05
稲実近くのファミレスで夕飯を食べていれば今どこにいますかと連絡が来た。
ファミレスの場所を送れば少ししてから彼が姿を見せた。

「すいません、こんな時間まで」
「いいって、別に。やりたいこともあったし」

今日の試合の反省とかをまとめていたノートを閉じて、何か頼むか?と首を傾げる。
じゃあドリンクバーだけ、と注文をして彼は飲み物を取りに行った。

「練習、お疲れ。こんな時間までやってんだな」
「はい、まぁ…」
「時間もあれだし、手っ取り早く本題に入るわ」

野球を辞めた理由。
ちゃんと知っているのは露希くらいだろう。
けど、露希はあんまり興味ないからな忘れてる可能性もある。

「嫌いになった理由、だけどな。遊撃手になったからなんだよ」
「え?」
「神谷の知っての通り、俺は元々外野手で。自分自身、そのポジションが好きだったし子供だけどちゃんと誇りを持ってプレーしてた」

外野を始めたのは、プロ野球のファインプレーを見たのが理由だった。
というかまず、そのファインプレーが野球をやり始めた理由だった。
そう考えると、始まりは神谷が俺に抱いた感情と似ているのかもしれない。

「けど、俺はその誇りとか自分で捨てた」
「なんで、ですか?」
「内野手にならないと試合に出さないって監督に言われたから」

目を丸くした彼に俺は目を伏せて、苦笑を零した。

「プロ野球じゃ守備を変えることってそんな珍しい話じゃない。人生かけてやってるし、試合に出れなきゃ生活できないから。戦いの場を広げることはチャンス拡げることになる。けどさ、小学生の野球ってそうじゃないだろ?基本的に皆好きなポジションをやってる」
「そう、ですね」
「シニアや高校でも、基本的に自分の意志で変えることはあっても変えさせられることって珍しいだろ?まぁ、それによって才能が開花するとかそういう兆しがあったならまだわかるけど」

俺の場合は違かった。

鮮明に覚えてる、あの頃のこと。
監督に言われたあの言葉。
忘れるはずない。
あの一言に、俺の人生が狂っていったんだ。

「俺が、内野手への転向を命じられたのは…鳴の才能が開花したからだった」
「は?鳴…?」
「鳴は天然のサウスポー。…小学生の野球じゃ、目立ってた。まぁ今も目立ってるけど…」

アイツのせいにするつもりなんてない。
恨まなかったか、と言えばそうではないけど。
結局は俺が悪いってことわかってた。

「あの頃は左ってだけで打ちずらさがあったろ?」
「ありましたね、確かに」
「それに加えて鳴は自分が上達することが楽しくて仕方なかったらしくて。毎日毎日飽きもせず投げてた」

気付けばアイツは先輩達を押しのけて試合に出れるくらいの選手になっていた。
けど、そこで初めてアイツの欠点が浮き彫りになる。

「投球がどれだけ早く上達しても。アイツの精神的な面はまだまだ幼かった。感情的で、打たれるとすぐにいじけて。調子が悪いと不機嫌になってボールが荒れる。アイツは感情がダイレクトに投球に影響を与えてた」
「今もその名残ありますね…」
「あー、やっぱり?あの頃に比べりゃ、きっと随分とマシになってるだろうけど」

精神面で荒れた鳴は捕手にはどうにもしてやれなかった。
1球投げたごとにマウンドに行くわけにも行かないし。
けど、これから鳴は確実にチームに必要な存在になる。

神谷は俺の話をただ、じっと聞いていた。
話すことを拒み続けてきた話は存外あっさりと言葉へ変わる。

「そんな鳴を、唯一宥めたり慰められたのが幼い頃から付き合いがあってアイツの従兄の俺だった。けど、俺は外野手。マウンドにはそう頻繁に行けない。だから…」
「マウンドの鳴にすぐに声をかけられる内野手…それも、マウンドに近づきやすい遊撃手になまえさんを…」
「そういうこと。俺は、成宮鳴を完成させるためのパーツでしかなかった」

コーヒーの入ったグラスに刺したストローで氷をくるくると回しながら自嘲の笑いをもらす。

「監督は俺に言ったんだよ。内野手に転向しないなら、試合には出さないって」
「抗議とか、できなかったんですか?」
「その時はまだ、理由もちゃんとわかってなかったんだよ。それにさ、丁度その頃は打撃も上がって来てて。勝つことが楽しくて仕方ない時だった。そんな時にさ試合に出れないなんて言われたら出る方選ぶだろ…」

それが誇りを捨てることになるなんて思ってなかった。
内野手が嫌になればすぐに外野手に戻れると思ってた。
馬鹿な子供だったんだ、あの頃の俺は。

「それで、内野手やり始めて。ベンチで監督から指示を貰ってそのとき初めて気づいた。自分が鳴の為に守備の転向させられたんだって。気づいたときには後の祭り。自分が内野手を辞めれば鳴はハッキリ言って使い物にならない。そうすれば、チームは勝てないし俺も試合に出れない。じゃあ、どうする?…続けるしかないだろ」

最初は慣れないポジションが出来るようになることが楽しいとも思えてた。
けど、そこそこ出来るようになった時にはもうダメだった。

「ファインプレーの時の歓声とか、全然嬉しくなくて。野球って、こんなつまんないんだっけって思ってた。けど、それを顔に出すと鳴が心配してきたし親も心配してきた。だから、楽しいふりして笑った。あと少しの我慢だって言い聞かせながら、シニアでは外野手に戻ろうって思ったけど、それもダメだった」
「…なんで、」
「スカウトに来る監督とかが求めてるものは俺じゃない。俺が来れば追いかけてくるであろう鳴とそれを完成品にできるパーツ。話聞いてりゃ、すぐに分かった」

