02
手の中にあるプリントに私はため息をついた。

「渡すの忘れたなら自分で渡せばいいのに」

放課後。
バイトのシフトまで時間があるからと課題をしていた私に押し付けられたのは小湊に返却し忘れたプリント。
会議があるから、と颯爽と先生は消えていった。

ローファーに履き替えて、野球部のグラウンドに行けば観客がたくさんいて。
それの多くは女の子。

「どうしようかな…」

あの女の子の中にはできることなら入りたくない。
少し離れたところからグラウンドを見つめて、ため息をつく。

人の隙間からチラチラと見える野球部員も真剣そのもので。
どうにも声をかけにくい。


「部室に置いとけばいいかな…」

グラウンドに背中を向けて、部室の方に歩いて行けばそこの辺りには人の姿はない。

「勝手に入るのはなぁ…」

部室のドアの前で足を止め、小さく呟く。
練習が終わるのを待っていればいいか、とも思ったけど私にはバイトがあるし。
他の人に頼むのは無責任と言うか、もし届かなかったとき困る。
適当に女の子に頼んで、届かなかったとき小湊に何を言われるか。
考えただけでめんどくさい。

「なにしてんすか、アンタ?」

後ろから聞こえた声。
振り返れば怪訝そうに私を睨む男の子。
どこか見覚えがあると思えば、以前ぶつかった男の子だ。

「野球部だよね?」
「そうっすけど…あれ?アンタ…この間ぶつかった…」
「そう、それ。ねぇ、悪いんだけど少し頼まれてくれない?」

彼は首を傾げる。

「2年の小湊、呼んでもらえる?」
「え、あ…いいっすけど。…彼氏、ですか?」
「まさか。ただの友達」

彼は少し待っててくださいとグラウンドに走っていって。
私は部室の壁に背中を預けて先生に渡されたプリントに視線を落とす。

×がついた最後の応用問題。
解き直そうとして途中で断念したようで、式が途中で止まっていた。
それの解き方を頭の中で思い出していれば聞こえてきた彼の声。

「女って誰?今練習中なんだけど」
「いや、なんか違う感じだったんで」
「なにそれ。どっちにしろ練習の邪魔」

あーぁ、彼困ってる。
小湊も相変わらずの毒舌というか…

「あ、あの人…なんすけど」
「どれ?て、みょうじ?」

小湊はこちらを見て、首を傾げた。

「ごめんね、練習の邪魔して」
「みょうじなら別にいいけど。どうしたの?グラウンド来たの初めてじゃない?」
「野球見に来たわけじゃないよ。これ、届けに」

プリントを渡せばあぁ、と呟いて。

「最後の問題」
「ムカつくけどできないんだよね」

不機嫌そうに眉を寄せるから私は苦笑して。

「ここ、定理あてはめて。そしたらこっちが出るでしょ」
「うん」
「で、この値からこれが正三角形で。そしたらこっちが出せるから」

あとはわかるでしょって言えば小湊はあ、わかったと言って。

「じゃあ、私はこれで。ちゃんと届けたからね」
「うん、サンキュ。これからバイト?」
「うん。あ、1年生の君もありがとう。助かったよ」

そう言って帰ろうとすればちょっと待ってと小湊が腕をつかんだ。

「何?」
「こいつ。この間言ってた面白い1年」
「御幸一也です」

彼はペコッと頭を下げた。

「みょうじなまえ。小湊と同じく2年」
「ついでだし、もう一人の後輩も紹介するよ」
「別に頼んでないんだけど」

私の言葉を彼は無視して視線をグラウンドに向けた。

「えっと…あ、いた。あれ」

あれ、と指差された先に見えた姿に私は無意識に髪に隠れたうなじに触れていた。

「倉持洋一。ショートで俺と二遊間を…みょうじ?」
「みょうじさん?」

2人が不思議そうな声で名前を呼ぶのが聞こえた。

「…ごめん。そろそろバイトの時間だ」
「え?」

御幸君が驚いた顔をして私を見た。
けどその視線から逃れるように背を向ける。

「じゃあ」

私はグラウンドに背を向けて足早にそこを離れる。
あからさますぎる逃げだった。
けど、仕方がない。

見間違えではなかった。
聞き間違えではなかった。
彼は私の肩書きだけの幼馴染み。
もう会うことはないと思っていたのに…

「なんでこの学校にいるの」

会いたくないとかそういうわけではない。
会っても会話なんてしないだろうし、他人のようにお互いに振る舞うことになるのだから。
けど何故だか会ってはいけない、そんな気がした。

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