05
御幸さんと夕飯を共にしてから数日。俺は彼女、日和と普通に話せるようになった。
彼女への感情もどうやら自分が思うよりも簡単に薄れていくようだった。
まぁ、きっと御幸さんがいたからだろう。
あんなに笑えたから、こんなに早く立ち直ったんだ。
「…これでやっと、心からお前の幸せを願えるよ」
パソコンに向かいながらどこか不機嫌そうな彼女を思い出して苦笑する。
仕事がまともに手がつかなくなるまで彼女のことは放っておこう。
エレベーターの自分の階のボタンを押して、スーパーの袋の中に視線を向ける。
やっぱりちゃんと飯食った方が仕事出来るんだよなぁ…
軽快な効果音が鳴ってドアが開く。
いつも通り自分の部屋まで歩いて行こうとすればドアの前にもう見慣れてしまった彼がいた。
けど、様子がどこかおかしい。
ドアの前で鞄の中を漁る彼の横顔に浮かぶのは焦りと恐怖で。
首を傾げて、そちらに近づけば肩が大きく揺れた。
恐る恐るこちらに向けられた目は怯えていた。
「あ…みょうじ、さん…」
「どうした?」
「あ、いや…あの…」
御幸さんに近づけば目を彷徨わせて、俯く。
「鍵は?」
「それが…見つかんなくて…」
「焦ってる理由はそれか?じゃあ、何に怖がってんの?」
俺の言葉に彼はまた肩を揺らした。
彼女によく似て隠したがりな割に、彼女と違って表情によく出る。
それでも、最奥の何かには触れさせないように厳重なバリケードがある。
そんな気がして俺は溜息をついた。
「いや、あの…」
彼が口を開こうとしたとき滅多に使われない階段からパタパタと足音が聞こえた。
それも複数人のもので、その音を聞いた御幸さんが体を強張らせた。
俺は自分の部屋の鍵を開けて、彼の腕を掴む。
「、え?」
「逃げたいんだろ?」
俺の問いかけに彼は戸惑いながらもコクリ、と頷いた。
それを確認して彼の腕を引いて部屋に入る。
足音は俺の部屋の前を通り過ぎて彼の部屋の前で止まった。
「ねぇここ御幸って名前!!」
「嘘、マジで?やっぱあれ本物だよ」
聞こえたのは若い女の声。
掴んでいた彼の手を離して頭を撫でれば首を傾げた。
「ちょっと奥入ってて」
「え?」
ガチャと鍵を開けて部屋から出れば若い女4人が御幸さんの部屋の前にいた。
こちらを見た彼女たちは「あの、」と声をかけてくる。
「なんですか?」
「お隣ってこの人ですか?」
そう言って見せられた携帯。
画面には野球のユニフォームを着た御幸さんが映っていた。
「いや、違うけど」
「え?本当に?本当に違いますか!?」
「違うよ」
じゃあここに住んでいるのは、と指差した彼の部屋のドア。
「お隣の御幸さんは仲の良い老夫婦だよ。子供も成人した女性の方しかいなかったはずだし」
「…嘘」
彼女は肩を落とす。
そして、彼女の横にいた女の子が口を開いた。
「このマンションに他に御幸って人は…」
「俺の知る限りいないと思うけどなぁ…」
何だ、やっぱり違うじゃんと彼女らは会話を交わしてこちらに頭を下げて帰っていく。
彼女らがエレベーターに乗るのを見送って自分の部屋のドアを開けた。
「もう行ったよ」
「あ、ありがとう…ございます」
奥に居ろと言ったのに玄関にいた彼は俯いて。
「何で…あんな嘘…」
「え?」
「あの子たちが見せたの俺の写真ですよね」
あぁ、確かに君の写真だよと答えれば彼はじゃあなんでと俺を見て困惑を映した目を俺に向けた。
「御幸さんは、あの子らの前に突き出されたかったの?」
彼は首を横に振る。
「じゃあいいだろ、別に。どんな嘘を吐いたとしても」
「そうっすけど。俺は…」
何か言おうと口を開いて、でも閉ざすと繰り返す。
今、多分彼は自分のバリケードを外そうとしてる。
「…あの、俺っ」
思い切って何かを言おうとした彼の口の前に人差し指を立てる。
目を丸くした彼に俺は笑った。
「いいよ、言わなくて。別に聞かないといけないことじゃないし」
御幸さんは目を丸くして、俺はクスクスと笑いながらその手を下した。
「あの、みょうじさん…本当に、俺…」
「言いたくないんだろ?無理に聞きたいとは思わねェよ」
ポンポンと頭を撫でれば彼は俯いてありがとうございます、と小さな声で呟いた。
「そういや、鍵あった?」
「いや…忘れて来たみたいです」
「忘れたって、平気なの?」
盗られるとかはないので平気です、と彼は答えて苦笑を零す。
「そう?ならいいけど。じゃあ、泊まってく?」
「は?」
「どうせ帰れないんだし」
これから夕飯作るから、と彼の横を通り過ぎてキッチンに入れば慌てて彼が追いかけてきて。
「俺作ります」
「は?」
「さっきのと、泊めてもらう代わりに…あ、料理には自信あるんで」
そう言って彼は笑った。
「あー、そう?じゃ、お言葉に甘えて」
「はい」
彼はやっと安心したように頬を緩めたのだった。
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