03
態々時間を取って貰って、ありがとうございました。
また連絡してもいいですか。

そんな彼からのメッセージに別に構わないよ、と返信をしてぐったりと机に体を預けた。

「元気ないな」

お弁当を食べていた露希の言葉に視線だけそちらに向ける。

「そういうわけじゃねぇけど」
「けど、なに?」
「昔のこと、思い出した」

小学の時から一緒に過ごしてきた彼は、すぐに分かったのかそうか、と一言返して視線をお弁当に戻した。

「聞いてくる奴全員に態々丁寧に答えて。その度にお前はグダグダと悩んで。…楽しいか、それ?」
「楽しいわけねぇだろ」
「じゃあ、やめればいいのに」

そう簡単な事じゃねェんだよ、と言葉を返して体を起こした。
そして食べかけだった弁当を口に運ぶ。

「今回の奴さ」
「うん」
「俺が外野手の時のこと、憶えてたんだ」

彼はへぇ、と聞いてるのかいないのかわからない返事を返す。

「俺に憧れて外野手になった、って言ってて」
「へぇ…よかったじゃん」
「良くねぇだろ。裏切ったのが自分だけじゃなかったんだから」

自分を裏切り続けた日々。
それと同時に、俺は神谷のことも裏切り続けていた。

「別に、お前を責めたわけじゃないんだろ」
「そうだけど」
「勝手に憧れたんだろ。憧れてますって、言いに来たわけでもない。その時知る方法もなかったことだ。今更知ったから、心を痛めてんのか?じゃあ、」

戻ってやれば、野球に。

冷めた言葉。
彼はいつだって、こうだった。

「戻らねェよ」
「だったら、いいじゃん。間違ってないって、なまえは思ってんだろ?なら、誰に何を言われても。何を知っても…もう、自分を裏切るなよ」
「おう、」

野球を辞めていろんなものが変わった。
付き合う友達も変わった。
従弟の鳴の態度も、親の態度も変わった。
けど、コイツだけは何も変わらない。
昔から、ずっと同じ。

「なぁ、」
「何?」
「ありがとな」

俺の言葉に彼はこちらを見て、溜息をついた。

「人の顔見て溜息つくなよ」
「…お前って昔から変わってるよな」
「いや、お前が言うなよ」

視線を逸らし笑った彼に俺も頬を緩める。

「変わらないでくれよ、これから」
「何が」
「何でも」

彼まで、変わっていたら。
俺の選択を間違いだと言ったら。
きっと俺も自分が正しいと信じ切れなかっただろう。

「人はそう簡単に変わらねェよ」
「そうか?」
「あ、違うな。変わろうとして、本当に変わることは簡単じゃない」

彼の言葉にそうだな、と俺は頷いて。
でも反対のことを口にした。

「けど、簡単に変わる。流されるみたいに」
「そうだな。日本人はよく流される」
「お前は流されないけどな」

彼は流されちまえば楽かもな、と笑った。

「なぁ、露希。アイツな、」
「うん」
「他の奴らとは違かった」

彼はまたうん、と相槌を打つ。

「皆変わっていって、お前だけ変わらないでいてくれて。アイツも多分みんなと同じように変わったんだ。けど、違うこと、言った」
「なんて?」
「なまえさんが楽しいなら、よかったですって」

変わろうとして変わることは簡単な事じゃない。
けど、得てして人は変わっていく。
右向け右、って号令なしに誰かが右を向けばつられて右を向くのと同じ。
誰かが命じたわけじゃないのに、人は足並みそろえて変わっていく。
その中で変わらない人は異常だ、変だと罵られる。
その中で変わったのに、別の方向を見ている人も同様だ。

「今まで、そんなこと言われたことなかった」
「嬉しかった?」
「そりゃ、まぁ…俺が選んだことを受け入れてくれたんだなって。そう、思った」

言葉だけだったのかもしれない。
けど、嬉しいと思った。

「俺も、受け入れてやってんのに」
「お前は何でも受け入れるだろ。俺が正しいと思うことをお前は本当に間違ってないとき以外は正しいって言ってくれる。だから、それとこれとは違う。お前は、こっち側。けど、アイツは向こう側にいる。得てして変わってしまう側。向こう側の人に、初めて受け入れられた。だから、嬉しいって思った」
「…お前に憧れてたからだろ」

