04
あの会話のあとは何事もなかったかのようにいつもの時間が過ぎて。何度か会ったけどあの日の話は話題にはならなかった。
教室の自分の席で頬杖をついて窓の外を見つめる。
外は赤く染まって、部活の声が聞こえてくる。
そんな音に混じって聞こえてきたのは私の携帯の着信音。
着信は予想通り真田さんで。
けど、昨日会ったばかりだからなぁ…
少し不思議に思いながら携帯を耳に当てる。
「もしもし、みょうじです」
『あ、みょうじさん?真田です』
「どうかしましたか?」
少し焦った声に首を傾げる。
『俺が教えてる野球チームの子が怪我して病院に連れていかないといけなくなって。光のこと頼みたいんだけど』
「あぁ、いいですよ。光くん、まだ幼稚園ですか?」
『うん。結構遅くなりそうだから光とご飯も食べてもらえたら嬉しい。お金は後で返すから』
…真田さん、結構遅くなりそうなんだな。
「お金は平気ですよ。光くん家の鍵は?」
『一応、鞄のポケットに』
「わかりました。真田さんは夕飯どうします?」
『帰ってから適当に食べるから心配しないで。ごめん、よろしくね』
電話が切れて、時計を見つめる。
早く迎えに行ってあげよう。
鞄を手に、教室から出て学校からはそう遠くない幼稚園に向かった。
▽
「こんにちは」
「あれ、光くんのお姉さんの…えっと、みょうじさん?」
「はい」
この間の先生に頭を下げればどうしたんですか?と優しい声で私に問いかけた。
「真田さんが急に来れなくなったらしくて代わりに」
「え、そうなんですか?じゃあ確認取りますので少し待っててもらえますか?」
「はい」
ちゃんと確認とか取るんだと少し感動しながら、幼稚園の園庭を見渡せばたくさんの子供が駆け回っていて。
「なまえ姉ちゃんだっ!!」
後ろならトンっと飛び付いてきた光くん。
振り返らなくてもわかるようになった。
「こんにちは」
「なまえ姉ちゃん、ひとり?」
「光くんのお父さんの代わりにお迎えだよ」
光くんは私から離れてニコニコと嬉しそうに笑った。
「みょうじさん、確認取れました。光くん、お願いします」
「はい。光くん荷物持ってきて?帰ろっか」
「うん!!」
走って戻っていく光くんを見ながらクスクスと笑う。
「本当になつかれてるんですね」
「不思議なことに。まだ出会って半年にも満たないんですけどね」
「そうなんですか!?」
驚いている先生に苦笑しながら頷く。
「なまえ姉ちゃん、帰る!!!」
「ん、帰ろ。それじゃあ失礼します」
右手を光くんと繋いで家までの道を歩く。
「光くん夕飯、なに食べたい?」
「なまえ姉ちゃん作るの!?」
「うん。難しいものは無理だけど」
光くんはなにがいいかなーっと繋いだ手を振りながら考える素振りをして。
「ハンバーグ!!」
「ハンバーグ?ん、ちょっと時間かかるかもしれないけど平気?」
「平気!!」
ハンバーグか…
なんか、子供らしいチョイス。
途中にあるスーパーで材料を買って。
初めての2人きりの夕飯を食べた。
光くんはお風呂に入ってすぐに寝てしまって。
その様子を眺めてクスクスと笑う。
「子供なんだなぁ…」
9時には寝ちゃうんだ。
時計も見ればまだ9時を過ぎて少ししか経っていない。
「真田さん、そろそろ帰ってくるかな…」
一応、真田さんの分の夕飯も準備した。
帰る頃に連絡をくれたら帰ってきてすぐに食べれるようできるんだけど…
携帯を見つめて、まぁ無理かと諦めて鞄に仕舞おうとしたとき携帯が震えた。
マナーモードにしていた携帯を開けばこれから帰りますと書かれたメール。
「ちょうどよかった」
携帯をしまって真田さんの夕飯を作り始めた。
▽
急にみょうじさんに頼んでしまって申し訳ない気持ちとみょうじさんがいて助かったという気持ちがあって。
いつもより疲れた体で家に帰れば明かりがついていて、なんとなく新鮮だった。
鍵を開けてなかに入れば凄く美味しそうな匂いがして、首を傾げた。
