09
「あれ、なんか機嫌悪い?」

ヒョコ、と後ろから顔を出した男が目の前で缶コーヒーを揺らす。

「何、くれるの?」
「俺の飲みかけでよければ?」
「…どうも」

今更、そんなことを気にするのも面倒でそれを喉に流し込む。

「恥じらいなし?」
「悪かったわね。いつものことでしょ」
「別に、いつものことだけどさ。それで、どうかした?」

隣の椅子を勝手に引っ張ってきて彼は隣に腰かける。
今日、このフロアには私と彼しかいない。

「仕事してくれない?編集長」
「俺とお前ならそんなに立て込まないんだし、肩の力抜けよ。副編集長さん?」

昨日の夜、可能なら朝から来てくれと連絡を貰った。
企画書のミスの直しと企画の相談。
アニメ化について。
今までゆっくり話し合えなかったことを話したいと彼に言われ、断る理由もなかったし私は会社に来た。

「で、なんかあった?」
「別に」

頭の中にあるのは小湊の事だった。
これだから恋愛ごとは嫌いなんだ。

「初めて会ったときみたいな顔してんぞ」
「…いつの事よ、それ」
「ほら、入社してすぐの。恋愛でごたついてたとき」

キーボードを叩いていた手を止める。

「あ、図星?またそれ系?」
「本当、鋭くて嫌」
「話くらい聞いてやるけど」

デスクに頬杖をついて首を傾げる。

「…今、高校時代の同級生が家に居候してるんだけど」
「男?」
「男」

彼はお前なぁ、と溜息をつく。

「それ、下心確実にあんだろ」
「ないと思ってたんだってば。高校の時も男友達みたいに付き合ってたし」
「それで?押し倒されたとか?」

ニヤつく彼のすねを蹴って、悶える彼を無視して言葉を続ける。

「その相手と私の高校時代の同級生が家に来て。聞いちゃったんだよね」
「…お前のことが好きだって?」
「そういうこと」

ふぅん、と興味なさげに言った彼はさっき私が飲んだ缶コーヒーを飲んだ。

「…高校の時からずっと好きだったんだって」
「へぇ、一途だな」
「気付かなかったし、気付きたくなかった」

お前ってさ、優しくないよなと彼は呟く。

「何、急に」
「お前、本当は気づいてたんじゃねェの?相手の想いが自分に向いてるって。…お前、そそこまで鈍感じゃねぇだろ」
「…気づいてなかったよ」

嘘だな。
断言された言葉に眉を寄せる。

「お前はさ、気付いたことにも気付かないふりしてたんだよ。あの時してたように」

入社してすぐ。
私のいた部署では恋愛でのごたつきがあった。
先輩の男が私の同期の女2人に手を出した。
二股から始まったのか、どちらかが浮気だったのか…正直憶えていないし。
あの時の部署の気まずい空気を私は気付いていた。

「あの時、気付いてたのに。お前だけはいつもと変わらず仕事をしてた。気づいてないって、そんな顔して」
「それがなに」
「お前はさ、自分さえも偽れちゃうんだよ。お前は鈍感なんじゃないよ。鋭いから気付けたことに気付かないふりするから鈍感って思われただけ」

よく思い出してみろよ、と彼は言う。
確かに薄々気づいてはいた。
自分にだけ妙に優しいことも、よく私を見ていたことも。
アイツの後輩たちが必死になって私と彼をくっつけようとしていたことも。
けど、それは全部気のせいだと決めつけた。
決めつけ続けていた。

「なんていうかさ、相手がスゲェ一途ってのもあるけど。お前が終わらしてやらなかったってのもあんじゃない?」
「終わらせる…?」
「告白させたりとか、しなかったんだろ?上手く避け続けてきた。だから、終われないんだよ」

フラれたら終われたかもしれねぇだろ、と彼は言った。

「片思いの終止符ってやつ?打たせてやれば今頃そんなことにはなんなかったよ」
「…今更じゃん、そんなの。途中で諦めることだってできた」
「まぁ、そうかもしれねぇけど」

缶コーヒーが空になったのか彼はそれをデスクに置いた。

「お前の事ってなんか、諦めたくなくなるんだよ」
「はぁ?」
「お前が絶対に諦めたりしないから」

視線が交わって彼は目を細めて笑った。

「俺も、その1人だけど」
「笑えないよ、その冗談」
「そうやってお前、逃げるからだめなんだよ」

彼はそう言って私の頭を乱暴に撫でた。

「…俺と付き合えば?」
「は?」
「そしたら諦めんだろ、その男も」

頭の上の彼の手を払って溜息をつく。

「職場恋愛とかありえない」
「じゃあ、俺が他の部署に行く」
「…中途半端に捨てる男は嫌い」

彼は困ったように笑った。

「…お前はさ、そうやって核心からは逃げるんだよ。別にいつもみたいに言えよ。そしたら、ちゃんと編集長に戻る」
「っ!!…貴方とは…付き合えない」
「…知ってる。けど、ほら。俺はこれで終止符が打てた」

彼は立ち上がって捨ててくる、と缶コーヒーを揺らす。

「お前、なんか飲む?」
「…いつもの」
「了解。まぁ…なんつーかさ。フラれたからって気持ちがすぐに終わるわけじゃないけど。また次のスタートの為の準備はできるんだよ」

まだ、間に合うんじゃね?と彼は言って出ていく。

「…終止符を打つ、ねぇ…」

少しして戻ってきた彼からミネラルウォーターを受け取る。

「あんなので諦められるの?」
「俺の事?まぁ、俺は無理だってわかってたからな。まぁ、けどそうだな。来年になってもお前に恋人がいなかったら俺と結婚しろよ。幸せにするし」
「馬鹿じゃないの?ホントに」

冗談だよと彼が笑った。

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