08
次の日の朝、昨日の飲み会のメンバーがリビングの至る所で寝ていた。
午後から出勤予定だったけど、昨日の電話でいつも通りの出勤が決まった私は彼らを起こさないように準備をしていた。
朝食はコンビニで買えばいいか…

靴を履いて出ていこうとした私の手を誰かが掴んだ。
振り返れば倉持が怖い顔をして私を見ていた。

「おはよう、倉持」
「おはようございます。あの、仕事ですか…?」
「うん、そうだけど」

手を離した彼の表情はいつものものに戻る。

「…あの、」
「なに?」
「本当に気づいてないんすか?」

何を?と尋ねれば彼は眉を寄せる。

「…俺、みょうじ先輩に会ったとき思ったんすよね。御幸に似てるなぁって」
「それは酷いんじゃない?」
「ウザいとか、そうい話じゃないっすよ。他人に本音を見せないで、自分を偽るのが上手ってことっす」

仕事用の靴を履いてトントンとつま先で床を叩いてドアノブに手をかける。

「何のこと?私は何も隠してないし偽ってもいないよ」
「本当にそうですか?本当はアンタ…亮さんの気持ちを」
「ねぇ、倉持」

ドアを開けて外に出ながら口を開く。

「アンタだけに言うわけじゃないけど。仕事の邪魔だけはしないでくれる?」
「え…?」
「恋だの愛だの、私を巻き込まないでよ」

最後に彼を睨みつけてから部屋を出た。
ガチャンとドアが閉じて私は首を横に振る。

「言い過ぎた?…別にいいか」

紛れもない本音だから。





「怖っえ〜…」

最後に俺を睨み付けたみょうじ先輩は確かに怒っていた。

多分、恋に興味がないとか結婚願望がないとかそれ以前の問題だ。
そういった類に明らかな嫌悪を見せた。

亮さん、難攻不落とか難易度高いとかそんなこと言ってらんないっすよ。
多分…

あの人は、亮さんの気持ちには多分気付いてる。
いつからか、とかはわからないけど。
それでも家に亮さんを置いているのは、亮さんがそう言った素振りを見せないからだ。
告白なんてしようものなら、きっとみょうじ先輩は亮さんの前から姿を消す。
亮さんだけじゃない。
俺達の前からも、藤原先輩の前からも消える。
きっと、もう2度と会ってくれなくなるだろう。

「…ラストチャンスってことかよ。…いや、チャンス…なんてもんじゃねぇか」

亮さんのことはずっと慕ってきた。
だから、どうしても幸せになって欲しかったし。
その相手はやっぱりみょうじ先輩であってほしかった。
応援とか出来る限りの手伝いはしたいと思っていた。
けど、こればっかりは…

「何してんの、倉持」
「あ、亮さん…いや、みょうじ先輩が仕事行くみたいだったんで」
「あれ、午後からじゃなかったの?…朝食、食べてないだろうな」

亮さんは優しい雰囲気を纏ってみょうじ先輩の話をする。
こんな亮さんは彼女にだけだ。

「…亮さん」
「なに?」
「もし、みょうじ先輩と付き合えなかったらどうするんすか…?」

俺の言葉に亮さんは眉を寄せた。

「さぁ、どうするんだろうね。考えたことなかった」
「…そう、っすか」
「けどまぁ…それでも好きなんじゃない?」

朝食作るから手伝って、と亮さんはリビングに戻っていく。

「野球と同じでさ。アイツへの感情がなくなった自分を想像できないんだよ」
「…なんでそんなに好きなんすか。亮さんモテるのに」
「倉持はさ、知ってる?」

何をっすか?と首を傾げれば亮さんは手慣れた様子で朝食の準備をしながら言った。

「アイツってさ、頑張れって言わないんだよ。それに頑張ったね、って言わないんだ」
「え?」
「高校最後の夏。俺達負けたじゃん?」

あの時のことは今でも思い出せば泣けてくる。
亮さんと一緒に行けると思ってた最後の夏だ。

「皆さ、頑張ったねとか凄かったねとか、惜しかったねって言ったんだよ」
「…はい」
「けど、アイツだけ違かった」

亮さんはこちらを見て笑う。

「アイツの言葉だけ、違かったんだよ」





『へぇ、負けたんだ』
『それだけ?』
『…私に何を期待したのかわからないけど。慰めて欲しいなら他を当たってくれる?』

コンビニの近くにあった公園。
月も見えない真っ暗な夜。
ブランコに座って負けたことを伝えれば彼女はそれだけ言って空を仰いだ。

『…まぁ、いいんじゃない?』
『は?』
『確かに、甲子園って高校球児の夢かもしれないけどさ。それが叶わなかったからって、小湊が今まで泥だらけになりながら這いつくばってそれでも立ち上がって繰り返してきた努力が無になるわけじゃない』

頂上なんてどこにでもあるじゃん。

彼女はそう言って笑った。

『山は1つじゃない。今回頂上に行けなかったなら、次それより高い山に登ればいいじゃない。それで頂上獲ったなら、それでいいと思わない?』

彼女はそう言って早く帰ろうと俺に背を向けた。
彼女の後ろ姿を見た時には泣きそうになってた自分はいなくなってた。


「アイツはさ、高校球児にとっての甲子園がどういうものなのかなんて知らないから、あんなこと言えたんだと思うんだけど。それでも俺にはその言葉がすごいしっくりきた」
「…亮さん…」
「悔しかったし、泣いたけど。その言葉でまた、前向けたから」

その時、尚更好きになったよと言えば倉持は眉を寄せていた。

「…負けて落ち込んでる奴にあんなこと言えるアイツって本当にすごいだろ?」
「はい」
「そういうとこが、すごい好き。アイツの言葉って1つ1つが重たいから」

人を傷つけることもあるだろうけど、人を救うこともできる。

「けど、亮さん。その前から好きでしたよね?」
「うん、まぁね。好きになったのは…なんでかもう憶えてないんだよ。気づいたら好きだった」
「…やっぱり、俺。亮さんとみょうじ先輩に付き合って欲しいです」

そのつもりだって言ってんだろ、と彼にチョップを入れる。

「そのために、ここまで追いかけてきたんだから」

ちゃんと憶えてる。
みょうじを好きになった理由を。
ただ、あんまり話したくはない。
俺だけが知っていればいいって、思ってるから。

初めて見たときから、初めて会ったときから。
お前は強くて真っ直ぐだった。
何にも執着しないで、何かに夢中になったりなんてしてないのに。
ブレない何かを持っていた。
俺達が甲子園っていう唯一の目標を持っていたのと同じように。
お前の中には唯一の何かがある気がした。

それは今、仕事になっているのかもしれないけど。
けど、いつか…

「アイツの唯一になりたい」

俺の言葉に倉持は笑った。

「やっぱり、カッコイイっすね。亮さんは」

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