「ただいま」
「あ、真田さんお帰りなさい」
制服姿のみょうじさんが玄関に出てきてにこりと笑う。
「夕飯、あと少しで出来るんですけど…お腹空いてます?」
「空いてる!!え、作ってくれたの?」
「はい。着替えから来てくださいね。あ、光くんはもう寝ちゃいました」
スタスタとリビングに戻っていく背中を見つめてら胸がドキッとした。
お帰りって言われたのも夕飯が家にあるのも、凄く嬉しくて。
自室に足早に駆け込んで、服を着替える。
リビングに入っていけばみょうじさんがもうできましたよと微笑んだ。
「ハンバーグ?」
「はい。光くんのリクエストです」
「うまそう!!食べていい?」
みょうじさんはにこりと笑ってどうぞと言う。
「ん、うまい!!」
「本当ですか?よかった」
「今日、大変なことなかった?大丈夫だった?」
夕飯まで作らせてしまったことが申し訳なくて。
そう彼女に問い掛ければ不思議そうに首を傾げた。
「光くんは相変わらずいい子でしたよ」
「そっか、よかった」
みょうじさんが作ったハンバーグは自分で作ったのよりも美味しくてつい、頬が緩む。
「あ、けど…光くんが3人で食べたかったなーって言ってましたよ」
「また一緒に食べればいいよ。ね?」
「そうですね」
俺の前に座った綾瀬さんが視線を光の部屋に向けた。
「あ、あのさ。この間はごめんな?光が…」
「お母さんになるって話ですか?」
「あぁ。なんか、悲しい顔させたから」
俺の言葉にみょうじさんは目を丸くして、顔を俯かせた。
「私、光くんと逆なんです」
「逆?」
「父親がいなくて、母親に育てられたんです」
びっくりした。
みょうじさんのことはよくは知らないけど、そんな家庭環境だったとは思えないほどいい子だし。
「若くして私を生んで…女でひとつで育ててくれたんです。父親がいない理由も知らないし、聞こうとも思いませんでした。いつもいつも私のために働いてるような人でしたから」
「…寂しく、なかった?」
「寂しくないと言えば嘘になります。けど、それが私のためだって分かってたから寂しいなんて言えませんでしたよ」
微笑んだ顔は酷く悲しそうで、でも優しくて。
けど、高校生がするような顔じゃない。
「私、母親とご飯を食べたことなくて。だからこうやって光くんと真田さんと食べるの凄く楽しいんです」
「…一緒に食べたいって言ってみたら?きっとみょうじさんのお母さんだって一緒に食べたいって思ってると思うよ」
「一度でも言っておけばよかったなぁとは思います」
まるで、もう言えないと言ってるみたいで。
頭のなかに浮かんだのは最悪な予想。
「今、真田さんが考えてることで当たってると思いますよ。私の母はもう亡くなってます」
「ごめん、嫌なこと話させて…」
「平気ですよ。食事中、変なこと聞かせてごめんなさい」
みょうじさんは困ったように笑って席を立つ。
「私、そろそろ帰りますね」
「え?」
「時間、結構遅くなっちゃいましたし。疲れているときに話すのは気が引けます」
時計はすでに10時を過ぎていて。
制服姿のみょうじさんはお邪魔しました、とリビングを出ていく。
その肩が震えている気がして慌てて追いかける。
「みょうじさん!!」
「どうしました?」
「何て、言えばいいかわかんないけど」
こちらを振り返ったみょうじさんの瞳が少しだけ潤んでいて、彼女の頭にポンと手をのせる。
「真田さん?」
「辛いなら…話聞く。俺じゃ頼りないかもしれないけど…話したいならいくらでも」
「え?」
目を丸くしたみょうじさんの瞳から一筋の涙が頬を伝う。
「あ、いや…すみませんっ!!」
その涙を手で擦って、でも彼女の瞳からは止めどなく涙が溢れてくる。
彼女の小さな肩は震えていた。
そんな彼女が酷く綺麗に見えて、胸が熱くなった。
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