07
「合宿が始まる前には何とかしてくれない?」部活を終えて、残ってバットを振っていた俺に亮さんはそう言った。
「…はい」
1年の俺は何とか1軍入りを果たした。
でも亮さんは俺が本調子じゃないことにやっぱり気付いていた。
練習中もたまにちらつく雪。
「みょうじと喧嘩したわけじゃないんでしょ?だったら早く」
「喧嘩してたら…こんなことにはなってねぇっすよ」
「…じゃあ、一体何があって2人はそうなったわけ?仲の良かった幼馴染みの2人が」
俺はバットのヘッドを地面につけて顔を伏せた。
俺と亮さんを見て話の内容がわかったのか御幸も亮さんの隣に並ぶ。
「みょうじさんの話っすか?」
「そ。何があったのか聞こうと思って」
「それは俺も気になってたんすよね」
2人が俺を見ているのがわかった。
「そこまで必死に隠す理由は何?お前もみょうじも」
「…なまえ姉はただ、俺を庇って言わないだけっす」
「どういう意味?」
あの日の景色が流れてくる。
俺はゆっくりと口を開いた。
「中学に入って、俺は喧嘩ばかりしてた。俺は自分の正しいことを貫きたかっただけだったけど…それを貫くことで敵が出来て。それでも自分を曲げたくなくて喧嘩って形で自分の意見を貫いてた」
「端から見たら不良だね」
「はい。不良で多分間違ってないっす。周りの奴らはどんどん離れていったけどなまえ姉だけは何も変わらず俺の隣にいた」
困った顔の彼女を思い出す。
―また怪我してる。ほら、手当てするから
―頼んでねぇし
―いいじゃん。私がしたいんだから。それにね、よーちゃんは間違ってないよ。自分の正しいと思うこと。貫けばいい
―…おう
「どんな時だって俺の味方でいてくれた。俺を本当に理解してくれてた。俺は何にも返せねぇのにいつだって優しさをくれた。その優しさが俺は好きで…それを貰えることが当たり前だと思ってた」
2人は何も言わずに俺の話を聞いていた。
「けど、いつからか気づいちまった。
その優しさは俺だけに向けられるものじゃねぇって。
アイツは本当に優しい奴だから。
困ってる人がいたら見返りなんて求めず手を差し伸べた。
彼女のそういうところが好きだったけど嫌いだった。」
流れる景色が移り変わる。
「俺といることでアイツは悪く言われてた。なんであんなやつとっていつも言われてた。けど、それでも…俺の隣にいた。いてくれたんだ」
俺は目を瞑ればあの日の景色が流れてくる。
体が冷たくなっていく。
「けど、あの日。喧嘩した相手に言われたんだ」
「なんて?」
「お前みたいな奴の幼馴染みのアイツは可哀想だって。お前がいなけりゃ今ごろ彼氏がいて幸せだっただろうにって」
わかっていた。
俺がなまえ姉にとって邪魔な存在だって。
俺がいるだけでなまえ姉も悪く見られるって。
離れた方がいいことなんて自分が一番わかってたけど、それが出来なかった。
「彼氏がって話を聞いて…アイツの隣に他の男がいる姿が浮かんで。嫌だって思った。アイツの隣にいていいのは、俺だけなんだって。あの優しさも俺だけに向けられればいいって…そう、思った」
「お前もしかして…」
「独占欲っつーの?ガキの頃から好きだったんだ、きっと。隣にいるのが当たり前すぎて気づけなかっただけで」
また、景色が変わる。
あの公園のベンチに俺がいた。
空はどんよりとしていて 、酷く寒かった。
「自分の感情に気付いて、納得した。アイツの隣が心地好かった理由もいつもアイツといたいと思った理由も。けど、どうしようも出来ないこともわかってた」
「…どうして?」
「だって俺は幼馴染みだったから。1つ年下の弟みたい存在だったから。なまえ姉は姉さんだったから」
近すぎて遠すぎる関係だったから。
ベンチに座っていた俺の前になまえ姉が現れていつもみたいに微笑んだ。
「よーちゃん」
「…なまえ姉」
俺の前に立って、白い息を吐き出す。
「寒くないの?」
「寒くねぇ」
「帰らないの?」
「帰らねぇ」
彼女が困ったように眉を寄せた。
「よーちゃんのお母さん、ご飯作って待ってたよ」
「知らねぇよ」
「…ねぇ、よーちゃん。帰ろうよ」
彼女の伸ばした手はいつもだったら何の躊躇いもなく掴めたのにその日はダメだった。
この手は今まで何人の人に差し伸べたんだろうって。
この笑顔は一体何人の人に向けられたんだろうって。
そんなことを考えたらもう、ダメだった。
俺は彼女の差し出した手を払っていた。
彼女は驚いた顔をしたけどやっぱり優しい声で俺を呼んだ。
そんな時だった。
雪が降り始めたんだ。
眉を寄せて、手の中のバットを握りしめた。
「倉持…」
「あの年の初雪が…」
体が凍えて、微かに震え出す。
「倉持、震えて…」
亮さんは言葉を途中で飲み込んだ。
震える体が思い出すのはあの日の寒さか恐怖か。
もしくはその両方か。
「あの時、降りだした」
震える唇がそう、呟いた。
視界の端を雪がちらつき出して。
「雪が、降りだしたんだ」
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