なら、尚更向こう側だろと言えば彼は呆れたように溜息をついた。

「憧れてた相手を嫌いになるのって、簡単な事じゃない。好きだったものを嫌いになる。その辛さはお前が一番知ってる」
「けど、俺は裏切った」
「それでも、そいつは嫌いになりたくなかった。お前に、本当に憧れてたから。憧れてた人を嫌いになってしまいそうな自分を…そいつは受け入れたくなかったんだよ」

お前もそうだっただろと小さな声で言った。
空になったお弁当を閉じるために、彼は目を伏せる。

「必死になって、楽しいふりをした。楽しいと思いこませた。本当に大好きだった野球を嫌いになる自分を見たくなかったから。受け入れたくなかったから」
「…優しい奴なんだな、アイツ」
「お前も、優しい子供だった。けど、その優しさに…お前は、殺されかけた」

彼の言葉が静かな教室をより一層静かにさせた気がした。





態々時間を取って貰って、ありがとうございました。
また連絡してもいいですか。

散々悩んで送ったメッセージ。
別に構わないよ、と返信があり大きく息を吐いた。

「随分疲れてるね」

隣に座る友人、真緒の言葉に苦笑を零す。

「ちょっと色々あってな」
「ユキから話は聞いてるよ。会いたかった人に会えたとか」
「まぁ、会うには会ったんだけどな」

彼は野球を辞めていて、それだけでなく野球を嫌いになっていた。

「会わなければよかったかも、とは思ってる」
「…どうして?」
「勝手に憧れて、勝手に目標にして、勝手に裏切られた気になって。会って、話しをして、裏切られたなんて思ってた俺が恥ずかしくなった」

あの人は、自分を裏切り続けていたんだ。
それはきっと、俺が感じた感情よりも苦しくて辛いものだ。
なのに、俺はそんな彼を責めようとした。
何で野球を辞めたんだって、何で外野手を辞めたんだって。

「憧れた人だった。俺の野球の原点みたいな人」
「うん、」
「そんな人を、俺は嫌いになりそうだった。悪者にしようとしてた」

好きなものを嫌いになる感覚なんてわからない。
けど、わかったら。
わかっていたら、あの人はあんな哀しい笑顔見せなかったんじゃないかって。
けど、そんなのわからない。
わかれない。
わかりたくない。

「怖かった。あの人を嫌いになりそうな自分に気づいたとき」
「…シキ」
「嫌いになりたくない。憧れていたい。だって…始まりを失ったら、終わりだって見失うだろ」

彼がいたから外野手としても道が始まった。
彼のような外野手になる、それがこの道の終わり。
けど、彼を嫌いになって憧れるのを辞めたら。
始まりも、終わりも失う。

「例え今、野球を辞めていたとしても。あの人が野球をやっていたことは。あの人が俺の憧れだってことは…失いたくなくて。嘘を吐いた」
「どんな嘘?」
「野球を辞めた今が、楽しいならそれでいいって。思ってない、思えてないのに」

辞めて欲しくなかったって思ってる。
こんな風に思うべきじゃない。
なまえさんは自分で選んで、今楽しいと思える道にいるのに。

「心から応援してやれなかった、今のなまえさんのこと」
「優しいね、シキは」
「…優しくなんかねぇよ」

会えて、よかったとも思った。
けど、会わなければよかったとも思った。
また会いたいと思った。
けど、もう会うべきじゃないとも思った。

「どうしたらよかったのかわからない」

自分のしたことは正しいだろうか?
嘘を吐くことが、正しいはずない。
じゃあ、なんで辞めたんだと責め立てればよかったのか?
俺に、彼を責める資格なんてない。
どうしたらよかったのか。
どうするべきだったのか。

携帯を握りしめ、机に項垂れる。
気を遣ってか、彼が椅子から立つのが分かった。

「ユキには、詮索しないように言っておくね」
「…悪いな」
「あんま、無理しないでね」

昼休みが終わるまであと数十分。
答えが見つかるとは思えなかった。

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