09
横峰さんに頼まれた対談の日。こういうのは初めてで少し楽しみだった。
話を貰った時は正直びっくりしたが、元々俺の好きな漫画ではあったしそうそう出来る体験ではないから二つ返事でOKをした。
横峰さんが働く出版社のエントランスに入れば彼女の姿をすぐに見つけることが出来た。
「横峰さん」
「あ、御幸。今日はありがとね」
「いえ。お話貰えて嬉しいです。それから、亮さんのことおめでとうございます」
ありがとう、と彼女は少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「じゃあこっちだから」
「あ、はい」
エレベーターに乗り込んでからふと気づく。
そういえばみょうじさんもここで働いているんだっけ…?
「こっちだよ」
エレベーターから降りてオフィスの廊下を歩きながら周りに視線を向ける、
慌ただしく動き回りながら電話をしたり、デスクに向かう姿が凄く新鮮だった。
「ごめんね、慌ただしくて。どの部署もいつもこんな感じだから」
「横峰さんのとこもっすか?」
「うちは他と比べて比較的落ち着いてる方だよ。編集長がしっかりした人だから」
案内された部屋には高そうなソファとテーブルが置かれていた。
「スゲェ…こんな豪華な所使うんですか?」
「編集長が部屋借りてくれたみたいでね。あとで挨拶にくるから」
「へぇ…」
少し落ち着かない気持ちを抑えてソファに腰かけて。
横峰さんは時計に視線を向ける。
「多分、そろそろ来るよ」
「わかりました」
あんまり緊張しなくていいから、と彼女は言って笑う。
「作家さんも気さくな人だし。元高校球児みたいだから話も弾むはず」
横峰さんの言葉に返事をしようとしたときコンコンとノックの音が聞こえる。
「失礼します」
聞こえたのは落ち着いた声。
でも、その声にどこか聞き覚えがあった。
ドアが開いて入ってきたのは何度か写真で見たことのある作者さん。
そして、ドアを開けていた方の人が顔を上げて俺は目を見開く。
彼も同じく目を丸くしたがすぐに真面目な表情に戻る。
え、ちょ…は?
「…お待たせしました」
丁寧に腰を折って頭を下げた彼はスーツの胸ポケットから名刺ケースを取り出す。
「この度は対談に応じていただきまして誠にありがとうございます。編集長を務めさせていただいておりますみょうじなまえです」
差し出された名刺を戸惑いながら受け取れば彼はニコリと微笑んだ。
「自分も同席したかったんですが、会議が入っていまして…私は挨拶だけで失礼させていただきます」
「あ、はい…」
「対談につきましては部下の横峰に一任しておりますので何かございましたら横峰にお伝えください。優秀な部下ですので、ご安心ください」
優秀な、部下…
尾崎さんの好きだった人って、横峰さんだったのか…
「じゃあ、横峰。あとはよろしく」
「わかってます」
「先生もあまり緊張なさらず楽しんでくださいね。御幸さんも、どうぞ肩の力を抜いて、お話ください」
それでは失礼します、と出て行ったみょうじさん。
あの人が、編集長…?
てか、本当に俺がプロ野球選手だって知らなかったのか…
「2人とも座っていただいていいですよ」
横峰さんの言葉に我に返りソファに腰かけて、対談が始まった。
▽
「お疲れ、御幸」
「いえ、楽しかったですよ」
対談を終えて、作者さんとはまた機会があればと挨拶を交わして別れた。
野球の試合もぜひ見に来て欲しいと伝えれば、頑張って休みを作りますと言っていた。
横峰さんに差し出された缶コーヒーを受け取って肩の力を抜く。
「あの」
「どうしたの?」
「いや…えっと、みょうじさんって…」
途中で言葉が出なくなって視線を逸らせば横峰さんは首を傾げる。
「なまえと知り合いなんでしょ?」
「え?」
「2人とも驚いてたし」
横峰さんはもしかしたら御幸のことだったのかな、と小さく呟いた。
「何が俺の事なんすか?」
「いや、なんでもないよ。それで、なまえの何が聞きたいの?」
「いや…あ〜…みょうじさんの好きだった人って…」
横峰さんですか、と尋ねる前に彼女が私だよと答えた。
やっぱり…そうだったのか…
「告白はされたけどね。亮介とのことで背中を押したのもアイツだよ」
「え?」
「一番最後。亮介の気持ちから目を逸らしてた私を素直にさせたのはアイツ。なんか、他にいい人見つけたらしいよ」
横峰さんの言葉に俺は息が詰まる。
他に、いい人…
そりゃそうだよな。
あんだけカッコよくて、優しくて。
しかも編集長とか…
他の女が放っておくはずない。
…俺は男だ。
俺に向けた目もただの勘違いで、あの胸の高鳴りもきっと勘違いだ。
「幸せになってくれるといいっすね」
笑顔を張り付けてそう言えば横峰さんは目を丸くしてから笑った。
「前に倉持にさ、言われたんだよね。私、御幸に似てるんだって」
「え?」
「他人に本音を見せないで、自分を偽るのが上手って。…言われた時は何言ってんだって思ったけど確かにそうだね」
俺が、横峰さんに似てる?
そういえばみょうじさんもそんなこと言っていたかもしれない。
俺の方が隠せてないとも言っていたけど。
「…似てないですよ」
「似てるって。けど、まぁ…私よりは素直だよね」
「は?」
横峰さんは時計に視線を落として椅子から立ち上がる。
「タクシー下に呼んであるから、行こうか」
「ちょっと、今のどういう意味ですか?」
「…私と違って目、逸らさないから」
彼女はそう言って微笑んだ。
目を逸らさない?
何から?
「なまえのことよろしくね」
「……何で俺に言うんですか」
俺じゃなくてそのいい人に言えばいいのに。
「なんとなく」
横峰さんの言葉に眉を寄せる。
手の中のコーヒーが妙に冷たく感じた。
みょうじさんに凄く会いたいのに、それと同じくらい会いたくなかった。
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