05
みょうじさんは唇を噛んで、必死に涙を拭う。

「みょうじさん」
「あ、の…すみま、せん…すぐ、止まる、ので」
「…いいよ、泣いて」

頭に乗せていた手で彼女の頭を撫でる。

「我慢する必要、ないと思うよ」
「けど、私…」
「…いいから。泣きたいだけ、泣けばいい」

肩を震わせて泣く彼女を抱き締めたいと思った。
力になりたいと、その涙を止めてあげたいと。
けど、それ以上に彼女の涙が綺麗だと思った。
胸が熱くなって、彼女に触れる手が少しだけ熱く感じる。

なんとなく、この感情がなにかわかった。

みょうじさんはそこに蹲って、涙を流す。
そんな彼女の頭を撫でながら、抱き締めたい衝動を抑えていた。


「…すみません…」

涙はなんとか止まって。
でもその瞳は真っ赤で。

「いいよ。大丈夫?」
「は、い…」
「…話、聞く?」

みょうじさんは少しだけ困った顔をしてでも小さく頷いた。

さっきまでいたテーブルに座って、温かい紅茶を渡せばありがとうございますと小さな声で呟いた。
俺は夕飯を再開して。

「私の母はいつも働いてました。家に帰ることもほとんどなくて。母方の祖母が私を育ててくれました」

ぽつりぽつり言葉を紡ぐみょうじさん。
視線はずっと下げたままだ。

「祖母が小6の頃に亡くなってそれからはほとんど自力で生活してました。お金は母が毎月送ってくれて」
「ご飯とか全部?一人で?」
「はい。お金をあまり使わないために自炊するようになって」

大人っぽい理由はきっとこれなんだろうな…
ご飯も凄く美味しいし、でもこれは自分が食べるために作られてたものだったんだ。

「母とは年に1、2回しか会っていなくて。どんな仕事をしてるかとか…知りませんでした。…高校もお金がかからないように公立に入って、塾にも通いませんでした。習い事もなにもしたことはないです」

みょうじさんは紅茶を一口飲んで少しだけ躊躇って口を開く。

「私が高校生になってバイトをすれば少しは楽させてあげられると思ったんです。そしたら一緒にご飯も食べられるかなって。けど…」
「けど?」
「私が高校に入ってすぐに亡くなったんです」

みょうじさんはマグカップを置いて、震える左手を握りしめる。

「亡くなったと、学校に連絡が来て…病院に駆け付けたときには母は冷たくなっていて」

この手に、あの冷たさが残っているとみょうじさんは言って左手を右手で隠してぎゅっと握った。

「母は若くで私を生んでいます。私を育てて、亡くなった。自分のやりたいことも欲しいものも全て我慢して私のために。それなのに私は一度も感謝の言葉を伝えたことはないし…母が亡くなるまでそんなことには気づいていなくて…誰にも認められずそれでも母は…」
「…だから、強くてカッコいいって言ったんだね」
「はい。私には誰かのために自分を犠牲にすることは出来ないですから。だから…母は強かったんだなぁって」

みょうじさんの手の震えは微かになっていた。
それでも母親を亡くしたことを思い出すのは辛いんだろう。

「…みょうじさんが、今…そう思ってくれてるだけでお母さんは嬉んじゃないか?」
「そう、ですかね…」

みょうじさんはほんの少しだけ微笑んだ。

「話、聞かせちゃってごめんなさい。母のこと話したの初めてなんです」
「…ずっと一人で抱えてたんだな」
「私が背負うべき思いですから」

みょうじさんは強い。
彼女は気づいてないけど、強いしカッコいいと思う。
たった一人で生きて、自分の思いを一人で背負って、それを悟られないようにして…
けど、出来ることなら俺には話してほしい。
俺を頼ってくれればいいのに、って思う。

「みょうじさん」
「はい?」
「俺ならいくらでも話聞くよ。辛くなったら頼ればいい。遠慮なんか、しなくていいから」

みょうじさんは目を丸くして、けどすぐに微笑んだ。

「ありがとうございます」
「力にはなってあげられないかもしれないけどな」
「いえ、話聞いてくれるだけで嬉しいです。それに、ご飯とか一緒に食べるの楽しいですから」

みょうじさんは時計を見て顔をひきつらせた。

「どうかした?」
「いや…時間が…」

みょうじさんの視線の先を見て俺も固まる。
11時30分を少しだけ過ぎた時間。

「ごめん!!えっと、家まで送るから」
「あ、いえ真田さんは悪くなくて…それに、光くん一人にはしたくないし…大丈夫ですよ。遠くもないし」
「いや、けど…」

みょうじさんは遅くまで失礼しました、と席を立つ。

「家、着いたら連絡ちょうだい」
「え?」
「心配だから」

みょうじさんは目を瞬かせて俺を見る。

「なに?」
「あ、いえ…なんか心配されるの新鮮で」

みょうじさんの言葉に俺は笑って、頭を撫でる。

「気を付けて。みょうじさん綺麗なんだから」
「は?」

みょうじさんの顔はどんどん赤く染まっていって。
お邪魔しましたっと言って部屋を飛び出していく。

その姿を見送って俺はクスクスと笑う。

「やっぱり…好きだなぁ」

みょうじさんのあんな表情初めて見たから、少しだけ胸がドキッとした。

「パパ?」

ドアから顔を覗かせた眠たげな光。

「おかえり」
「ただいま。起こしちゃったか?」
「ううん。お姉ちゃん…帰っちゃった?」

光の頭を撫でながら、帰ったよと答えて光を抱き上げる。

「光はみょうじさんのこと好きか?」
「大好きだよ」
「そっか。ほら、もう寝ろ」

うん、と頷いて光は寝息をたて始めた。

「俺も…好きだよ。みょうじさんのこと」

眠ったはずの光が少しだけ微笑んだ気がして俺も微笑んだ。

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