入れといたけどまさか選ぶとはな」
「一也が選んでくれたから変える気はねぇけど」
「今度は御幸くんが中心になるんだな」
俺は俺を中心には出来ないからな、と言えば彼は呆れたように笑った。
「いーよ、それでも。お前が生きる理由があるなら」
「…悪いな、いつも」
「悪いって思えるようになっただけ、ありがたいよ」
で、何だっけ?と首を傾げれば数学の教科書貸して!!と答えた。
「嫌だ。他の奴に借りろよ」
「やっぱり御幸くん限定?」
「当然」
優しくねぇな、と彼は言ったがその顔は酷く安心したものだった。
「なんだよ」
「いや、嬉しいなって。お前が誰かを好きになるってことが」
「…心配性の世話焼き」
俺の言葉に誰のせいだよ、と彼は溜め息をついた。
「けど、お前のそういうとこ好きだよ」
「俺は、お前のそういうとこ嫌い。こういうときだけなんでもかんでも口にすんな」
「言わなきゃ伝わんねぇって怒るくせに我儘」
彼は他の奴に教科書を借りて、こちらに視線を向けた。
「幸せにしてやれよ?お前のために禁忌を犯したんだから」
「…わかってるよ」
彼は満足げに笑い隣の教室に入っていった。
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