06
「なまえちゃん」「…みょうじですよ、御幸先生」
放課後の教室にいた彼女は視線をこちらに向けずに、そう返事をした。
「帰らないの?」
「…あんな部屋に帰りたいと思うと思いますか?」
必要最低限のものがあるあの部屋。
あんまり生活感はなかった。
「帰りたくないんだね」
「あの部屋に私はいないから」
彼女はそう言ってこちらに視線を向けた。
視線が交わって、微笑めば彼女はふいと視線をそらした。
「…なまえちゃん?」
「作り笑い…出来てないですよ」
「え…」
なまえちゃんは手のなかのシャーペンをクルリと回す。
「御幸さんは…私の前だと無防備だと思いますよ。そんな顔…ファンには見せないんでしょう?」
「そんな顔って?」
「何か大切なものを見る顔」
こちらを向いてなまえちゃんは微笑む。
気づかれて…たのか?
「私の友人から両親のことを聞いて…可哀想だと思いましたか?自分が支えようとか勝手なこと考えましたか?」
「…可哀想だとは思ってないよ。支えようとも思ってない。ただ、傍にいたいと思った」
なまえちゃんは目を丸くして、我慢できなくなったのか笑いだす。
「なんですか、それ。まるで告白じゃないですか」
「…告白、かもね」
俺の言葉に彼女の笑顔が消えた。
「自分の立場を理解してるんですが、先生」
「立場とか関係ないだろ?なまえちゃんはそうは思わないの?」
なまえちゃんははぁとため息をついた。
「…先生はもう少し場所と立場を理解すべきかと」
足音が近づいてきて、教室に入ってきたのよく俺に絡む女の子達。
「御幸先生みーっけ」
「あれ、みょうじさんも一緒?」
女の子の視線がなまえちゃんに向けられる。
なまえちゃんはそんなこと気にせず筆箱にペンをしまっていた。
「なにしてたのー?みょうじさん」
「課題やってたんだけど、帰れって言われたから帰るとこ」
「あ、そうなんだ!!てっきり御幸先生と2人で話してたのかと思った」
女の子の言葉に蒼ちゃんの視線がこちらに向けられて。
ほらね、と言いたげな瞳。
「御幸先生カッコいいから本気で狙ってる子多いんだよ。だからみょうじさんも気を付けてね。そういう子に恨まれないように」
脅しを含んだ言い方になまえちゃんは鬱陶しそうに目を細める。
「教師と本気の恋愛?あり得ないよ」
「好きになるのに職業とか関係ないでしょ!!」
「冷静に考えてみれば?」
鞄に筆箱をしまったなまえちゃんが視線を女の子に向けて、冷たい声で話し出す。
「教師と付き合えば、先生は学校をクビになって。貴女は退学でしょ?生徒に手を出した、なんてレッテル一度貼られたら再就職は見込めないし、貴女は高校生」
「バレなければいいじゃない」
「バレない保証がどこにある?それに、貴女に大人一人の人生を背負うことができるほどの責任感とお金があるの?」
なまえちゃんはため息をついて、俺の横を通りすぎて教室から出ていく。
「まぁ私には関係ないから好きにすればいいんだけどね」
女の子は言葉を失って立ち尽くす。
俺も彼女の背中を見つめて、立ち尽くした。
告白まがいの言葉を吐いた直後にあんなことを言われれば、間接的には断られたようなもの。
直接フラれるよりもよっぽど傷つく。
先生と生徒…
あの日のバーで出会ったなまえちゃんだったら素直に好きだと言えたのに。
この場所で、学校で再会してしまったから…俺はなまえちゃんに近づくことができない。
手を伸ばせない。
こんなことなら…なまえちゃんと出会わなければよかった。
▽
教室から出て、誰もいない廊下で足を止める。
「…少し、言い過ぎたかな…」
御幸さんの告白まがいの言葉に顔には出さずに、ひどく焦った。
心臓がいつもより速く鼓動を刻んで。
そんなときに遠くから聞こえてきた足音。
今度は、頭のなかを過った嫌な予感。
御幸さんの手伝いをする私をよく思っていない子がいることはわかっていたし…
手伝い以外で一緒にいるところなんて見られればどんな噂が流れて、どんなことをされるかは嫌でもわかった。
その場を取り繕う言葉は思いの外さらさらと出てきて。
でも、悲しそうな瞳を私に向けた御幸さんを見ていてもたってもいられなくなって逃げてしまった。
「傍にいたい…」
そんな言葉は初めて言われた。
両親のことを知った人は皆、口を揃えて言うのだ。
可哀想だと、自分が支えてあげると…
そんなこと求めてないのに。
私は可哀想じゃないし、支えてくれなくても一人で歩ける。
ただ、なにも言わずに隣にいて欲しかった。
友人のように私の隣にいればそれで…
御幸さんなら…私の隣にいてくれるかもしれないと。
私は似合わない期待を胸に抱いたのだ。
〔Back〕