外野手はやらせて貰えなかった。
まず、俺が外野手だったと知ってる人も少なかった。

「案の定、鳴は俺を追いかけて同じシニアに入ってきた。それで、また同じだ。楽しくなくて、逃げ出したくて。辞めたくて仕方なかった。野球をどんどん好きじゃなくなっていく、嫌いになっていく俺を俺はどうしても受け入れたくなくて。笑うしかなかった、偽物でも。楽しいふりして、俺は楽しんでるんだって思いこませなきゃ…どうにかなりそうだった」
「それで、俺は鳴に似てるって」
「そう。…けどさ、限界は来る。自分を騙し続けたっていつか、綻びが生まれる。その綻びに俺よりも早く気づいたのが露希だった。中2に上がってすぐだったかな。最近つまんなそうだなって、野球の話しなくなったなって誰も気づかなかったことに気付いて。お前は作り笑顔が下手だなって言われた」

気付かれるなんて思ってもいなかった。
しかも、露希にだ。
周りに興味なんてないアイツに、気付かれた。

「何で気付いちゃうんだよって思った。折角俺は目を逸らせてたのにって。けど、その反面嬉しかった。隠してた本当の俺に気付いてくれて。そんで…泣きながら今までのこと全部吐き出した。それでさ、アイツに言われたんだよ。誇りってのは折れたら折れただけ強くなってなくなることはないって。けど捨てたらもう、どうにもならないんだって。そりゃそうだよな。手放したら…戻ってなんか来ない。そんな簡単なことにさえ、あの頃の俺は気付けなかった」

露希が俺が変だって気付いたのは本当はもっと前だった。
それを聞いたのは高校に入って、野球を辞めてからだった。

「…まぁ…こんなもんだけど」
「なんで、それ…自分のせいだって思えるんですか?悪いのはあんなに才能があったなまえさんをダメにした監督じゃないですか」
「試合に出ずに外野手を続けるって選択肢もあったんだよ。だから」

そんなの、おかしいだろ!!

神谷は叫ぶようにそう言った。
机を叩いたその手は少しだけ、震えている。

「なまえさんが居なくても、鳴はきっとちゃんとエースになれた。精神的に幼かったからって、ずっとそうなわけじゃねぇし。失敗を繰り返さなきゃ、学べねぇし。学ぶためには打たれることも負けることも絶対に必要で。どれだけ勝ちたいからって、それを邪魔したらアイツも成長できない」
「…そうだな。きっと、そうだった。俺があの時遊撃手にならない方が鳴はもっと早く周りからもエースって認められる存在になれたよ。……甲子園でのあんな暴投も、きっとしなかっただろうな」
「なんで、それ…」

目を丸くした神谷に俺は苦笑を零す。

「喧嘩してるのに1度だけ、アイツからメールが来た。あの暴投の後だよ。戻って来てって」
「返信、したんですか?」
「してない。それで返信したら…アイツは変われないだろ?アイツに俺は必要ないんだよ。……きっと、初めから」

俺の存在は鳴の成長を妨げた。
傍から見ればきっと鳴は急激に成長した投手だっただろうけど。
中身は何も変わってなかった。
小学のときもシニアの時も。
アイツが初めて精神的にも大人になれたのは、失敗をして屈辱を味わった高校1年生のときだ。

「後悔したよ何度も。数えきれないくらい、後悔した。自分のあの時の選択も、その選択によって鳴をダメにしかけていたことも。たとえ、誰にも認められなくても俺は…辞めたことだけは後悔はしてない。」

話はこれだけ。
そう言って、泣きそうに顔を歪めた彼に少しだけ頬を緩めた。

やっぱり、優しい奴だ。
誰かのために、何かをできる。
誰かのために、何かを感じられる。
そういう、優しい奴。

「泣かないで、神谷」
「…泣いて、ないっす」

君の涙は綺麗だね、なんてキザなセリフ聞いたことあるけど。
涙に違いなんかあるのかよって、思ってた。
けど、確かに綺麗なものかもしれない。
彼の頬を伝った涙は握りしめられた手の甲に落ちた。
それを隠すように俯いた彼に、俺はテーブルに身を乗り出して彼の濡れた頬に触れた。

「神谷が悲しむこと、ないだろ」
「っけど、」
「…誰のことも恨んでない。監督も、鳴も。…悪かったのは、俺なんだ」

俺なんかの為に、彼は泣いている。
彼の憧れを裏切った俺なんかの為に。

「…ごめんな、神谷」
「なに、が…ですか」
「お前のこと、裏切って」

涙で濡れた瞳を丸くしてこちらを見た彼は首をゆるゆると横に振った。

「すい、ませんでした…俺、ホントっ何も…知らないのに…」
「知らなかったんだから、仕方ないよ。…何も悪くない、神谷は」

悪いのは俺なんだ。
誇りを捨てた、俺が悪かった。
だから、鳴が俺に怒っているのも仕方ないと思うし両親が俺を軽蔑しているのも仕方がないことなんだ。

「ねぇ、神谷。…お前は、俺の選択を間違っていると思うか?」

涙ながらに彼の口から零された言葉に、俺も泣きそうになった。

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